ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

「書く」の復権

2016-02-24 07:31:25 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「考えること」2月18日
 客員編集委員近藤勝重氏が、『「思う」-「考える」』という表題でコラムを書かれていました。その中で近藤氏は、『「思う」がまずあって、「考える」と続くのが一般的な思考の流れだろう。ただ、ぼくの場合は「思う」と「考える」の間で、メモも含め「書く」という作業がしばしば伴う。書かないとちゃんと考えられないからだ』と述べていらっしゃいます。
 私も近藤氏と同じ型の人間です。そしてそれは私や近藤氏だけの特殊な例ではなく、多くの人に共通するものであると思っています。私はこうした考え方を基に、教員時代に、書くことで自分の思考の筋道を意識し問題を解決する、という授業に挑戦しました。授業自体は、私の未熟さもあり、多くの問題を残してしまいましたが、書くことで論理的な思考が可能になり、そうした体験を繰り返すことで、自分の思考の型を認知することができ、進んで考えよう(問題を解決しよう)とする態度が身に付きやすいという仮説は、一定の説得力をもつことができたように思います。
 そうした経験からすると、今、多くの学校で考える手段としての「書く」活動が、軽視されているように思えてなりません。覚える授業から考える授業へ、という流れにあるにもかかわらず、考える授業としてフレームアップされているのは、討論やディベート、調査や体験であり、「書く」活動は脇に押しやられているケースが多いのです。
 そんな中、「書く」活動の出番は、ミニ論文的に、自分の考えを表現し伝える場面にあることが多く、あくまでも表現伝達活動としての「書く」であり、考える手段としての「書く」とは異なるのです。手段としての「書く」は、言い方を変えれば、自問自答、脳内対話であり、沈思黙考でもあります。
 つまり、現在の学校では、他者との交流に重点が置かれ、その反動として、一人で孤独に考えることが、量的にも質的にも軽視されているということでもあります。「書く」思考の復権を真剣に考えるべきだと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする