「本当に問題なのは」3月25日
東京大病院准教授の中川恵一氏が、『暮らしの中のリスク』という標題でコラムを書かれていました。その中で中川氏は、『一般人が暮らしの中の「リスク」として恐怖を感じる順番は、ピストルがトップ、2番は原子力、3番が喫煙でした。実際のリスクの大きさとしては、喫煙、飲酒、交通事故の順なので、身近なリスクに対する一般市民の意識のズレが示されたことになります』と書き、『私たちは、本当のリスクと報道で話題になるリスクの差に注意を払う必要があります』と述べています。
面白い指摘です。世間はニュース性を追い求めて騒ぎますが、実際の危機や問題点はもっと別の目立たないところにあるというわけです。同じ構造は、学校教育にもあてはまります。
学校に関するニュースといえば、いじめ自殺、教員による痴漢や淫行などの事件、教委などの隠蔽、教員人事や入試などにまつわる不正、職員団体の不正な政治活動、国旗国歌を巡る裁判などです。たしかにどれも重要な問題です。しかし、これらはごく一部の学校や地域にみられる特殊な事件に過ぎません。99%の児童や保護者には遠い出来事なのです。それは、強盗ややくざにピストルを突きつけられた人にとっては忘れがたい出来事であっても、世間の99.999%の人には縁のない出来事であるのに似ています。
学校教育において、多くの子供や保護者にとって切実な問題は、実は授業の充実であり、分かる喜びを味わえる授業の実現なのです。学校教育に携わる人たち、校長や教員や教委関係者が常に心しなければならないのは、自らの授業力の向上であり、授業力の高い教員の育成策なのです。この地味な単純な原理から目を背け、マスコミ受けする派手な課題にだけ取り組んでいくのは、真の学校教育改革ではありません。
教員の授業力向上は、一朝一夕に成果が上がるようなものではありません。また、一時的に成果が上がっても取り組みを怠ればすぐに元の木阿弥となってしまう、息の長い継続的な取り組みが必要なものでもあります。任期の限られた首長が、短期間に有権者受けする見栄えのよい成果を誇示するための取り組みとは異なるのです。
東京大病院准教授の中川恵一氏が、『暮らしの中のリスク』という標題でコラムを書かれていました。その中で中川氏は、『一般人が暮らしの中の「リスク」として恐怖を感じる順番は、ピストルがトップ、2番は原子力、3番が喫煙でした。実際のリスクの大きさとしては、喫煙、飲酒、交通事故の順なので、身近なリスクに対する一般市民の意識のズレが示されたことになります』と書き、『私たちは、本当のリスクと報道で話題になるリスクの差に注意を払う必要があります』と述べています。
面白い指摘です。世間はニュース性を追い求めて騒ぎますが、実際の危機や問題点はもっと別の目立たないところにあるというわけです。同じ構造は、学校教育にもあてはまります。
学校に関するニュースといえば、いじめ自殺、教員による痴漢や淫行などの事件、教委などの隠蔽、教員人事や入試などにまつわる不正、職員団体の不正な政治活動、国旗国歌を巡る裁判などです。たしかにどれも重要な問題です。しかし、これらはごく一部の学校や地域にみられる特殊な事件に過ぎません。99%の児童や保護者には遠い出来事なのです。それは、強盗ややくざにピストルを突きつけられた人にとっては忘れがたい出来事であっても、世間の99.999%の人には縁のない出来事であるのに似ています。
学校教育において、多くの子供や保護者にとって切実な問題は、実は授業の充実であり、分かる喜びを味わえる授業の実現なのです。学校教育に携わる人たち、校長や教員や教委関係者が常に心しなければならないのは、自らの授業力の向上であり、授業力の高い教員の育成策なのです。この地味な単純な原理から目を背け、マスコミ受けする派手な課題にだけ取り組んでいくのは、真の学校教育改革ではありません。
教員の授業力向上は、一朝一夕に成果が上がるようなものではありません。また、一時的に成果が上がっても取り組みを怠ればすぐに元の木阿弥となってしまう、息の長い継続的な取り組みが必要なものでもあります。任期の限られた首長が、短期間に有権者受けする見栄えのよい成果を誇示するための取り組みとは異なるのです。
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