創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

亡国の元凶は池田・創価狂-15

2015-01-15 23:36:55 | Weblog
○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
   いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
────────────────改頁────── 90
カネ、出世、モノ…の即物教
◆タダ酒飲めない奴はダメだ
 池田大作語録がある。毛沢東語録と違い、会員必読文献として公刊してはいないが、将来、
教典にでもするつもりか、本部で記録したものだ。他に、学会系企業社長会での発言語録もあ
る。例えば、池田と公明党議員懇談会記録抜粋ではこうだ。
「みんな元気だな──。ところで今ふところにいくらもっている。坂井…万、みんな十
万前後。渡部7千円。ナベは男らしいからな。議員は10万ぐらいもっていないと。ナベのとこ
ろ選挙心配ないよ。(衆議院の定数改正で、愛知は3~4になると石田(幸)報告)」
「こうしてタダで食っているんだから、まあ、ただ酒をのめないようじゃ—政治家になれな
い。東大はだめだよ(総長が、ただ酒は飲むなと卒業式講演したことがあるからだろう)
(注・東大総長ではなく、京大総長・瀧川幸辰が、昭和二十九年卒業式訓辞で述べた。池田は、
タダ酒を飲めぬ奴はダメだというのである)
「皆、学会に入っていなかったらどうなつていたかね。坂井は職工長だね。田代—売れない医
療器具のセIルス。ナベ、マージヤン屋の用心棒。山田…中小企業のタレ流し。持永…一人で
売れない雑誌つくっているだろう。八ヒロ…学会に入らなければよかった。私の学会をつくつ
ていたかな。
 持永…日体大の体育の教師。花房…トルコブロで背中流している。…みち子…有吉さわ子」
(段勲編『創価学会・公明党の研究』晚声社)
 内輪の放談のせいか、記録の省略からか、部外者には意味不明の部分はあるが、池田大作の
気持よさそうな口調を映し出しているのと、職業、身分に関してあからさまな差別的蔑視観の
現われているのに注目されたい。
 池田大作は、贈り物をもらうのが好きな男らしい。おおざっぱにみても資産二兆を超えると
いう創価学会の頂点に立つ池田が、やたらとモノをほしがるのも不思議である。しかし、池田
の感覚は常識でははかり難いものがあるのだ。学会元教学部長・原島嵩は「池田大作の欲望と
支配」(「現代」五十七年一月号)で、こう書いている。
「池田氏は『私に品物を寄こせば、それだけで信心の電流がながれる』と常々語つていたか
ら、各地の幹部は、何とかして『池田先生に喜んでいただける品々』を贈ることに腐心した。
さらに、学会首脳、公明党首脳、外郭会社や団体に届けられた贈答品も、すべて『池田先生
のもの』として、池田氏のもとに集められた。あまりにたくさんの品が届くので、一括して倉
庫に入れ、本部職員にバーゲンで安売りすることもあった。その売り上げは、もちろん池田氏
のふところに入つた」
 もっとも、自民党の政治家だって盆暮の贈答シーズンになると、庭先にプレハブ倉庫を建て
て、贈り物をしまいこむ。ほしくもない物はデパー卜に戻せば現金にかわる。権力者の役得
──いわでものことだ。池田の場合、権力者の役得だけでなく、“御供養”を要求する姿勢と
ダブる。この生きボトケさまは、やたらとモノやカネを御供養として要求する。新興宗教事業
屋としての池田教の素顔に他ならない。
 このような、カネ、出世、モノに対する執着というか怨念は、池田を頂点とした創価学会幹
部に共通する。なるほど、三千人か四千人の弱小信者団体から七八〇万世蒂にふくれあがった
が、依然として、その意識たるやマイナーなのだ。零細企業のオヤジから叩きあげて大社長に
なっても、その心たるや、なお零細のままなのだ。少数派の被害者意識がウラ返しに戦闘的と
なり、加害者への報復的行動へと彼らを駆りたてているということでもある。
 世界有数の経済大国、国民総中流意識などといっても、わが日本国の大衆社会の底辺は依
然、繁栄から取り残された心貧しき層である。そこには、現状に対する欲求不満というメタン
ガスが充満している。創価学会のもつ体臭は、これらの人々を欲とガムシャラな突進(いわゆ
る上昇指向とは別のものだ)へと吸いつけるのに、まことにふさわしい一種のイカサマであ
り、板キレ、紙キレに過ぎない御本尊神聖視から「利」絶対に及ぶ即物主義にこそ、その信仰
の決定的ともいえる特徴があるといってよい。

────────────────改頁・つづく────── 93
★バリ活のお花畑・ツイート集……全ての道は…財務と新聞と選挙だ!!

