「あなたが変わればいい」1月20日
『博多の女性殺害事件 ストーカー対策再検討を』というタイトルの社説が掲載されました。『なぜ、最悪の結果を防げなかったのか。事件の全容解明と合わせ、警察の対応の検証が欠かせない』と主張する内容です。
その中に気になる記述がありました。『警察は女性に避難や転職を勧めていたが、被害者が不利益を被るのは筋違いである』という記述です。全くその通りです。ストーカー対策の目的は単にストカー被害をなくすことではありません。被害者の人権と生活を守ることが大前提としてあり、その上で被害防止を考えるのです。もし、ストーカーから被害者の身を守ればいいだけならば、簡単です。被害者を刑務所に収容して、独房に入れればよいのです。でもそれを良しとする人はいないでしょう。
私はこの記述から、学校におけるいじめ対策を連想してしまいました。同じような事例が珍しくなかったからです。いじめの被害者が転校していく、加害者はそれまでと同じ学校、学級、部活でが仲間と楽しく学校生活を送るという例は枚挙に暇がありませんでした。
また、多数派(加害側)に阿った教員が、被害者に対し「○○さんも変わらなくちゃ。そうすればみんなも受け入れてくれるよ」などと暴言を吐いて、さらに傷つけてしまうといった事例も目にしてきました。この暴言を吐いた教員は、自分は良いことをしたと思い込んでいたのですから、開いた口がふさがりません。
いじめ対策は、被害者の人権と生活が守られることを前提に考えなければなりません。分かりやすく言えば、被害者が何を望んでいるのかを把握し、それを実現する方向で考えるということです。被害者が、今の学級や部活に所属し続けることを希望するのであれば、それは尊重されなければなりません。加害者に謝罪と二度といじめはしないという誓いをさせた上で引き続き同じ学級や部活に所属することを望むのであれば、その方向で最大限の努力をしなければなりません。
そして、努力を尽くした結果、加害者のいじめを根絶させることが難しいと判断したならば、そのことを被害者に説明し納得を得た上で、加害者を転級させるなり、退部させるなりといった別の措置をとることが認められると考えるべきなのです。間違ったいじめ対応がなくなることを強く願います。
なお、当たり前の話ですが、いくら被害者が望んだからといって、不当に加害者の権利を侵害するような対応は認められません。例えば、加害者を丸坊主にして全校生徒の前で土下座させて謝罪させろ、というような。