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ゆきちゃん通信++tomiの日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日と
母の生活を綴っています。

ゆきちゃん通信 No21 その2

2004年09月30日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2004年9月25日発行

ゆきちゃん通信 NO21


キャンプ

小学校1 年生の時からずっと参加してきた療育キャンプ。
これも今年で最後になりました。

去年のキャンプでは全てのプログラムに参加することを嫌がって泣いて、
スタッフの皆さんに大変迷惑を掛けてしまいました。

そして、キャンプの最終日にリーダーの先生から

「去年まで指示されたことに素直に従ってきたゆきちゃんが、
今年は全て嫌だと言って拒否をしてみた。
でも、結局は全部やらなければならなかった・・・
この経験が来年どんな形になるか楽しみですね」

という、大きな宿題をいただきました。

その今年のキャンプ・・・

出発の前日まで由紀子は

「行かない!!」と、言い張っていましたが、
「最後のキャンプだから!」
「権現山登りは今年で終わりだから!」
という私の説得に最後
は自分で行くことを決めました。

もちろん山登りもやると決めました。

さぁ・・・どんなキャンプになったでしょうか!!


2日目が問題の権現山登りです。

6年生は5キロを歩きます。

由紀子はよほど気になっていたでしょうか、
朝目覚めた瞬間に

「権現山は今年で最後よ!」

と大きな声で叫びました。

そして、出発の瞬間までため息の連続です。(笑)