一人立つ勇気を!日蓮大聖人御金言集 ‏@gokingen_bot · 8時間8時間前
我が心本(もと)より覚なりと始めて覚(さと)るを成仏と云うなり。所謂(いわゆる)南無妙法
蓮華経と始めて覚る題目なり。【御義口伝下 786・16】

名言・格言bot(厳選バージョン) ‏@hikegami3 · 15時間15時間前
悲しむことはない。いまの状態で何ができるかを考えて、ベストを尽くすことだ。【ダリ】

「信を以って得に入る」
「天晴れぬれば 地明らかなるなり」

獅子奮迅之力 ‏@sisihunjinsirik · 16時間16時間前
大聖人の確信と情熱に触れれば信心の火が燃えるー恩師。日々、御書を繙け

獅子奮迅之力 ‏@sisihunjinsirik · 16時間16時間前
苦難にぶつかった時が宿命転換のチャンスだ。
「冬は必ず春となる」信心を貫いた人は、必ず幸福の大境涯に!

池田名誉会長の箴言 ‏@ikeda_proverb
悩みや、失敗や、後悔があるのは当たり前です。大事なのは、それらに負けないことだ。
悩みながら、苦しみながら、前へ前へ進むことです。

昇華 ‏@hinokish · 16時間16時間前
『そういう体験をしてきた君だからこそ人の苦しみがわかる』新人間革命19p329〜
それが「妙とは蘇生の義なり」なんだ

『私は世界のどこにいようが みなさんの健康と幸福 人生の栄光を祈っております
共に題目を唱え 広宣流布に進む私たちは どんなに遠く離れていようが心は一体です
それが創価の師弟です』新 人間革命 19

『最も大事なことは、どんな試練に遭遇しても、決して負けたり、挫けたりすること
ない、自身の境涯を築いていくことです』新 人間革命

日蓮大聖人御書bot ‏@Gosho_bot_2 · 17時間17時間前
世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人も
なかるべし  (佐渡御書、956㌻)

即 ‏@pa_tto_kiete · 1月4日
うまくいかねぇなぁ…って時あるでしょ。
後になってわかるのよ。うまくいかなくて正解だったのよ。

池田名誉会長の箴言 ‏@ikeda_proverb
大事なのは、失敗したとき、再び勇気を出して、立ち上がることだ。・・・人生の
勝負は、最後で決まる。

一人立つ勇気を!日蓮大聖人御金言集 ‏@gokingen_bot · 15時間15時間前
下地獄より上仏界までの十界の依正(えしょう)の当体、悉(ことごと)く一法ものこさず
妙法蓮華経のすがたなり。【諸法実相抄 1358・2】

日蓮大聖人御書bot ‏@Gosho_bot_2 · 16時間16時間前
此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり 
(日女御前御返事、1244㌻)

獅子奮迅之力 ‏@sisihunjinsirik · 16時間16時間前
大聖人の確信と情熱に触れれば信心の火が燃えるー恩師。
日々、御書を繙け

一人立つ勇気を!日蓮大聖人御金言集 ‏@gokingen_bot · 15時間15時間前
「如来現在すら猶(なお)怨嫉(おんしつ)多し。況(いわん)や滅度の後をや」
【転重軽受法門 1001・4】

(誤字・脱字、文法無視‥パクリ・援用も‥‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)
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亡国の元凶は池田・創価狂-14

