創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

内藤国夫の池田公明党-28

2016-05-27 08:07:20 | Weblog

今、改めて問う創価学会・公明党 (内藤国夫 1995/4 五月書房)
       ------(200Pから、以下本文)-------

◆「亀井を撃て」
 証人喚問要求を初め、自民党による創価学会批判の急先鋒は亀井静香運輸大臣。創価学会・公明党は自民党との復縁を願いながらも、亀井氏だけは許せないとする。村山内閣攻撃にしても、ターゲットを亀井氏一人に絞り込んだ。閣僚辞任に追い込むべく、公明党は、スキャンダル捜しに躍起である。
「亀井を撃て。力タキを取るんだ」
 そう厳命してやまない池田氏は、記者懇でも亀井氏への憎悪をむき出しにした。
「愛知県の参院再選挙で、亀井が選挙応援に出かけているのをテレビでたまたま見たんです。それでムカッとして、学会の選挙応援につい力が入つてしまった」
 亀井氏は閣僚入りして「政治権力」の座に就いた。そのために創価学会批判は、しばしの休戦状態である。しかし、亀井氏が抜けたあとの「憲法二〇条を考える会」の代表代行には、論客の白川勝彦氏が就任し、国対委員長の島村宜伸氏や若手の衛藤晟一氏らと協力、創価学会追及の材料捜しに余念がない。
 白川氏は社会党の伊東秀子、金田誠一氏らと組んで「リベラル政権を創る会」を結成し、自社さ政権づくりの突破口を開いた人で知られる。強権政治の「一・一」ライン復権を阻止するためにも、つい創価学会批判に力が入るわけだ。その白川氏と無二の親友であるのが、川崎ニ郎氏という人間関係。その関係が今回活用された。
 深谷発言を受けて関連質問に立った川崎二郎氏は、創価学会員による嫌がらせ電話殺到に備えて、あらかじめ自宅などの電話番号を変更するほどの覚悟と準備を積み重ねた。そして質問をまず、こう切りだしたのである。
「国会の予算委や政治改革委で,この一年ほどの間に十八人もの議員が“政治と宗教の問題”を採りあげている。そして十八人のいずれの質問でも“政教一致の深まり”を指摘しているのです」
 川崎氏は復習するように十八入の議員が指摘した政教一致の実態や脱講運動と称する人権侵害、放火、暴行、寺院襲撃等の数々の事例をあらためて列挙した。
 川崎氏は、その狙いについて説明する。
「十八人もの議員が国会で問題としているにもかかわらず、新聞、テレビのマスコミが少しも報道していない。強いものから逃げてしまっている。それで私は創価学会の実態を国民の皆さんに知ってほしいと願い、テレビ中継されていることでもあり、あえて総ざらいしたのです。政治とは大衆の理解を得ながら、大衆に向かって話をしていくもの、というのが、私の信念でもありますから」
 創価学会がいつまでも暴走・脱線を重ねるのは、自分たちの行動や発言が、白日のもとにさらされないとの隠花植物的性癖によるというか、夜陰に乘じての思いあがりがアクセルになるせいである。
 それだけに、各家庭のお茶の間にストレートに届けられるテレビの国会中継で、こうして総ざらいするのは、太陽光線をしっかりとあてる、陽光のもとにさらけ出す効果がある。“懲りない集団”も、少しは恥ずかしくなり、いささかのブレーキ効果が生じるのではなかろうか。
 しかし、創価学会がどう対応したかといえば、川崎質問の翌十月十二日、川崎氏の地元(三重一区)である三重県上野市で青年部主催の「権力による宗教への介入に反対する緊急集会」を開いて川崎発言を糾弾した。
 他宗教団体の「信教の自由」を侵す点で、大いに問題ありと指摘された「六万人総登山の断固粉砕発言」にしても、反省するどころか、堂々と開き直る。
「私たちから見れば、仏法の正義に反する“悪と闘う”のは当たり前である。宗門に対する学会の闘争は、私たちの宗教上の信念にもとづく主張。川崎氏は“宗教団体は『粉砕』という言葉を使ってはならない々とでも言うのか」
「これでは質問ではなく、質問に名を借りた“意図的な悪宣伝”と言うほかはない。国会の場で、それも公共の電波を使つて行う--これほど卑劣なことはなく、断じて許せない」
 こういう反撃に接すると、この人たちは、批判を謙虚に受けとめるとか、少しは反省して体質改善の努力を試みるとかとは、全く無縁の唯我独尊組織であり、かつ批判拒否の不治の病であることを、あらためて思い知らされる。要するに救いがない。
 国会中継を聞いた宗門幹部憎侶が残念そうに語った。
「私どもに直接調べに来られれば、もっと生々しい材料を提供できたはず。一人暮らしの老婦人に包丁を突きつけて脱講を迫るなど、創価学会は平和や民主主義を唱える資格がまるでないことをいくらでも立証できます。政治家は肝心なところで取り引きをなさるので、いま一つ信用できないのですが、池田さんの証人喚問が実現するのを私どもも期待しております」