そんな由紀子の気持ちを奮い起こそうと
リーダーの先生は出発前にみんなの前で
“権現山がんばるぞ!”コールを由紀子にやらせてくれました。

そして出発の時、
去年は泣きながらみんなに抱えられてバスに乗り込んだ由紀子が
今年はまっすぐ前を向いて元気に歩いていきました。

途中で何度も自分の頭を叩いたようですが、
最後まで弱音は吐かなかったそうです。

そして、担当スタッフのY田さんに励まされながら
ついに最後まで歩き通しました。



写真はゴールの瞬間です。

この後、ホテルに戻ってきた時の由紀子の顔が忘れられません。

充実感に満ちた笑顔で、出発前とは別人のようでした。

今まで促されて仕方なく登っていた権現山でした。

でも、今年は自分で決めて最後まで登りきった権現山です。

この時に感じた達成感こそが本物なのだと思わせる笑顔でした。

もちろん他のプログラムもばっちりです。

最後の年少キャンプは母子ともにいい思い出をいただいて
卒業することができました。



今年の担当のY田さんです。
教育学部の学生さんです。


由紀子のがんばりはY田さんのサポートのお陰でした。

2泊3日の間に二人の関係がどのように育ったかは、
この写真の笑顔を見ればわかりますよね。

由紀子が楽しいときも、辛いときも
いつもこの素敵な笑顔で寄り添ってくれたY田さん。
ありがとうございました。

Y田さんとは今でも教育相談に伺う養護学校で
時々会うことができます。

また一人、由紀子の理解者が増えたぞ!と、
喜んでいる母です。


楽しかった修学旅行

9月には修学旅行に行きました。

熊本の阿蘇で一泊二日です。

楽しみにしていた由紀子は
数日前から興奮気味で夜も眠れないほどでした。

当日も「大きなバスで行くよ!トロッコ列車に乗るよ!」と
ニコニコ笑顔で出かけていきました。

阿蘇では嫌いな牛にもえさをやり、
お友達が乳絞をするところを傍で見ることができました。

そして、楽しみにしていたトロッコ列車では
連日の睡眠不足のせいで眠気に襲われて…
でも眠りたくなくて・・・

睡魔と闘っている姿が可愛かったと先生が話してくれました。

その日の夜、お風呂も寝るときも
みんなに助けてもらいながら楽しく過ごしたようです。

翌日は三井グリーンランド。

怖がりの由紀子には乗れないものがいっぱいですが、
M田先生が由紀子にも乗れそうな遊具を見つけて
一緒に乗ってくださいました。



由紀子がいない間、あれこれと心配していた母ですが、
この写真の笑顔を見たらそんな必要はなかったことを思い知るのでした。


編集後記

修学旅行から帰って三日目の事です。

音楽のレッスンに行っていた由紀子が
ちょっとしたきっかけでパニックを起こしました。

その時に「一人で寝るんだよ!我慢をするんだよ!」と言って
泣いたそうです。

何事もなく過ごしてきた修学旅行でした。

帰宅してからもそんな事を口にする事もなく
普段と変わりなく過ごしていたのに、

由紀子が胸の中にこんな思いを抱えていた事を
はじめて知りました。

6年生になって背が伸びて体型も変わり
大人への階段を登り始めている事を感じさせてくれるこの頃です。

そして、キャンプの時のように
いろいろな事を自分で決めて頑張れるようにもなりました。

そんな由紀子にたくましさを感じる母です。

でも、まだまだ心の中では葛藤が続いていることも確かです。

こんな時私はどうすればいいのでしょうか?

それは・・・。

がんばる由紀子の背中を見守ってやる事。

そして、心細くなって振り向いたときに
笑顔でその気持ちを受け止めてやる事・・・。

そんな事しかできないのかもしれません。

見守る事のむずかしさ、寂しさを感じながら
母もまた葛藤の日々が始まっています。

tomi



=END=
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ゆきちゃん通信 No21 その1

2004年09月30日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2004年9月25日発行

ゆきちゃん通信 NO21


忘れたころにやって来る「ゆきちゃん通信」です。(笑)
早いもので由紀子も小学校6 年生になりました。
いろいろな行事に参加するたびに
これが小学校最後だと思って
感慨にふけっている母です。
前回の通信から半年
身体も気持ちも大きく成長した
由紀子の様子をお伝えしたいと思います。


運動会

6 月6 日由紀子の小学校最後の運動会が開催されました。

この小さなスペースには書ききれないほどのいろいろな
思いがいっぱいの運動会になりました。

学級対抗リレーに組み体操。

6年生の運動会は由紀子にとっては
ハードルの高い種目が多くありました。

初めのころは練習に参加することを拒否して
泣いてしまい迷惑をかけてしまいましたが、

クラスのお友達や先生方に支えられて
最後は笑顔で運動会を迎えることができました。

リレーでは大きなハンディをもらって第一走者として走りました。

次の走者にバトンを渡すときには
しっかりビリになってしまいましたが、

クラスの子どもたちは
「ゆきちゃんの分も頑張って1 位2 位を独占する」
と宣言して
その言葉通りワン・ツー・フィニッシュでゴールしてくれました。

組み体操ではなかなか練習に気が向かない由紀子のために
写真の解説書を作ることにしたのですが、
この時もクラスのみんなが一つ一つの動作のモデルになって
写真を撮ってくれました。

担任のM田先生もその写真に合わせて
由紀子にできるポーズを新たに創って、
何度も一緒に練習をしてくださいました。

どうにかして由紀子を楽しく運動会に参加させようと
皆さん頑張ってくれました。

そんな皆さんの思いが由紀子に通じないわけがありません。

日に日に運動会の練習に積極的になって
最後にはピラミッドの土台を立派にやり通すことができました。



この他にも運動会では由紀子は頑張りました。
ここには書ききれませんが、
詳細は由紀子のホームページの「事
件簿」のコーナーにあります。
よろしければご覧ください。


「あなたが好き!」

1学期の終わりに交流学級の3組で
道徳の授業参観がありました。

「あなたが好き」という題で行われた授業で、
4~5 人の班に別れてひとりの子どもに
班のみんなから「あなたの、○○が好き」という言葉を贈り、
その言葉で詩を作ります。

