創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

内藤国夫の池田公明党-31

2016-05-30 09:16:53 | Weblog

今、改めて問う創価学会・公明党 (内藤国夫 1995/4 五月書房)
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◆A代表はチャランポラン氏
 公明新党Aの代表に起用されるのは、東京都議会議員団長を務める都議九期目の大べテランである藤井富雄氏になるらしい。公明党の定年規則(六十六歳以上の議員は存在しないようにする)を無視すること二回。大正十三年八月生まれで、七十歳の現在も藤井氏一入だけが現役議員でいられるのは、池田氏の信任がそれだけ厚いことを意味し、新党代表に就任するのも、池田直轄人事であることを物語る。
 藤井氏が何故、池田氏から重用され、特別扱いを受けるかというと、池田氏に完全に屈伏し、池田氏の命令とあれば、どんなことであれ、百パーセント従う、つまりは池田好みの入間だからである。敗戦後の貧乏どん底時代には“笹の葉”を売り歩いたり、タクシーの運転手をしたこともある。神経が太い“呑気者”というか、どういう状況になっても苦にせず、批判的にモノを考えないタイプ。
“チャランポラン藤井”が党職員たちのつけた渾名。深刻がらず、何でも適当にこなす性癖を皮肉ったものだ。ある時期まで竹入義勝氏(元委員長)の忠実な部下だった。数年前、池田・竹入の人間関係が悪化したとたん、いともあっさり、何の迷いもなく竹入氏を見捨て、長年の親密な関係を絶った。
 自分の意見を待たず、こだわりのない点では、石田幸四郎委員長と似たタイプである。石田氏にしても、青年時代、相思相愛の仲の女性がいたのに、池田氏から別の女性との結婚を勧められると、さっさとそちらに乗り替えて命じられるままに結婚した。池田氏は配下の人間の、こういう絶対的服従資質を冷静に観察し、安心できる屈服者のみをキーポストに起用するのである。
 藤井富雄氏は今後、池田氏の言いなりに、公明新党Aを操縱するに違いない。
 忠臣・藤井氏に比べると、前委員長の矢野絢也氏は、大作好みのタイプとやや異なる。
「矢野はずるい。人間的に信用できない」とマイナス評価しながらも若くして書記長、さらにしびれを切らしてから委員長にも起用したのは、公明党内では稀少価値の才能を買ったせいである。
 そして定年到達以前に、惜し気もなく切り捨て、使い捨てた。
 組織依存の政治家稼業から個人営業の政治評論家に転じた矢野氏は、持てる才能を遺憾なく発揮してペンが冴え渡る。とりわけ『週刊文春』に連載中の「永田町裏ガイド」は回を重ねるごとに興趣が深まる感しきり。「一・一」ラインの政局への判断ミスを「A級戦犯」と厳しく叱りつけ、公明党の解党を「自繩自縛」「踏んだり蹴ったり」として無念の思いを書き記す。
 ベンだけでなく、 口も達者である。
 十一月十日には、自民党小渕派の勉強会で講演し、「創価学会は“一・一”サンと抱き合い心中するつもりはない」「自民党もあまり創価学会を蹴とばすようなことはなさらない方がよい」と熱弁を振るった。
 政界を引退して自由の身になったとはいえ、矢野氏のこれだけの闊達な評論活動は、池田氏のお墨付なしにはあり得ないこと。「一・一」だけに任せておくと、創価学会本体がダメージを受けかねないとの危惧のもと、自民党との修復役を買って出たものと思われる。
 例の「裏ガイド」でも「政治構造のねじれに巻き込まれた創価学会」への懸念を表明し、「犬猿の仲と化した自公関係」を嘆いてもみせる。学会員票を餌にして、自民党を再び釣り上げようとする点では、池田氏と矢野氏が二人三脚を組んだようにも思われる。

◆影が薄くなつた市川書記長
 もっとも、それでいて学会関連機関誌には矢野氏の“老醜”や“未練”を痛烈に批判する読者の投書が掲載されており、池田・矢野両氏の人間関係がしっくりいっていないことを窺わせる。
 創価学会の投書の場合、ほとんどが“やらせ”で、執行部の意向を反映したものであるからだ。
 両氏のホンネに通じた公明党古参幹部が解説する。
「池田は基本的に矢野クンを信用していませんからね。自民党との修復役に矢野クンを使うのは、ポーズだけ。別ルートで本人自らが接触しているはず。矢野クンにはこれが不満で、彼の評論活動は“自分をもっと活用せよ”とのデモンストレーションにすぎません」
 矢野氏が健筆を揮う割に、もう一つ説得力に欠けているのは、言動に生臭さがつきまとっているからだろう。早すぎるリタイアのため、“枯れる”ことができない。創価学会の尻尾つきのため、「政界のご意見番」になりきれないのだ。「才子才に倒れる」とか「策士策に溺れる」ことのないよう、この機会に要望しておきたい。
 池田氏との関係が、矢野氏よりもっと微妙になったのが市川雄一氏である。池田氏が「一・一」を見限ったわけではないが、「一・一」頼りにならずとの苛立ちを強め、市川氏を突き放すようになったからだ。池田氏の全面支援があったからこそ、市川書記長は党内きつての権勢を誇れた。
 池田氏による市川使い捨ての日が近いとわかり、もともと人心掌握力の乏しい“エキセン(偏屈)男”のことだから、党内の人気はガタ落ち。命令調の発言がすっかり鳴りをひそめるようになったという。要するに影が薄くなったのだ。
「エキセン男」の命名者である竹入義勝氏や矢野絢也氏は、市川氏の性格の激しさ故に、いずれ創価学会に弓を引くと危惧を語り合ったものである。カッとなると、何を仕出かすかわからない危険人物というわけだ。使い捨てに際し、黙って引き下がるかどうか、けだし、見ものだろう。
 強固なスクラムを誇りにした「一・一」の間にヒビが入るのも、時間の問題である。矢野氏の「裏ガイド」によれば「小沢氏は“学会票を回してあげるから”を殺し文句に、候補の引き抜きをやっている」そうだ。創価学会が本当に「政党支持の自由化」に踏み切るとすれば、せっかくの“殺し文句”が使えなくなる。いや、それだけでなく、創価学会のバックアップを失えば、小沢氏の権力そのものが落日の時を迎える。
 池田大作氏と創価学会が「政党支持の自由化」サインをしきりに出した主目的は、自民党に向けての修復願望表明であるが、もう一つの秘められた狙いは、小沢氏に対して「そうそう言いなりにはならないゾ」との牽制球でもある。一筋繩では行かないところが、池田流儀の真骨頂。小沢氏は、いずれ、いやというほどに池田氏の冷酷さを思い知らされるだろう。

