今、改めて問う創価学会・公明党 (内藤国夫 1995/4 五月書房)
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証人喚問阻止への右往左往
「仏法は勝負」が口癖なのに裁判は連戦連敗。
身勝手な「信教の自由」コールが虚空に響いて
九四年十月十一日午後、NHKテレビによる国会中継は、なかなかに見応えがあった。自民党の深谷隆司氏と、その関連質問で立った川崎ニ郎氏が創価学会問題を採りあげ、政府の見解を質したのである。
ただし、これは質問するのが目的であるよりも、衆議院の予算委員会質疑を通じて、創価学会問題の重要性を国民に告知するのが狙いであると、直ぐに理解できた。旧連立政権の細川、羽田両内閣時代であれば、答弁席には石田幸四郎委員長以下の公明党出身閣僚が坐っており、直接追及するのが可能であった。しかし、自社さ政権が誕生した今は、創価学会問題で政府を糾弾しても意味がない。せいぜいが、「不当な人権侵害や不法行為が行われないよう、厳しくく監視せよ」--と叱咤激励するしかないだろう。
そこで自民党が考えついたのは、目標を池田大作氏の証人喚問実現に定めて、予算委質疑を国民への告知の場と化すことだった。政府の見解を質す形をとりながらも、実は、政府答弁をあまり重要視せず、質問を通じて長々と演説したり、関連資料を読みあげ、創価学会問題の重要性と深刻さを広く国民に訴えようとしたのである。
とりわけ関連質問に立った川崎ニ郎氏に、その姿勢が顕著であった。川崎氏は自民党の中国に通じた熱血政治家として知られた故川崎秀ニ氏の子息で、政治家三代目。父親の選挙地盤を継ぎ、すでに当選四回を重ねる中堅政治家。必ずしも創価学会問題に通じたベテランではない。
日蓮正宗のことを「二チレンセイシユウ」(正しくは「ニチレンショウシュウ」)と何回も呼び間違いをしたことにも、にわか勉強ぶりが感じられた。関連質問に立ったのは、自民党の創価学会問題追及ダループの要請に応じたもの。自民党が組織ぐるみで集めた創価学会関連情報を、自民党を代表して質問したのが真相のようである。
従って、川崎氏本人は、日蓮正宗が九四年七月に挙行した「六万人総登山」についても、今回の集中勉強までは知らなかったとか。ましてその総登山を創価学会が“粉砕”しにかかったなどは知る由もない。それだけに驚きもしたようだ。「破門されて、もう別の組熾となった日蓮正宗の集会を妨害し、粉砕を図るとは何ごとか。そんなことをしておいて、“信教の自由を尊重する”などと、よくぞ言えるもの」と憤慨なさったらしい。
一つ一つ資料をふりかざしながら、こういう問題もある、この点についてはどうかと指摘し、糾弾する姿勢から、質問者自身が創価学会問題のひどさに驚き呆れる率直な様子が感じられた。
それなりの説得力を覚ええたのは、筆者一人ではなかろう。自民党の戦術としては、創価学会問題を国会審議の重要テーマと位置づけ、今後も操り返し採りあげて、最終的には池田大作氏の証人喚問実現にこぎつけるつもり。
◆モノ扱いの学会票
対するに、創価学会の側も池田氏の証人喚問断固阻止を最重点課題とする。そのために、「権力による宗教への介入に反対する」「“信教の自由”を侵害する宗教弾圧に厳重抗議する」緊急集会を全国各地で一斉に闇催するあわただしさとかしましさ。その一方で、創価学会員票を自民党候補にも回すとの“人参作戦”をちらっかせており、ここ当面の焦点は池田氏の国会証人喚問是か非かに絞られそうだ。
十月十一日の衆議院予算委員会質疑では、深谷隆司氏が、池田大作氏の名前を特定せずに、「宗教団体の最高責任者が“創価学会は、政治にかかわることをやめません”などと報道関係者とのオフレコ懇談でかなりの発言をしているようだ。自民党の証人喚問要求は理由があってのことである」と『週刊文春』記事(九四年十月六日号)に触れるかたちで言及した。
このオフレコ懇談は九四年九月十四日夜、新聞、通信社記者とNHK放送記者の十人を相手に、創価学会側が持ちかけて行われた。
「池田大作名誉会長“理想は自公”と大放言」
「“闍将軍気取り”を許せるか」(以上、『週刊文春』)
「池田大作名誉会長がオフレコ懇談で言いたい放題」
「“小沢はアマちやんだ”“市川にはもっと苦労してもらう”」(以上、『週刊宝石』十月十三日号)
懇談会に出席した記者たちは、久々の“大作快(怪)気炎”を本職の舞台では伝えず、週刊誌記者や自民党幹部にリークすることで池田氏の期侍にしっかりと応えた。
池田氏が数カ月来とり続ける基本姿勢は、首を引っ込めて、証人喚問要求の嵐のほとぼりがさめるのを侍つことである。しかし、生来の目立ちたがり屋サンのため、じっとしているのが、大の苦手。おまけに宗鬥支配を試みたと同じように政治権力も自由に操りたい、操れるとの過信と錯覚の待ち主である。そのうえに决断の速さだけは人並み外れる。
