ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

外部委員会は必要ない

2016-02-18 07:44:34 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「そんな運営では」2月12日
 『中教審 ペーパーレス化へ』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『各分科会の審議結果をまとめた紙資料が毎回配られるため、資料の厚さが数センチにもなり、その説明が会議時間の半分近くを占めることも珍しくない。ある委員は「役人は会議資料を作るための残業に追われている」と指摘していた』とのことです。
 教委勤務時代を懐かしく思い出しました。会議の資料作成に膨大な時間を取られることもそうですし、資料を作成しながら、こんな膨大な資料を会議中に読むことができる人なんかいないのに、という空しい気分も、です。
 外部の方々を委員に委嘱して行われる会議については常に膨大な資料を準備するという慣習が、教育行政を歪めているという実態は確かに存在します。本来は学校の授業や教育課程についての指導助言が本務である指導主事をパソコンの前に釘付けし、学校を訪問する機会を奪い、研修会でアドバイスすることもできなくし、校長からの相談を後回しにせざるを得なくし、もちろん自己研鑽に励む時間も体力もなくさせるのが、この資料づくりなのです。
 それでも、こうした委員会なり審議会なりが、有効に機能しているのであれば救われるのですが、実際には当たり前の結論の「権威付け」の役割や民意を尊重しましたというアリバイづくりにしか役立たないことが大多数である現状を見ていると、こんな会議がいるのか、という根元的な疑問を抱かざるを得なくなってきてしまうのです。
 またこうした現状を違う視点で見てみると、委員さんたちからまっとうな、それでいて予算や期限などの面から実現が難しい提案がなされ、事務局としてその対処に苦労するという事態を避けるために、わざと膨大な資料を提出し、その説明と読み込み、資料の解釈についての質疑に時間を費やし、本質的な議論をできなくさせて、事務局が想定する結論に誘導する、という側面もあります。
 正直なところ、教委勤務時代に、外部委員による会議を開いて、「そんな考え方もあるのか!」と、間から鱗が落ちるような感覚を味わった経験は皆無でした。もちろんこれは私の個人的な体験であり、感じ方に過ぎません。しかし、そもそも教委制度そのものが、素人である教育委員の素朴ながら「民意」や「世間の常識」に即した発想と専門家である事務局の緻密だが偏りがちな発想のよい意味での相乗効果を期待して作られたものです。そこにさらに「外部委員会」を設けることが本当に必要なのか、惰性に流されず、吟味してみることは必要だと思います。
 もっとも、今の教委は首長の直属機関にすぎないというのであれば別ですが。

 

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