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ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

分かりやすさと一面的

2025-07-13 08:48:39 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「忸怩たる思い」7月2日
 『推し細胞で盛り上がる小中高生 漫画「はたらく細胞」が呼んだ生物人気』という見出しの記事が掲載されました。『子どもを対象にした生物学のイベントが近年、人気を呼んでいる(略)人気の理由には、ある漫画の存在があった』という記事です。
 ある漫画とは、『15~21年に「月刊少年シリウス」で連載された漫画「はたらく細胞」』です。『細胞を擬人化し、親しみやすくした』ことで人気を集めたとのことです。記事の中に気になる記述がありました。
 『難しいものを分かりやすく説明できる漫画の強味を生かした』という分析と、それに関連して、『人気は教育現場にも波及した。学校からは「教材に使用したい」という要望があり、医療を学ぶ学生からも「とっつきにくい免疫学や生物学を学ぶ時にイメージしやすくなった」という声が上る』という記述です。
 私は教員時代に、「個に応じた学習」をテーマに社会科の研究に取り組んでいました。個に応じたというとき、学習を構成するいくつかの要素、学習過程・学習活動・学習環境などを個に応じて多様化することをイメージしていました。その中の一つが情報源=資料の多様化でした。ある情報に取り組ませるときに、それをグラフで、写真で、文章資料で、音声資料(録音)で、といくつもの形で準備し、子供が選択できるようにするというものでした。その一つが漫画だったのです。
 漫画日本の歴史が代表的な例です。適当な漫画がないときには、親しかった図工の教員に頼んで、私が作ったストーリーで漫画を描いてもらったこともありました。ですから私は、授業における漫画活用においては、ある程度豊富な実践経験をもつといってもよいと思います。
 その上で考えてしまうのです。漫画活用の危うさを、です。確かに漫画は分かりやすいです。イメージが鮮明です。しかしそれだけに、強く印象に刻み込まれてしまうという特性があるように思います。社会事象は、あるいは自然事象もそうですが、多彩な面をもっています。一つのイメージが深く刻み込まれることで、他のイメージを受け付けない、あるいは修正ができにくいという危険性があるように思うのです。私自身、教員生活の終わりの方になって(教委に勤務するようになる直前)、そうしたことを懸念するようになりました。
 さらに、漫画の分かりやすさに慣れてしまうと、文章や統計資料などの「分かりにくい」資料、情報を丁寧に根気強く見るという習慣が薄れてしまうことも気掛かりでした。漫画の効用を否定するつもりは全くありません。
 ただ、医療を学ぶ学生にも~などという記述を見ると、「えっ!」と思っていまうのです。教育現場における漫画の活用に際しては、年齢、学習過程(導入が相応しいと考える)、内容、回数など慎重に検討してほしいと思うのです。当たり前ですが。

 

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