「自民党を敵に回したくない。こちらが秋波を送れば、向こうも喜んで応ずるはず。記者懇を開いて、エールを送ってみょう」
そう思いついたら、もう矢も楯もたまらない。会長を秘書扱いして「オイ、秋谷、記者懇を早くセットしろ」と厳命する様子が目に浮かぶ。
池田氏が自民党に一番伝えたいメッセージは、「私の理想は、もともと、自公両党による政権づくり。行きがかり上、公明党は新・新党結成に協力させるが、学会票は丸ごと回さない。入物本位とし、自民党候補者にも回します。だから証人喚問問題ではお手やわらかに顧います」--に尺きる。
記者懇の以前にも、秋谷会長が、「創価学会による公明党の単独支持を見直す」--と発言し、伏線をしつかりと敷いてある。
記者懇の内容が明らかになったあと、野崎勲副会長が重ねて、「自民党を含め、党派を超えて良い人があれば、人物本位で支持する」--と強調してもみせた。
これらの発言に共通するのは、学会票のモノ扱いである。学会首脳の意向次第で、学会票を右にでも左にでも動かせるとの前提に立つ。池田氏による公明党の私物化が問題にされる折、票までを私物化しておかしいとは思わないのだ。
◆薄い有難味
さて、しかし、自民党議員が票欲しさから、この“人参発言”に飛びつくかどうか。
「学会票を回して貰うのに、意外と多額のカネがかかった。しかし、かかった割に、票は回ってこなかった。学会票に期待するのは間違いだとわかった。もうコリゴリだ。学会票プレゼントの誘いには、もう乗らない」
自民党議員の多くが、経験談をこう語り合って、票の取り引きが、ソロバン勘定に合わないことを確認済みである。
従来の中選挙区制度のもと、公明党が独自候補を擁立するのは百三十選挙区のなかて六十選挙区を上回ることがなかった。つまり七十選挙区以上が常に公明党空白区であった。創価学会と公明党はこれらの選挙区で表向き、学会員の自由投票を掲げながら、裏に回ると、複数の候補者陣営に対し“学会票の横流し”を持ちかけるのが常だった。どちらにするかと散々じらしたあと、投票日直前、見返りの大きい陣営に「オタクに回すことにした」と、こっそり告げるのである。
しかし、学会票の支援で当選が可能となった事例は、過去に、千葉二区の実川幸夫、静岡ニ区の杉山惠夫、参院選高知選挙区の平野貞夫の各氏(いずれも新生党)らに限られる。コストばかりかかって、“有難味”は薄いのが実情である。
自民党議員にとって、これまでは公明党・創価学会批判がタブー視されており、こういう経験談交流もあり得なかった。しかし、九三年の公明党与党入りによって、状況はサマ変わりした。
深谷議員が、あえて池田氏の記者懇発言に言及したのは「そんなエサに、自民党はもう引っかかりませんゾ」との意思表示でもあった。
自民党議員の心変わりを池田氏は、まだ自覚していないらしく、週刊誌報道で伝えられる大言壮語癖は相変わらずである。記者懇の席上でも、
「他の党を見渡してみて下さい。組織を持ってる党なんてありますか。うちだけですよ。みんな、うちをあてにしてるんですよ。新・新党の結成は、つまるところ学会しだいでしょう」
「新・新党はできるが、いずれ解散する。過渡的なものです」--と党首ばりの政局予測をしてみせた。
かと思えば、小沢一郎氏を評して、--
「彼は、ちょっと性急だね。物事には“待つ”ということがある。しかし、彼は功績を焦り、待つことをしないで、性急にどんどん事を進めていく」
「私なら待つべき時は待つ。彼と私との違いでしょう」--と、まさしく言いたい放題。
本当に「待つ」ことを知っているならば、この時期の記者懇などを買って出ないはずである。
自社蜜月時代の今、自民党にいくら秋波を送つても効果のないことを少しもおわかりにならないのだ。
自民党による証人喚問要求が気になって仕方がないのだろう。問われもしないのに、征人奐問への嫌悪感を何度も自ら口にした。
「私はもう、日本の政治は眼中にないです。私が眼を向けているのは、世界です。日本では何を言われてもいい。 証人喚問だって、なんともないんです。だって私は、何も悪いことをしていないんだから」
と強がりを言いながら、
「小渕恵三さんも、“池田を証人喚問するだと! ふざけたことをぬかすな”と、これくらい言えば、大物の証なんですがね」
「今の政治家はみんなアマちゃんばかりで、会う気にもならんよ。大物がいないな。小物とは言いませんが、中物ばかり。そんなこと言っていると、また証人喚問ですからね。まったく細かいことをぐじやぐじやと責めたてる。ひどい時代ですよ」
と嘆いてもみせる。
---------(200P)-------つづく--