◆決定していない新方針
 さて、創価学会は毎日“スクープ”記事の予告どおり、十一月十日、総務会を開いて、「今後の政治に対する基本的見解」を決定した。一般紙の報道によれば「比例代表では公明新党Bの合流する新・新党を支持するが、小選挙区や参院選選挙区では人物本位で支持を決め、自民党支持もあり得る」ことにしたという。
 ところが驚いたことに翌日の「聖教新聞』を隅から隅まで読んでみても,比例代表と小選挙区とで支持を使い分けるなどとは一言一句触れていない。狐につままれるような思いで、どうして決定内容が達うのか、その謎を追った。
 聖教報道によれば「基本的見解」の内容は「これまでの公明党一党支持を見直し、特定の政党を常に支待する立場はとらず、フリーハンドで臨み、選挙ごとに、その都度、態度を決めていくこととする」とされる。そして「今後の選挙における支持の基準については、候補者個々の政治姿勢、政策、人格、見識、これまでの実績、及び学会の理念に対する理解などを考慮して、人物本位で判断する」とのこと。
 さらに具体的な支持決定に関しては「中央会議またはこれが設置する中央、方面及び県本部の各『社会協議会』において、慎重に検討のうえ行う」ことになった。「基本的見解」では、このほかに「ただ、学会員個人個人の政党支持は、自由であることを再確認しておきたい」と付け加える。タテマエとしては、政党支持を押しつけたりしないというわけだ。
 この総務会決定を受けるかたちで、創価学会は同日、中央会議を開き「新・新党」と「公明新党A」に対する「支持」と「支援」の態度を決定した。つまり、新・新党に対しては「公明党が参加する経緯もあり、当面、国政選挙においては原則として支持する方向で検討していく」一方で、公明新党Aに関しては「庶民の生活に密着した“草の根”の地方政治を推進していくとの結党の趣旨を尊重し支援していく」という次第。
 十一月十一日付けの朝刊で一般紙が一斉に報じた「比例代表は新・新党を。小選挙区は人物本位で」との“新方針”は、総務会でも中央会議でも正式に決められていないようなのだ。
 決めてもいない比例代表と小選挙区の使い分けを、新聞各紙が何故書き立てたか。
 中央会議決定のあとの記者会見で、報道陣の質問を受け、秋谷会長が世間受けを意譏して、そう喋ったからである。
 直前の総務会では「支持決定は中央会議や各地の社会協議会で行う」と決定しておきながら、創価学会の実態は、池田大作氏の一存でどうにでもなる。総務会とか中央会議とかは形式的な力ムフラージュ機関でしかない。
 だから、池田氏の意を受けた秋谷会長は、中央会議にも諮っていない池田構想を記者会見で、あたかも決定事項であるかのように発表したのである。
 憤懣やるかたない口調で公明党本部職員が告発する。
「結局、創価学会は世間をなめてかかっているのですよ。記者会見でもごまかしを平気で言う。“人物本位”とは、池田に“ヨイショ”する人間との意味ですしね。今回に限らず、いつだつてそうなのです。何回嘘をつかれても、怒ろうとしない報道陣だって、どうかしている。なめられているのがわからないのですかねえ」
 本部職員氏によれば、創価学会の戦術・戦略は、世間を引っかき回すこと。学会票がどこの政党に優先配分されるかによって、日本の政治を自在に動かせると驕り高ぶつているというのである。
「学会員個々人の政党支持の自由」にしても、昔から一貫して世間を欺き続ける。
「だって、出版妨害事件を池田会長が世間に謝罪した時にしても“猛省する”という、心にもない言葉を使い、“学会員の政党支持は、従来どおり自由であり、会員の自由意志に全く干渉するものではない”と断言した。表向きは“政党支持の自由”、実態は“政党支持の拘束”を創価学会が変えたことは一度だってありません。世間の人々がなめられっぱなしなのです」
       ---------(228P)-------つづく--

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