2015-01-13 08:04:27 | Weblog
○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
   いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
────────────────改頁────── 86
◆マルチ商法の先取り
 ネズミ講商法の被害は最近、会長・永野某が殺害された「豊田商事」事件で衢撃的な社会問
題となりながら、ますます猛威をふるっている。無限連鎖と称し、親から子、子から孫、孫か
らヒ孫へ……へと、ネズミ算式に会員の手元に幾何級数的(?)にリベートが転がり込んでく
るというやつだ。
 熊本で内村某が始めたものだが、このネズミ算が無限でなかったところからついに波産に至
ったものであるのは、まだ記憶に新しいところだ。
 ネズミ講は破産したが、ネズミ算でカネ儲けというシステムの破産であって、講元の内村は
莫大な資金を吸いあげた。ネズミ講は破産したが、形を変えたそれは依然、統いている。最近
では、“無店舗商法”の名に隠れたネズミ講の変種が続出している。代理店募集を謳い、保証
金をとる。カネをとられて代理店になったやつが、また、下の代理店を募集する。物品販売で
も、この手を使う。セールスマンがセールスマンをふやすのだ。この場合、セールスマンとい
うのは、ネズミ講の会員と同じだ。
 熊本のネズミ講では、内村某は吸いあげた莫大なカネで、「天下一家……」と称するインチ
キ宗教をでっちあげていた。豊田商事は、「銀河計画」なる、宮沢賢治ばりのロマンチックな
ネーミングで、次々と子会社をでっちあげた。ひっかかつたのは、共通して、かなりまとまつ
たカネを有しながらも一般的には社会的弱者とみられる人間であるのが特徴的である。その人
たちは、より一層の幸福を夢みて、これら詐欺商法に飛びついた。カネという名の幸福を夢み
たからといって、一概に欲ボケなどと嘲ることはできまい。
 御本尊を「幸福製造機」などと俗悪極まる名で呼び、折伏また折伏で会員をふやしてきた創
価学会をみると、むしろネズミ講的商法の戦後的原型ではなかったのかとさえ思えてくるので
ある。創価学会も、ここまでくれば、「幸福製造機」を売りつけた手前、学会流広宣流布でツ
ジツマを合わせなければ、やがて破産だろう。御本尊という板マンダラの投げ売りで会員を集
めるのは、まさに、豊田商事のありもしない金をエサにぺーパー商法で会員を釣るやり方と同
じである。
 いずれにせよ、現代日本においてネズミ講的、マルチ商法的詐術の跳梁跋扈は、まさに繁栄
の中の狂気の伝染病のようにとどまる気配をみせない。そのエイズズにも似た病原菌が創価学会
の価値論の中に内包されており、政教乱交と欲ボケの交錯から発生したといえなくもない、と
いうことである。
 焼跡の創価学会は当初、日蓮正宗の教義勉強会として出発したが、折伏大行進の号令のかか
つた二十六年になると、勉強会は変質していた。創価学会機関誌「大白蓮華」は二十四年創刊
である。B5判三十頁そこそこのものだ。創刊号の巻末に誌上問答欄があり、創価学会を説明
している。
「問──もっと宗教団体とか、学術団体とか、政治団体とか、はっきりさせて運営した方がよ
いのではないでしょうか。
答──勿論或時期が来て必要があれば、そうした組織も立てられるでしよう。然し唯一つ、
はつきりしていることは、創価学会の役員や会員には宗教を利用した名誉欲や利欲が絶対にな
いことです。(中略)況して近頃の新興宗教のように何人以上と决めて会員を加させれば位
が上って行き、次第に支部長とか本部役員というようになって本来の職業を捨て、お祈り屋に
なるというようなことは絶対にありません……」
 まるで、現在の創価学会をそっくりそのままに批判しているみたいであるから、これもま
あ、ブラック・ユーモアものだ。現在をいうまでもない。戸田が会長就任後の折伏大行進か
ら、倍々ゲームの如く、猛烈な創価学会セールスが始まるので、むかし保険のセールスをやつ
た戸田の造語で、「とびこの」というのが出てきた。「飛びこみセールス」からきたという。
「とびこの折伏」により会員獲得の実績をあげると、学会内の出世が約束されるようになつ
た。会費をとらない創価学会とはいえ、御供養にカネを出すほど、学会での地位があがってい
く。ネズミ講商法、マルチ商法の先取り、原型というべきであろう。
 地位と名誉(まずは学会内において)を求め、学会員は活動した。価値論──利善美の利で
動いた。ご利益を信じて動いたのが、強盛な信者(スジ金入り)たちだ。
 戦後の“神々のラッシュアワー”といわれた新興宗教ブームの中で、創価学会は、一番遅れ
てやってきた少数派だ。少数派の怨念が、彼らの行動のバネになっていた。そのマイナー集団
が折伏大行進で功を収め始めると、今度は、「七十万世帯折伏が達成できなければ、戸田の葬
式を出してはいかん。品川の沖へ骨を捨てよ」と、戸田が号令する。折伏大行進の直前、会員
数は三千人から四千人といわれていたのだ。いかに、彼らの怨念がすさまじかったか、想像で
きょうというものだ。
 少数派が、にわかに多数派志向となり、今度は数を絶対視し、過信する集団へと変身してい
つたのである。しかも、依然として少数派の怨念を会員に叩き込む。幸福がほしけりや信心し
ろ。信心が足りなきや、ご利益はない!これが、創価学会式無限連鎖の原理なのだ。
────────────────改頁・つづく────── 90
≪あるブログから……≫

