YSCCのYSCCによるYSCCからの魂の叫び!!

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赤穂浪士・・覚悟

2010-12-14 06:24:04 | Weblog
本日の東京地方の最高気温は、
19度と予報されています。
ジェットコースター並みに気温が乱高下。
体調管理がしずらい2・3日ですが、
風邪などひかないように十分ご配慮ください。


さて、本日は、四十七士討ち入りの日,忠臣蔵の日です。

1702(元禄15)年のこの日、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、
主君の仇討ちを成し遂げました。

1701(元禄14)年3月、江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・
浅野内匠頭長矩[あさのたくみのかみながのり]が、
幕府の礼式を司る高家[こうけ]筆頭の吉良上野介義央[きらこうづけのすけよしなか]に
小刀で切りかかるという事件が起きました。

大名が殿中であることも憚らず、こうした行為に至った背景には
日頃の恨み、遺恨がそうさせたようです。

浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられましたが、
吉良には一切のお咎めがなく、これが事件の発端となりました。

家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、
翌年12月14日寅の上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろですが、
当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日)、
大石内蔵助[おおいしくらのすけ]の率いる47人が、
本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入り。

2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取ることができました。
世論は武士の本懐を遂げた赤穂浪士たちに味方しましたが、
幕府は翌年2月4日、一同切腹という処置をとりました。

藩主に対する思いがそうさせました。
善を信じて決死の覚悟で行ったこの事件が
語り継がれる理由の一つは、「思いや覚悟」何だと思います。


覚悟がないところからは何も作り出せませんね。




コメント
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