ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

総理大臣と子供は違う

2021-05-29 08:15:23 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「正しさの外側で」5月21日
 ベルリン支局念佛明奈記者が、『独の性暴力、議論の契機 「少女像の波紋」』という表題でコラムを書かれていました。『慰安婦を象徴する少女像がドイツの首都ベルリン(の公有地)に設置されて半年がたつ』という書き出しで始まるコラムで念佛氏は、『ドイツでは、日韓間の問題というより「議論の場」として、像の意義を認める方向に向かいつつある』と述べていらっしゃいます。
 『ドイツにも性暴力加害の歴史があるがきちんと議論されてこなかった』ということです。具体的には、『女性専用の強制収容所から連れてこられた収容女性』との性交渉が許可されていた、ということです。多くは、ドイツやポーランド、ソ連出身の女性たちで、『こうした事実は研究者の間で議論され、書籍も出版されているが、賠償や補償、謝罪はされていない』のだそうです。
 そして、念佛氏は、日韓関係に詳しいドイツ人の日本史学者、ボン大学ラインハルト・ツェルナー教授の提案、『日本がドイツと一緒に女性に対する性暴力問題を共同研究してはどうか』を紹介し、共感なさっているのです。
  私は慰安婦問題はあったと考える立場です。旧日本軍の関与の程度や中韓が主張する「慰安婦」の中にいわゆる「売春婦」が含まれていないのかなど、いくつか明解でない部分があるとは感じていますが、「慰安婦」そのものの存在を否定するのは間違いであるし、否定する行為は我が国の名誉を守るどころか、国家の品格を貶める行為であると考えているのです。
 では、念佛氏が言うように、ドイツと共同研究し、戦争中の軍の性暴力について、賠償や補償、謝罪をすべきかというと、少し迷う自分がいます。それは、悪いことしたのは自分だけなの?という素朴な感覚によるものです。
 右派メディアは、ベトナム戦争時における韓国軍のベトナム女性に対する性暴力を指摘し、「偉そうに被害者面しているが、自分たちだって~」という非難をしています。そのことについて語るだけの知識もありませんが、一部の右派メディアのように、自分のしたことを棚に上げ、相手の非をあげつらう行為はみっともないもので、日本人として同調する気になれません。
 しかしそれは理性の話です。感情面では、悪いことをした奴らは他にもいるのに、なんで俺だけが責められて謝らなければならないんだ、という思いは捨てきれないのです。第2次世界大戦とそれ以降の戦争において、女性への性暴力を行った国は我が国以外にもあり、そのことで謝罪していない国もあるはずなのに、日本だけが謝れと言われているのは不合理だ、というような感情です。
 国と国との関係は感情ではなく理性が勝るべきです。ですからこれ以上はみっともないので言いません。ただ、教員時代に子供を叱るとき、子供が抱く「自分だけじゃないのに」という感情には配慮が必要だったことを思い出しました。そのとき、「人のことはいいから、自分がやったことについて考えなさい」「他にもやった子がいるから、自分がやったことの責任が軽くなると思っているのか」などと責めるのは、理屈としては正しくても、子供の心に届きません。
 自分だけが損をしている、不公平な扱いを受けている、先生は自分のことが嫌いなんじゃないか、先生は○○さんのことを依怙贔屓しているんだ、などという目で睨み返されるのがオチです。そこで教員が力づくで謝罪させても、本当の反省にはつながりません。若いころは、そんな人情の機微が分からず、子供の反発を買ったものでした。
 子供相手と、国対国の問題では、望ましい対応は異なるのです。

 

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