ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

自主退職

2018-04-28 07:59:58 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「軽い!」4月18日
 『次官更迭論 与党で拡大 セクハラ疑惑 調査方法も疑問』という見出しの記事が掲載されました。財務省事務次官福田淳一氏のセクハラ疑惑について報じる記事です。被害女性に名乗り出させようという調査方法への疑問は私も同感ですが、違和感を感じる記述がありました。自民党二階幹事長の『こっちから辞めるべきではないか、とわざわざ助言するというより、本人や財務省が考えるべきことだ』という言葉です。
 この発言は、福田次官に自主的な辞任を促す趣旨ということですが、それでよいのでしょうか。
 私は教委勤務時代に教員の処分に関わる仕事をしてきました。今回取り上げられているような事実があったとすれば、それは当然セクハラと認定され、処分の対象となります。学校の最高責任者である校長が行った場合、おそらく諭旨免職でしょう。しかし、教委の処分基準にはマスコミ報道の有無に関する規定があり、悪い意味で社会の注目を集めた事案については、処分が重くなります。学校や教員、教委に対する信用失墜の度合いが大きいと判断されるのです。
 福田次官のケースように連日全国紙に取り上げられ、テレビのワイドショーの見出しになるような事態であれば、この基準に抵触し、懲戒免職も大いにあり得るところです。懲戒免職であれ諭旨免職であれ、セクハラの疑いをもたれた校長は、辞職することは認められません。自主退職となれば、退職した元校長は公務員ではなくなり、教委としては調査に応じるよう命ずることが出来なくなってしまいます。その結果、調査は曖昧なまま終わることになりますし、退職金が支払われることも、被害者感情、市民感情からして容認できることではないからです。
 セクハラを疑われた校長は、「上司」にあたる教委からの尋問を受け、その後謹慎し処分を待つことになります。セクハラを疑われている校長がそのまま職務を遂行することはあり得ません。教員はセクハラ校長の指示に従えるかという心情でしょうし、子供や保護者も不快感をもつでしょうから。
 しかし、福田氏に対して厳しい言葉とされる幹事長が言っているのは「自分で判断して辞めなさい」ということなのです。自主退職をして6000万円ほどの対職員を受け取ってしばらく大人しくしていなさい、そうすればこれ以上追及しないから、という意味なのです。こんなことが許されるのかという思いが捨てきれないのです。
 全国に数万ある学校の校長という立場と、最強官庁といわれる財務省の事務方トップ、責任が重いのはどちらかと言えば、後者でしょう。教員は、一般の公務員に比べて、不祥事に際しては厳しい処分を科されます。それは、子供に接し、子供の規範意識や倫理観の手本となるべきであるという社会の常識があるからです。
 私は教委勤務時代に、ある不祥事を起こした教員の処分について、メディアで報じられたこともあって、市長に報告したことがありました。不祥事の詳細は省きますが、そのとき市長から、「それで処分はどのくらいになるの」と訊かれ、「諭旨免職です」と答えたところ、「えっ、厳しいね」と驚かれたことがあります。市長は、「市の職員なら戒告ぐらいかな」と言っていました。この差について、不公平だと感じることもありましたが、一方で、それだけ重要な職なのだという自負のようなものも感じました。
 まあ、福田氏の件は特例であり、福田氏を真似て「辞めます」の一言で処分を免れようとする教員が増えるとまでは思いませんが。

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