ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

マンツーマンではなく

2023-01-28 08:48:20 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「下支え」1月23日
 『格差の再生産 「学校の力」見つめ直そう』というタイトルの社説が掲載されました。『親の貧困が子に引き継がれることを「格差の再生産」と呼ぶ。密接に関わっているのは教育(略)家庭が貧しいほど授業の理解度が低い生徒が多かった。学力が身につかないと進学もままならない(略)家計に余裕がない家庭のこの学力を下支えする仕組みが欠かせない』という問題意識で書かれたものです。
 全く同感です。そして、『全ての子に学びを保障するのは公教育を担う学校の役目』という指摘もその通りだと思います。しかし、その先が少し違うのです。『学校が困窮家庭の子を支える福祉的機能を高めるには、専門スタッフの手厚い配置が不可欠だ。教師は、子ども一人一人に丁寧に関わって学力を伸ばす指導に専心できるようにしていくべきだ』。日本大教授末富芳氏の指摘です。
 スタッフの手厚い配置は問題ありません。でも、「子ども一人一人に丁寧に関わって学力を伸ばす指導」には危惧を覚えます。それは、この表現が、個別指導や補習授業をイメージさせるからです。家庭の困窮、育児放棄、ヤングケアラーなど、学習に打ち込むことが難しい環境下にある子供に、全体の授業とは別に放課後勉強を教えたり、授業中も別室で取り出し授業をして遅れを取り戻させたり、ということです。
 それは、広義の教育という捉え方で言えば望ましいことかもしれませんが、現在の我が国の学校システムの中で行うべき取り組みではありません。もしこの個別指導的な手法を導入するのであれば、途方もない額の人件費が必要になります。また、必要な教員数を確保することも難しいでしょう。中途半端に取り組めば、それは教員の頑張りや善意、使命感に過度に依存した制度となり、教員を疲弊させ、学校を崩壊に導く結果に陥ります。
 大切なのは、授業を普通に受けていれば、その内容がほとんどの子供に理解できる、という授業レベルを実現することです。別の言い方をすれば、家庭が貧しく塾に通うことができなくても、中学校までの学習内容を身に着けることができる授業ということです。それは、塾に通えなくても、高校に進学するだけの学力を保証し、大学進学も現実的な目標とすることができる環境を与えるということでもあります。
 しかし現実は、教員の多忙化や志願者の質の低下などの要因で、授業のレベルが下がり、決して能力が高いといえない子供にとっては、きちんと45分間教室の椅子に座っていても、授業内容が理解できないという状況があちらこちらの教室で起きているのです。だからこそ、貧困=塾に通えない=学力不足=進学困難=貧困の再生産という図式が成り立ってしまうのです。
 95%の子供に塾なしで分かる授業を、残りの5%については、福祉的総合的アプローチをというのが、現実的な対応だと思います。

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