ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

堂々と「ええ、知りません」

2023-01-19 08:46:26 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「スペシャリストということ」1月12日
 読者投稿欄に、大学生T氏による『教員になる前に職業体験を』というタイトルの投稿が掲載されました。教員志望のT氏は、『教員は(略)社会を教える立場でありながら社会の厳しさを知らない』『教師とは異なる苦労や大変さは経験してみないとなかなか理解できない』とし、『教員志望者であっても、企業でのインターンなど就職活動に近い経験をしてみたらよいのではないか』と述べられていました。そうすれば、『(インターン)の経験を通じて生徒の就活の相談にも乗りやすくなる』というのです。
 私はこの投稿を読んで、教職にまつわる問題について考えさせられました。まず、教職とは何か、ということです。教職は専門職であるというのが私の考えです。では、医師志望者は企業でインターンを、という提言を聞いたことはあるでしょうか。フレンチシェフを目指す人は企業で~という意見を耳にしたことはあるでしょうか。私はありません。
 医師やシェフが専門職であることは多くの人が認めるでしょう。でも、その専門職である彼らに対して、他の職業のことも疑似体験しておくべきとは言わないのです。それはつまり、T氏を含め多くの人が教職を専門職ではないと考えていることを意味します。
 専門職、スペシャリストではないとするならば、教員はゼネラリストということになります。ゼネラリストに求められるのは、深さではなく幅の広さです。幅が広いのですから、多くの職業がどこかで重なります。そうしたイメージがあるからこそ、教員経験のない社会人を特別枠で教員に採用することがプラスに作用するという発想が生まれてくるのでしょう。敏腕営業マンにフレンチを作らせようと考える人はいませんから。
 視点を教員側に移してみましょう。教員もまた自らを専門職とは思っていないのです。専門職ではないのですから、自分にはゼネラリストとしての幅の広さが必要だと考えています。だからこそ、自分の幅の狭さが劣等感になります。T氏が紹介している恩師の体験、『「社会に出たことがないくせに」。私が中学校でお世話になった先生は、かつて保護者からこう言われたことがある(略)もし(私も)保護者の方にこのような指摘をされたら返す言葉もない』への捉え方にもそうした気分が滲み出ています。
 しかし、医師が、シェフがこう言われても何の痛痒も感じないでしょう。それは彼らが、「ええ、その通りです。でも私は医師(シェフ)として、誰にも後ろ指を指されることがないほど研鑽を積み、専門性を高めてきました。医師(シェフ)の仕事にはそれこそが大事なのです」と言い返すことができるからです。私は、教員の場合もそう言い返すことができる教員であることが大切であると考えます。
 イチロー氏は、野球しか知らないと言われて恥ずかしい思いをしているでしょうか、藤井総太氏は、高校も出ていないで将棋バカだと劣等感を抱いているでしょうか、羽生結弦選手は、フィギュアしか知らない世間音痴だと卑下しているでしょうか。そんなことはないと思います。
 彼らのような超一流と比べるのは適切ではないと思いますが、平均的な教員であっても、教職に就いて十数年自己研鑽を重ねてきた専門家なのだという自負、誇りをもってほしいと思います。というよりも、誇りをもてるほどの努力と研鑽を重ねるべきだと言った方がよいかもしれません。その方が、短期間中途半端な社会人の模擬経験をし、企業や官庁の仕事が分かったつもりになっているよりも有意義だと思うのです。

 

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