ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

利益と価値、短期と長期

2022-07-26 07:15:17 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「外交と教育」7月17日
 連載企画『池上彰のこれ聞いていいですか』は、元外務省主任分析官佐藤優氏に、ロシアによるウクライナ侵攻をテーマに、我が国の外交の在り方を問うものでした。その中で佐藤氏は、『外交は「価値の体系」「利益の体系」「力の体系」という三つから成り立っています。しかし、日本の報道や有識者は「価値の体系」の話だけ。民主主義対権威主義、あるいは自由対独裁というような二項対立です』とおっしゃっています。
 そして『「価値の体系」が肥大して国が誤ったことがある』と述べ、太平洋戦争について触れていらっしゃるのです。とてもよく分かる話です。ただ、では権威主義の国が他国を武力で侵略するという蛮行を許せば、それは中国が台湾を攻め、その戦争に日本が巻き込まれるという考え方はどうなるのか、と疑問に感じました。巻き込まれることを恐れることは、むしろ「利益の体系」に属することなのではないか、と考えたからです。
 ここまで考えてきて、上記のような考え方は、実は学級経営にも当てはまるのではないかと思ったのです。学級でいじめが発生したとします。いじめは、多数の子供が個人や少数の子供に対して行うものです。また、強者が弱者に対して行うものでもあります。つまり、強者で構成された多数派が弱者だけの少数派を攻撃するという構図です。
 ここで、教員にとっての「利益の体系」で対応を考えてみます。学級経営は子供との良好な関係が重要になります。影響力の強い強者が多数集まった加害者側と、ほぼ影響力のない弱者が数人いるだけの被害者側、比べればどちらを味方に付ければその後の学級経営がやりやすくなるのか、答えは明快です。加害者側につくのです。
 加害者への注意や指導は形式的なものにとどめ、被害者の訴えは聞き流し、上辺だけの仲直りを握手などで演出し、一件落着させ、加害者に恩を売り、その協力を得て学級経営をスムーズに行っていく、被害者の苦しみは見て見ぬふりで済ます、これこそ教員にとって「利益の体系」に沿った対応です。
 酷い話だと憤慨する方がほとんどだと思います。もちろん、私もそう思います。しかし、私が教委勤務中に関わったいじめ事案の多くは、上記のような形だったのです。実際には教員はそこまでずる賢く計算しているわけではなく、大勢の意思に沿うことが善というような浅い発想で、大勢の子供が言っているのだから被害者の子供にも悪いところがあるに違いない、というような考え方に侵されていくという方が実態に近いとは思いますが。
 しかし、いじめという不正義を一度容認してしまうと、次にいじめが起きたとき、再び容認せざるを得なくなります。そうなれば、学級は弱肉強食のジャングルと化します。昨日加害者だった子供が今日は被害者になり、明日の生贄は誰だか分からず、皆が怯え、攻撃は最大の防御という論理で被害者を生み出していく、そんな状況が待っているのです。もっとも、保護者からの訴え、他の教員や校長からの介入、教委が乗り出してなど、たいていの場合、どこかでブレーキがかかるものなのですが。
  これは、短期的な視点で「利益の体系」の沿って行動することが、実は長期的に見ると不利益を生むということです。やはりいじめという不正義は絶対に許さないという「価値の体系」の視点が重要になってくるのです。教育と外交は違う、当たり前のことですが。

 

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