そして、その詩を班ごとに本人の前で発表をするのです。

面と向かって「好き」といわれて
子どもたちはみんな照れていましたが
その姿がとても新鮮でした。

由紀子もお友達に言葉を贈り、
そしていただきました。

その言葉の中に

「自分と戦っているから好き」

という言葉がありました。

みんなの前でパニックを起こして自分の頭を叩いたり、
泣いたりすることもある由紀子ですが、

クラスのお友達はこんな風に受け止め、
理解してくれているのかと思うと胸が熱くなりました。

何処に行っても由紀子はいつも優しい人たちに囲まれています。

自閉症はつらいことも多いけど
みんなに愛されて暮らしている由紀子は
やっぱり幸せなんだと実感させてくれた授業参観でした。





前任のK村先生が転勤されて
新しく由紀子の担任になられたM田先生との学習風景です。

初めて特殊学級の担任になられた先生には
由紀子の障害を理解していただくのに
大変ご苦労をおかけしました。

新学期、担任の交代で私が戸惑っているときも、
根気よく私の話を聞いてくださったことにとても感謝しています。

いつもゆっくり優しく由紀子に接してくださいます。

六年生になって由紀子も身体の大きな変化を迎えましたが、
その時の学校でのフォローは全て先生が引き受けてくれました。

そして、そんな由紀子のために
5組にカーテンを使った更衣室を作ってくださいました。
女性ならでは心遣いにとても感謝しています。

修学旅行で行った遊園地では乗り物に乗るときに
「お母さんも一緒にどうぞ!」と、
係りの方に言われたと笑っていらっしゃいましたが、

それだけ二人の関係が和やかに見えると言うことでしょう。(笑)


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ゆきちゃん通信 No20 その2

2004年03月31日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2004年3月24日発行

ゆきちゃん通信 No20 その2


セッション


2月に由紀子がお世話になっている先生方3人が集まってくださって
音楽のセッションをしました。



会話が苦手な由紀子ですが
音楽でならばコミュニケーションの輪を広げて行く事ができるはずだと、
みなさん思ってくださっています。

その3人の先生に囲まれて、
一緒に音楽を楽しめた幸せな時間でした。

音楽を一人で楽しむだけでなく、
たくさんの人と楽しむ事ができるようになってくれる事を願っています。


その3人の先生方の紹介です

S木先生


交流学級の担任の先生です。
由紀子をクラスの一員としてしっかり受け入れてくださいました。

いつも少し離れた所からクラスの子どもたちと由紀子の関係を見守っていて
関係が崩れそうになると素早く対処をしてくださいました。

由紀子に障害があってもそれを特別な存在とせず、
自然体で関わってくれる3組の空気は
先生の姿勢そのものでした。

由紀子がパニックを起こすたびに5組まで来て、
私にその原因を確認してくださいました。

由紀子を理解しようとしてくださる気持ちが伝わってきて
本当に嬉しかった母です。

1年間ありがとうございました。


H崎先生



由紀子に音楽のレッスンをしてくださる先生です。
月に一度JRに乗って先生の所までレッスンに通っています。

音楽は好きなくせにこだわりも強い由紀子は
先生とレッスンを始めた頃、
泣き叫んでピアノの蓋も開けさせないほどの抵抗をしました。

何もレッスンできないままで終ってしまうことが数回続きましたが、
先生は由紀子の中の可能性を信じて根気強く接してくださいました。

そして今では由紀子も心を開いて
一緒に音楽を楽しめるようになりました。

あのひどいパニックを潜り抜けてできた関係です。

きっとこの先長く由紀子の音楽の世界に関わってくださると思います。


K村先生



由紀子が大好きな担任の先生です。
この1年間不安定だった由紀子をしっかり支えていただきました。

由紀子の障害を丸ごと受け止めてくださって
いつも由紀子が落ち着けるように配慮をしてくださいました。

先生と一緒なら頑張れる事がたくさんありました。

由紀子の成長の芽を見逃さず
いろんな事に挑戦させてくださる先生で
パソコンが好きだとわかると将来に役立つようにと、文章入力
を指導してくださいました。

今では一人でワードを使って長文の入力ができるようになりました。

先生との関係は由紀子の描く絵の中にもしっかり表れています。

以前は絵の中に由紀子だけしか描かれる事はなかったのに、
夏ごろからはいつもK村先生が一緒に描かれるようになりました。

私ですら頼まなければ描いてもらえないのに…。
これは母のひがみです。(笑)

さようなら先生!