◆創価の得意技。
 それは「信じさせること」です。
 ネタはデマだろうがニセモノだろうがインチキだろうが、どうでもいいんです。
 何をもってこようと「信じさせて疑わせなくさえすれば」デマが真実になり、ニセモノがホン
モノになり、インチキが正当になりますからね。

◆私の状況と似ていたので、思わずレスせずにいられませんでした。
 財務…頭を悩ませますね。
 私も、創価にはビタ一文払いたくないです。
 でも、家族と揉めるのが嫌で、ただそれだけで財務をしてしまっている状況です。

◆バリ活女子部時代に 創価三大非法{高額財務 選挙 my聖教}を 経て……

◆おそらく地域によって、またはどんな幹部がいるかで違うと思うので、一概には言えませんが、
 退会は昔ほど難しいことではなくなってきているようです。
 脱会したらやはり組織に連絡は行きます。逆に連絡がなければ、統監カードが組織に存在して
いることですから脱会者とはならずに、何かにつけて家庭訪問があったり、会合に誘われたり、
選挙や財務をしないと不幸になるぞと脅しにきます。…………創価に幸せなどありません。
 たとえば公明党のピンクのポスターが貼ってる住宅が、まわりの家々とくらべて貧しいと思え
るのは、たんなる先入観だけではないように思います。裕福ではないところからも、むしろ貧
しい家庭だからこそ、借金してでも財務をして実証を示しなさいと指導するのが創価です。
普通の家庭でも毎年100万円単位の財務を平気でさせるのですから、いつまでも貧しい家が多い
のもうなずけます。財務以外にもいろんな方法でお金をむしり取っていくのが創価学会です。
 創価学会員で、ほんとうに幸せになっている家庭がどれだけいるでしょうか?少なくとも私は
知りません。