◆「四月会」とは何か
 池田氏の証人喚問阻止絡みで、創価学会が今、異常な取り組みと反撃を試みているもう一つの動きが、「四月会」糾弾キャンべーンである。
「六万人総登山」の無事終了で、宗門攻撃が一段落したというか、中だるみ状況にあるため、かって宗門攻撃に注いだ全エネルギーを今度は「四月会」に振り向けた格好。戦前の“鬼畜米英”さながらに“鬼畜四月会”の憎悪むき出し作戦を全国規模で急展開中なのだ。いかにも創価学会らしい過剰反応そのもの。憎しみをぶっけるターゲットがあると、とたんに奮い立つ。この時とばかり、会員の危機意識をあおり立て、お家の一大事さながらに「先生をお守りしょう」と“ハイル池田”の忠誠心競争になだれ込むのである。
 十月八日以降の『聖教新』は、連日のように「四月会」糾弾の動きを書き立てた。
「全国三百の大学の学生が立ち上がり“野合集団・四月会を微底粉砕”すべく抗議集会を各地で連続的に開催する」(八日)
「女子部が“宗教弾圧の横暴は許さない! ”として全国で五十万人の正義の主張運動を展開する」(九日)
「青年部主催の緊急東京集会が開かれ、首都圏の代表千人が集い、“不当な宗教介入と断固闘う”ことを決議」(十日)
 といつた調子である。
 東京集会に出席した副会長で創価大教授を兼務する桐ケ谷章氏は、「四月会」を「戦前の宗教弾圧に酷似し、“信教の自由”を圧殺する危険な団体」と断罪した。
「四月会は政治権力を背景とした団体であり、創価学会に圧力を加えることを目的とする。極めて重大な人権抑圧的傾向を持つ。権力の一部が自らの保身と野望のため、自分たちに都合のいい宗教を糾合して、権力の維持に利用しょうとしているのが本質なのです」
 まさしく“針小棒大”な難癖づけ。
「四月会」の実態は、そんな大袈裟なものではない。九三年八月、細川内閣の成立で公明党が政権与党入りしたのをきっかけに、池田大作氏が支配する世の中になってはたまらないと、嫌悪感と危機意識を覚えた学者・文化人と宗教団体とが結束し、初めて同じテーブルに着いただけ。
 現実の行動としても、これまでにたった一回、九月に大阪で公開シンポジウムを開いたにとどまる。「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇談会」が正式名称であるが、長すぎるので略称を「四月会」とした。“創価学会天下”となっては困る、それを防ぐには啓蒙活動が必要ではないかと同憂の入々が、一九九四年四月頃から準備し始めたため、年度の始まり、春の盛りでもあることだしと、単純に命名された。
 六月の設立総会には、自民党の河野洋平、社会党の村山富市、さきがけの武村正義の三党首が来賓として顔を揃えたが、深い意味はない。当時の羽田内閣のもとで、野党の立場にあり、小沢・市川両氏主導の「一・一」ラインに対抗する党派の代表としてお招きしただけ。その直後に、思いがけずも自社さ政権が誕生し、三党首が「政治権力」の座に就きはしたものの、だからといって、「四月会」が「政治権力を背景とした」などときめつけるのは、こじつけもいいところ。
 代表幹事には評論家の俵孝太郎氏が互選され、立正佼成会や霊友会など宗教六団体と有識者八入が常任幹事となつて会の運営を協議する。かく申す筆者も柄にもなく常任幹事役を引き受けさせられた。一力月に一回前後の頻度で開かれる常任幹事会に顔を出す。出席しての正直な感想は、要するに同憂の士が同じテールに着いたことに意味があるだけの、まことにフワフワした、ルーズでゆるやかな会合でしかない。
 文字どおり「お互いの信教、思想、信条のあり方を尊重しあい」ながら、「自由にモノが言える社会」を守っていこうとするのが会員の共通認識である。「創価学会弾圧」の意思もなければ、その能力もない。単なる啓蒙団体を目指しているにすぎない。
 従って「四月会」の実態を知る者からすると、創価学会の度を越した「四月会」攻撃はクレージーで滑稽でしかない。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
 ではないけれど、「四月会」は創価学会が目をつりあげて騒ぎ立てるほどに御大層な組織ではない。しかし、その実態を無視して、“枯れ尾花”にすぎないものを、“幽霊”であるかのように恐怖宣伝し、総攻撃をしかける創価学会の「ハイル池田」的体質の危うさを再確認する意味では、「四月会」結成の、それなりの意義があったと納得もするのである。「四月会結成の目的が早くも達成された」との皮肉まで聞かれる。
       ---------(206P)-------つづく--

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