こんなに好きな先生なのにお別れをしなくてはならなくなりました。

3月は由紀子にとって本当に淋しい時です。
この数年ずっと大好きな人とお別れをしてきました。
だから、今回も由紀子は早い段階から
先生との別れを感じ取っていたようです。
必死に先生との別れから目をそらそうとしている姿がかわいそうです。

いっそ泣いてくれれば早く立ち直れるのに・・・と思う母です。

先生!
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。


編集後記
転校をして一年が過ぎようとしています。
思春期の由紀子の変化に振り回された一年でした。

そして、もう一度由紀子の障害について
見直しをする事ができた一年でした。

自傷が始まり、こだわりが強くなっていく由紀子を見て、
自閉症がどれほど暮らしにくい障害かということを
再認識させられました。

そんな時に主治医の先生や、K村先生が
私の話を聞いて支えてくださいました。

だから、ここまで頑張って来られた。

そんな気がしています。

この時期に長崎に来る事ができて本当によかったと思っています。

だた、由紀子と私を支えてくださっていたK村先生が
転勤されることになりました。

受け持っていただいた時から
一年で転勤かもしれないと聞いていたので
覚悟はしていましたが、
本当に幸せな一年だったので、
「あと一年・・・」、と思わずにはいられませんでした。

別れと出会いを繰り返して由紀子の理解者が増えていくのだ!と、
今年も自分に言い聞かせている母です

=END=
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ゆきちゃん通信 No20 その1

2004年03月31日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2004年3月24日発行

ゆきちゃん通信 No20 その1


通信の発行が遅れている間に
また春がめぐってきてしまいました。

長崎に来て2度目の春です。

去年は転校という大きな変化の中で
自傷行為が始まってしまった由紀子ですが、
さて、その後は・・・。

今回は5年生の由紀子の様子を
まとめてお伝えしたいと思います。

また2枚になっちゃいました。(笑)


障害って・・・・。


転校のストレスと思春期の揺れからか
自傷行為が始まってしまった由紀子ですが、
前回お伝えした通り生活のパターンを整える事で
ひどい自傷はなくなりました。

今でもパニックを起こすと頭を叩きますが、
まわりの人に静止されると
「ごめんなさい!」と言ってやめるようになりました。

自分でもやめなくてはいけないと思っているようです。

自閉症の人にとってはストレスの塊のような環境の中で暮らして、
イライラが溜まるのは理解できますが、
自傷は由紀子にとっても、
まわりにとっても辛すぎる行為です。

できたら頭を叩く事ではなく
他の方法で湧きあがるイライラを
発散できるようになってほしいと思っています。

他にも思春期に入って
自閉症の特徴が強く出るようになってきました。

もともと音に対するこだわりを持っている由紀子ですが、
給食の時間に放送されるお話のテープを聴くと
箸を持てないほど動揺するようになりました。

耳を押さえて最後にはパニックをおこします。

先生方と何か方法はないかと話し合いをして、
とりあえず放送の日だけ別室で給食を取ることにしました。

その後、主治医の先生のアドバイスで
ヘッドホーンを試してみることになり、
それがうまく行って今では聞く事のできない放送の日に限り
ヘッドホーンをつけて、
好きな音楽を聴きながらみんなと給食を食べています。