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亡国の元凶は池田・創価狂-13

2015-01-10 17:47:20 | Weblog
〇「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
   いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
────────────────改頁────── 78
4 創価学会的メンタリティを病理診断する
最初は少数派被害者意識,怨念のとりこ
◆「大石寺はどうなつてもいい」
 話を戦時下に戻す。戦局悪化の昭和十八年、政府は宗教団体法により各宗各派の統合を図
り、宗教の戦争遂行協力体制をとらせることになつた。神道はじめ、仏教、キリスト教、その
他、大勢に順応していつた。
 この時、牧口の創価学会は、あくまで統合に反対した。日蓮宗の統合とは、身延への統合で
ある。「邪教の本山へ統合など論外だ」と牧口は激しく本山・大石寺の動きを非難した。大石
寺の布教監・小笠原茲雲いうのが身延合同の急先鋒だつたが、牧口の創価教育学会の若い会
員たちは大石寺登山を行なうと、小笠原玆雲の体を担ぎだし、たんぼの中に叩き込んだとい
う。
昭和十七年版「国民年鑑」で日蓮正宗と日蓮宗の比校をみると──
            (寺院数)      (僧侶数)         (檀信徒数)
  日蓮正宗         七五      二一一          八七〇四一
  日蓮宗        四三七七    一四九五六        二七五九七二二
  法華宗         五八○     一○三四         五九八七二二
となっている。日蓮正宗は、異端の小宗派である。その中で、創価教育学会は会員数二千と
も三千ともいったが、これまた少数派にすぎない。その少数派の創価教育学会は、牧口の指導
で本山に“殴り込み”をかけるほど、まさに「強盛」な信徒団体だったのだ。
 十八年に大石寺は僧俗護法会議を開き、“邪宗”の本拠・身延へは絶対合同しないと決定、
単独で宗制の認可をとった。同じ頃、“神札問題”が起こった。政府が、学校、職場、隣組を
通じ、国民が伊勢神宮の神札(大麻)を拝むよう指導すると、牧口の創価教育学会はこれを拒
んだ。会員たちは、「神札などというが、刑務所で囚人がつくったものだ。刑務所で印刷した
ものに、なんで御利益があるか」と笑い、わざわざ、お礼を焼き捨ててみせた。
 大石寺の御本尊には「南無妙法蓮華経」の下に「天照皇大神」と小さく書かれてある。日蓮
正宗は日本の天皇も正宗に帰依する時がくるというものであるから、本尊の他は拝むことはで
きない、ということだ。
 戦局悪化の中で、会員たちは「日本人が邪教を信じたがため、国が滅亡の危機に立たされ
た」と教えられた。「国難を救うものは、日蓮正宗の教えだけ」という悲壮感は、牧口から会
員たちの中で増幅していったのである。国民生活の窮乏化が進むにつれ、国民の不平不満のハ
ケ口が、牧口の弟子たち会員の場合、神札問題を契機に爆発したわけだ。
 本山では牧口を呼び、時局に鑑み神札拒否を撤回することを勧告したが、牧口はこれをハネ
つけた。本山としては、時局下の保身上からも、牧口を放置できなかったのである。大石寺と
の神札問題が物別れに終わった帰途、牧口は同行の戸田城聖にいったそうだ。「いまこそ日本
を救い、民衆を救うため国家諫暁(政府をいさめて邪教を禁じ、正法が流布するよう訴える)
のときなのに、本山はなにを恐れているのだ。もはや、本山が、たとえどうなろうと、それは
構わない」
 正法を立てることが第一で、日蓮の教えでは正法がすたれ邪法のはびこる日本はこのままで
は罰が当たる──強盛な正宗信者・牧口常三郎の信念は、この時期、まさしく狂信的なまで奔
騰していたのである。大石寺がどうなろうと構わぬという確信は、元来は日蓮の元寇に際して
の姿勢に通じるものだが、二代・戸田城聖から三代・池田大作へと引き継がれていく間に甚だ
しく変化し、殊に、戸田城聖死後は俗物的独善性をいたずらに深めることになっただけだと、
私はみている。
 神札問題から間もなく、創価教育学会は弾圧を受ける。発端は、東京・東中野のクリ─ニン
グ業・陣野某、有村某(創価教育学会理事)の二人が流言蜚語で検挙されたことである。近所
に子供を病死させた家があり、そこへ折伏にでかけた両人が、「子供が死んだのはバチがでた
のだ。今の日本は、正しい宗教に入り大善生活をしなければ、まだまだバチがでる」と説いた。
悲しみのさなか、バチだと極言されたから、親が怒って警察に訴えでたため、陣野、有村の逮
捕となった。両人の折伏の言葉に戦局についての批判があった、という理由だ。
 続いて、伊豆に講習会旅行中の牧口、戸田城聖、さらにその他幹部が検挙されることになっ
た。
 戦前の創価教育学会は、十八年のこの検挙で、殆ど壊滅的打撃を受けた。検挙された者め大
半が転宗をした。残った三人、牧口は獄死、戸田域聖、,矢島周平は敗戦直前まで獄にいた。矢
島周平は戦後、戸田に代わり、一時、理事長になったことがある。
 獄中で一人息子の戦死を知り、牧口常三郎は家族に手紙を書いている。
「ビックリシタヨ。ガッカリモシタヨ……貞子ヨ、オ前ガシッカリシテ居テクレルノデ誠ニタ
ノモシィヨ……私モ元気デス。カントノ哲学ヲ精読シテ居ル。百年前オヨビ其ノ後ノ学者共
ガ、望ンデ手ヲ着ケナイ、『価値論』ヲ私ガ著ハシ、而カモ上ハ法華経ノ信仰二結ビッケ、
下、数千人二実証シタノヲ見テ自分ナガラ驚イテ居ル。コレ故、三障四魔ガ紛起スルノハ当然
デ、経文ノ通リデス……」
 ビックリシタョ、ガッカリシタョと息子の戦死を嘆く父親は、なお獄中から信仰を書き送つ
ている。「……『価値論』ヲ私ガ著ハシ、而カモ上ハ法華経ノ信仰ニ結ビッケ、下、数千人ニ
実証シタノヲ見テ自分ナガラ驚イテ居ル」云々の文面には、日蓮正宗信徒というより、価値論
についての彼なりの自信が溢れている。
 この手紙は十九年十月十三日付。その一か月後、牧口は老衰と栄養失調で獄死する。