まわりの子どもたちの反応が心配でしたが、
子どもたちは由紀子の障害はそういうものなのだと
よく理解をして当然の事のように受け入れてくれました。

聞くことができない音があるのは自閉症からくる障害です。

以前だったら、
音に慣らす事や我慢をさせる事を考えたかもしれませんが、
今は由紀子の障害は我慢だけでは乗りこえられないと思っています。

由紀子が我慢をしてくれれば、まわりは楽ですが
我慢だらけの生活を送る由紀子はどれほど辛い事か、
それを今頃になって気がついた母です。

これからは、どうすればこだわりを和らげる事ができるか、
その事を考えてやりたいと思っています。


空を飛んだ日

西部地区の特殊学級交流遠足に行って、
初めてロープーウエイに乗りました。

事前に家族で下見に行った時に
怖くて乗れなかったので心配をしたのですが、
大好きな担任のK村先生と一緒なら大丈夫だったようです。

窓から外を見て

「ハクに乗ったの!」

と感激をした由紀子です。



ハクとは「千と千尋の神隠し」に出てくる竜のことです。
気分はすっかりハクの背中に乗った千尋です。(笑)


きれいな物

平和学習で原爆資料館や平和公園へ行きました。

原爆や、平和の意味を理解できない由紀子に
この日の目的を持たせるために先生が考えてくださったのが
写真を撮るということです。

お題は「きれいなもの」です。

平和公園で由紀子が見つけたきれいな物はこの千羽鶴でした。



この他にも花や風景の写真がたくさんありました。

そこには由紀子が感じたきれいな物がいっぱい映し出されていました。

この写真を見ながら由紀子に何を撮ったのかを聞いたら、
笑顔で一言「たなばたさま!」と答えました。

そう言われれば、そう見えないこともないけど…(笑)


やせました!!

ぽっこりお腹がトレードマークだった由紀子ですが、
秋から冬にかけてダイエット大作戦を決行して
5キロの減量に成功しました。

去年の春の血液検査で『脂肪肝の疑いあり!』と、
恐ろしい結果が出ていましたが、
先日行った検査では『異常なし』でした。

由紀子も2月で11歳になりました。
身長も一年間で7センチも伸びてすごくお姉さんになりました。

どうやってやせたのか?

それは秋に家に戻って来ていたねーねーの功績です。

母は相変わらず

♪ダイエットは明日から~~!♪

です。
ポリポリ (・・*)ゞ






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ゆきちゃん通信 No19 その2

2003年08月01日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2003年8月16日発行
ゆきちゃん通信No19


☆ 新しい学校☆


ゆきこが転校したのは長崎の西町小学校です。
住宅街の中にある静かな学校です。
担任の先生は5組(特殊学級)がK村先生、3組がS木先生、
共に男の先生です。

新しい環境で不安定な由紀子をどう受け入れたら
安定できるか二人の先生がたくさん話し合いを重ねて
工夫をしてくださいました。

突然パニックを起こす由紀子に戸惑う事も多かったと思いますが、
その度にどうしてパニックを起こしたのかを私に確認をとりながら
一つ一つ対応を考えてくださいました。

そんな先生方の姿は子ども達にもどんどん反映して、
初めの頃は由紀子の独特の世界に戸惑っていた子ども達も
いつの間にか接し方を学習して
由紀子を包み込んでしまいました。

由紀子の方も初めの頃は爪から血が出るほど噛んで
不安を紛らわせていましたが、
1学期が終る頃には学校の中にしっかり居場所を見つけて
以前のように笑顔で過ごせるようになりました。



ある日S木先生が

「みんなは由紀ちゃんをかわいいと言うけれど、
それは妹のような感覚でかわいいのか?」

と言う質問をクラスの子ども達にすると、
みんなは当たり前のように

「友達としてかわいい」

と、答えたと言います。

「バリアフリー」・・・その本当の意味を子ども達
に教えてもらったような気がして、
転校先にこの学校を選んで本当によかったと心から思いました。


教材を変えてもらって家庭科の授業にも参加しています。


☆ 性教育☆

早いもので由紀子も10歳になりました。

障害のせいで行動が幼い為
ついつい小さな子どものような扱いをしてしまいがちですが、
最近、思春期特有の不安定さが目立つようになりました。

身体の変化も近いかもしれません。

由紀子にその変化をどのように教えたらいいのか・・・
それが、この1年ほど私の最大の悩みでした。

いろいろな講習会に参加をしたり、
相談をしたり、私なりに努力をしてきましたが、
なかなか糸口がつかめずにいました。

でも、転勤を期に由紀子の主治医の先生が
性教育をしてくださる先生を紹介してくださいました。

現在は月に1度のペースでゆっくりと性について勉強をしています。

今はプライベートゾーンについて・・
人の身体には他人に見せてはいけない部分があるという事を
繰り返し、繰り返し教えてもらっています。

普通なら5年生になれば
自然と着替えの時に他人に裸を見られないように工夫するのですが、
由紀子のような障害を持つ子は回りに人が教えなければ
羞恥心はなかなか育たないようです。