◆戸田イズムと池田イズムの落差
 『人間革命』という本がある。池田大作著(篠原善太郎という人物の代作説があるが)の『人
間革命』ではなく、こちらは妙悟空(戸田城聖のペンネーム)著『人間革命』である。むろ
ん、戦前のものだ。半ば、戸田の自伝風である。
 その『人間革命』の中で、與味ある部分がある。戸田は、あとがきに「小説で表現した、生
きた折伏教典である」といっている。それだけに、宣伝臭が強く、小説で表現したというだけ
に、フィクション部分も多いはずである。しかし、次に掲げる部分は、ほぼ、事実とみてよ
い。後の、戸田城聖の行動とも整合する。
 小説『人間革命』の中で、牧田城三郎(牧口常三)から、主人公の巌九十翁(ガンクツオウ
と読む。この主人公は戸田城聖の位置にある。厳九十翁は、いうまでもなく巌窟王をもじっ
たものだ)が、大衆小説の出版について示唆を与えられる。大衆小説の出版は儲かると教えら
れた、なかなかに面白いくだりだ。
「『はじめに先生が、四六版は財産になるよ、大衆小説の時代がきっとくると仰言った時、実
は、わたくし、よく嚥みこめなかったんです……ところが、支那事変が処理されないで次第に
国民生活に行詰りが見えはじめ、娯楽が少くなるから、大衆小説の時代がくると仰言ったこと
が形になって現われてきました。先生、この調子では、巖は大金持になるかもしれません』
巖さんが小火鉢のふちへ手を置いてそういうと、牧田城三郎は真面目に睨むように巌さんを
見て力強くいつた。
『巌君、大いに儲けたまえ。そして、その財力で価値を発見し、価値を創造するがよい。獲得
した価値を遠慮なく生活の上に実現して、真の幸福を摑みたまえ』」
牧田城三郎(牧口常三郎)が巌九十翁(戸田城聖)に、大衆小説出版でカネ儲けを教える。
大いに儲け、財力で価値を発見し、価値を創造せよ、その価値を遠慮なく生活の上に実現して
真の幸福を摑め、という言葉の中の「価値」をカネと置き換えてみると、まことに単純明快、
わかりやすい現世の人生哲学ではないか。
 戸田城聖は、「大道書房」の名で、子母沢寛、長谷川伸、江戸川乱歩などの作品を出版し、
利益をあげた。やがて、出版から金融、食品製造業に手をのばすが、戦時下、統制柽済の中
で、情勢は厳しい。
「……嶮しい波がひたひたと、身辺へ寄せてくる感じだ。誰かの眼に狙われているような昨日
からの気持は薄らいではいなかった。(九州の炭鉱と大阪の油脂工場を手に入れようとしてい
る矢先に……〕
 牧田先生の指導ではじめた出版を基礎にして縦横に活躍して築きあげた財力、その力をもつ
て事業の大道を堂々闊歩していこうとしている自分を阻むものは、なにか……」
 創価教育学会が弾圧される直前の、巌九十翁(戸田)が悩む部分である。牧口の右腕にされ
た戸田だが、この時期は、信仰より事業、カネ儲けで牧口のために働いたのだ。信仰のこと
は、戦後になる。ともかく、戦時中に戸田は、三百万とも五百万ともいうカネを摑んだとい
う。まさに、牧口のいう価値の創造である。牧口創価哲学を実践した戸田イズムだ。妙悟空著
『人間革命』は、その戸田イズムで貫かれる。価値の創造はカネの力。幸福とは価値の創造で
ある。この単純明快な哲学は、敗戦後の焼跡で、大衆へのダイレクトな吸引力を発揮する。貧
しく、飢え、病み、希望を失った底辺大衆には南無妙法蓮華経のお題目が、そのまま価値創
造、つまり、ほしくてたまらないカネ、そして幸福につながると教えたのだ。
 ところで、もう一つの『人間革命』だが、これは戸田の『人間革命』の戦後版を意図したと
いうより、池田・創価学会史である。今の学会においては、創価学会正史の扱いだ。戸田『人
間革命』は生きた折伏教典を狙ったというが、池田『人間革命』は戸田城聖の弟子・池田大作
を中心にした、いわば池田・創価学会のサクセス・ストーリーだ。こちらも小説と銘打ってい
るから、フィクション部分は当然としても、主人公の美化、絶対化はいささか滑稽にすぎる。
 もし、これが池田大作の筆になるとしたら、類い稀なるナルシストというほかない。
 池田の会長辞任と時を同じくして副会長をやめさせられた福島源次郎などは、池田『人間革
侖』を現代における「御書」であるともちあげている。本仏論者らしい言葉である。さて、そ
の池田“本仏”は小説では、山木伸一なる二枚目ふうの名で登場する。改名前の池田太作、改
名後の池田大作と比べると、いかにも二枚目イメージだ。
 主人公・山本伸一が創価学会入信当時、座談会の席上、「我れ地より湧き出で……」と詩を
作ったことになつている。創価学会元教学部長で、学会を離脱した原島嵩は、これを否定す
る。
 山本伸一(池田)が「我れ地より湧き出」の詩をつくったくだりは、学会幹部をして池田が入
信前、「地湧の菩薩」を知っており、「池田先生は、日蓮大聖人の生まれ変わりなのです……」
と会員指導の教材にしているのだ。
 ところが、原島嵩はこういつている。
「小説『人間革命』の代作者である篠原善太郎氏(東西哲学書院取締役、創価学会参事)から、
『この“我れ地より湧き出”の詩は、池田氏が、後に作ったものである。しかし、これを入信
の場面と結びつけたのだ』と聞いている」(「池田大作の欲望と支配」『文藝春秋』五十七年一月
 ここまでくると、山本伸一(池田)は、まるで、お釈迦様が生まれた時、天上天下唯我独尊
といったほど伝説的で、現代の小説としては、まさに噴飯ものだ。戸田『人間革命』で、カネ
儲け即価値の創造、価値を生かして真の幸福を摑めと励まされ頑張った巌九十翁と、お釈迦様
みたいに自分を美化したがる山本伸一(池田)の『人間革命』に、戸田イズムと池田イズムの
大きな落差がみえる。
 それは、なにも戸田城聖の人間臭と池田大作の傲慢さの違いを示すものではない。異端の少
数派だった、かっての創価教育学会、焼け跡の創価学会と、肥大化した創価学会イズムの落差を
そのまま象徴しているのである。
────────────────改頁・つづく────── 86

バリ活の妄想ツイート…夢見るお花畑…財務三桁だ!!…大歓喜・大勝利の体験発表だ!!
★ 昇華さんがツイート
日蓮大聖人御書 ‏@gosho_bot · 2時間2時間前
第六天の魔王我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばず
して王臣を始として良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり(最蓮房御返事P1340)

★ 昇BORO【慕露】さんがツイート
‏@hakubaboro33 · 2時間2時間前
「絶対に幸せになる!」と迷いを吹き飛ばすんや!そこからの出発です!迷いを断ち切るんや!
目を見開いて!気合を入れるんや!アカンで!負けたらアカンねんで!必ず大歓喜へ!大勝利へ!

★まさ ‏さんがツイート
@eomasa · 2時間2時間前
12月1日民衆凱歌の大行進
『「人間革命」執筆50年』
人間革命とは、私たちが「人生の根幹の目的」を知り、「絶対の確信」に立つことである。大事
なことは、いかなる宿命の嵐に遭おうとも、「地涌の菩薩」であることを疑わないことだ。
「広宣流布」を誓願して生まれてきたことを忘れないことだ。
「一人くらいは」という油断と慢心から、破綻が始まる。一人を大切にし、「もう一歩」と
前進し続ける所は、団結より強固になり、それまでの労苦と困難を、すべて勝利と福徳に変
えていくことができる。我らは、この世で最も美しく強い「異体同心」の団結で、一日一日、
勢いを増し、粘り勝っていくのだ。
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亡国の元凶は池田・創価狂-12