学習を始めて2ヶ月おかげさまでお風呂上りは
脱衣所でパジャマを着なければ居間に出てこなくなりました。

たまに私がのぞきに行くと胸を隠して
「見ないで!だめよ!」
と独特のアクセントで言います。

まだぺっちゃんこの胸ですが、大切な場所です。O(*^▽^*)o

まだ、本当の意味が解った訳ではないでしょうが、
ゆっくりと自分の身体を大切にする事を
解ってほしいとねがっています。


写真は医学自習用の赤ちゃんのお人形を抱かせてもらって
愛しそうな由紀子です。


自 傷 行 為

4年生になった頃からでしょうか、
由紀子の生活の様子がだんだん変わってきました。

音に対する過敏さがひどくなったり、
内面から沸き上がって来るようなイライラで急に泣き出したり、
自分で感情のコントロールをするのが難しくなって来たようです。

そして、5年生になった今
ストレスを感じると自分の拳で頭をガンガン叩くようになりました。
自傷行為の始まりでした。

自閉症の人には自傷行為をする人が多い事は知識としてありました。
でも、まさか由紀子が
そうなるとは思っていなかったのでショックでした。

由紀子本人が一番辛い事は解っていますが、
そばで見ている家族もその光景を見るのは
とても辛くて悲しいものです。

腕をつかんで止めさせても抱きしめてやっても
その場しのぎで根本的な解決方法ではありませんでした。

そこで、主治医の先生に相談をして
生活そのものから見直す事になりました。

写真を使って1日のスケジュール表を作って
生活のパターン化を図ったり、
必要以上にテレビをつけないようにしたり、
寝入りばなに一人でいると不安定になりやすい事が解ると
添い寝をして気持ちを安定させるようにしました。

添い寝については正直、
せっかく自立させたのに・・・という思いもありましたが、

先生の

「今は自立よりも自傷を起こさない事の方が大事。
後退したものはまた取り戻せるから・・・」

という言葉で今は自傷と向き合っていこうと気持ちを決めました。

その家族の協力と努力のおかげで
外因性のストレスからの自傷はずいぶん少なくなりました。

でも、まだ内面から起こるイライラからの自傷は続いています。

これは由紀子が成長をして自分でコントロールできるように
ならなければ治まらないのかもしれません。

だんだん変わっていく由紀子の自閉症を前にして、
由紀子が抱えている障害はこんなにも
辛くて生活しにくいものだったのかと
今さらながら思い知らされたような気がしている母です。



編集後記

転勤をして長崎に来てから
懐かしい人たちにたくさん会う事ができました。
療育センターでお世話になった先生方、
一緒に療育をがんばったお母さんたち、
そして、毎年キャンプでお世話になっているボランティアの皆さん・・・
もう何年も会っていない方もたくさんいたのに
皆さん時間を感じる事なく声をかけてくださいました。

それは間違いなくこの通信のおかげでした。

いろいろな所でお世話になった皆さんに
いつまでも由紀子の事を覚えていてほしいと思って
発行を続けてきたこの通信でした。

そんな私の思いが皆さんに伝わっていた事に
感激しています。

今度は福江でお世話になった皆さんに向けても
この通信を発行して行かなければ・・・
そう思っています。

でも、そのわりには発行が遅いではないか・・
と、お叱りを受けそうですが、
これからもがんばって発行をしたいと思っておりますので
どうぞお許しを・・・(笑)
tomi



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