2015-01-09 09:13:09 | Weblog
○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
   いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
────────────────改頁────── 66
狙いは池田教、創価王国への迂回戦略
◆本山,大石寺は乗っ取れない
 いかに創価学会が巨大組織と金力にモノをいわせても、「日蓮正宗の教義に基づ」き(創価
学会会則第三条、宗教法人「創価学会」規則第三条)、総本山,大石寺の「大御本尊を根本」
とする以上、大石寺とはあくまで師弟の関係である。日蓮正宗大石寺を離れることはできな
い。本山が創価学会を破門すれば、創価学会は「創価日蓮宗」とでもいう“邪教”に転落す
る。
 今のところ、創価学会は本山・大石寺を離脱するまでには至っておらず、本山もまた、この
最大のスポンサーを破門する勇気はない。そこで、宗門内で活動僧侶や檀徒会と創価学会の抗
争は続いているが、本山対学会の関係はかなり協調的なものになり、少なくとも目下、休戦伏
態にはある。
 日蓮正宗信徒の間に正信覚醒運動なるものが起こったのは、五十三年である。僧俗一体とな
り、池田流、創価流の広宣流布に対し真実の広宣流布のため立ち上ったという運動である。全
国百五十か寺院に所属する法華講・擅徒の組織、正信会がそれだ。この正信会の機関紙「継命」
では、現在の本山対学会関係を手厳しく批判する。正信会の運動は、細井日達前法主(故人)
の支持を得て発足したものだ。
「現在の阿部(日顕)宗門は、日蓮正宗でもなんでもなく、“創価学会大石寺支部”または
“創価学会法要部”でしかありません。創価学会の謗法の元凶である池田絶対化も完全に復活
しました。宗門支配も完了しました。財務もご供養の名のもとに集められることが决定。日蓮
正宗からの破門の罪に値する本尊偽造をはじめ、池田教(創価学会宗)の路線に対する覚醒の
声も、すべて“法難”“誹謗中傷”のもとに片づけられてしまいました。
 そして、あと五年間で、阿部宗門も、その支配下にある僧俗も“しまった”と気づいた時
には、創価学会のめぐらしたあらゆる鉄鎖(てっさ)にがんじがらめとなり、身動きが完全に
封じられることは目に見えています。次は、ジワジワと、過去に少しでも学会に批判めいたこ
とを言った者への復しゅうが開始されます。池田氏の本性は怨念の固まりであり、同氏の口ぐ
せの『十年後を見よ、今まで創価学会をいじめた者を必ずやつつける』は、むしろ内部にいる
者にこそ最も苛烈に襲いかかることを、宗務当局は銘記すべきでありましょう」(「継命」六十
年五月一日号)
 これでは、大石寺対創価学会は休戦状態なんてものじやない。創価学会の大石寺占領がほぼ
完了したことを物語るものだ。正信会の運動は、レジスタンスということになる。しかし、局
外者から見るところ、大石寺“占領”は、それほど簡単にはゆくまいと思われる。
 日蓮正宗の「教義に基づく」創価学会にとって、本山の「大御本尊」はやはり絶対である。
これ、即ち「南無妙法蓮華柽」と書かれた板マンダラなのである。
 創価学会が三十年三月、北海道小樽市で行なった身延山との公開討論会の記録(録音テープ
からおこした)『小樽問答誌』というのがある。“法論対决勝利の記録”と呼んでいる。この中
で大石寺の御本尊を論じ、これを絶対視している。それを見てみょう。(写真=同書口絵より)
「学会側辻講師─われわれ創価学会員は、大聖人様の御本意である弘安二年十月十二日の本門
戒壇の大御本尊様に向かって、ただ一つの御本尊に対して、心から帰依しているから功徳があ
るのであります。(大拍手)」
「身延側室住講師─信仰は……、大石寺は……、身延に霊骨が、霊骨がないと申しまするけれ
ども、厳然としてあるのであります。(“どこの馬の骨だ”という声がはいる)
 馬の骨ということは……(爆笑)……馬の骨ということは(大爆笑)……大石寺派の勝手に
言うことでありまして……、真の真骨は、代々の法主が、これを護持しきたったのでありま
す。(しばらく立ち往生する)……
 本尊は……、本尊は衆生の各々の真心にある題目をもって本尊とするのであります。この導
きが僧……、僧侶の役目なのであります。(爆笑)
(ここより全く立ち往生、司会から早くやれと言われ、漫談を早く聞かせろとの声、三分ほど
立つて汗を流し池田司会から『あと1分半』『I分』と時間を区切られたがロをパクバクさせ
たまま席につく)」
「身延側長谷川講師─ ……しかも、この仏滅後の本尊の所謂、なんと申しまするか。仏滅後二
千二百二十余年あるいは三十年と書かなくてはいけないそうですが、見た人によりまするとい
うと、仏滅後二千二百二十余年ということになつているわけだ。してみるというと、木尊七箇
相承に従いまするならぱ、三十年と書けということになつておる……私いっべん拝見に行きた
いのですけれども、他門の坊さんに見せないらしいからして、目が潰れるつてんだよ。見せな
いからして、わからないけれども、仏滅後二千二百二十余年ということがはっきりしているの
でございます……七百年も昔、身延の山でもってですね、お祖師様が大きな楠の板に彫ったか
どうかというんでありますよ……
 今から七百年も昔、身延の山に楠の楠の自然性の樹木があるかないかということも、かなり
疑問であるということも、これも、いちおう考えなくちや、ならないと思う……
 私はその閻浮総与の板曼荼羅という物のほんとうのことを私は疑う……」
「学会側小平講師─さきほど、長谷川先生から弘安二年の御本尊は疑わしいと、ただそれだけ
のことで、いったい何がどうしたというのか、もう少し具体的に指摘してほしい。(拍手)
 とくに私が具体的にお聞きしたいことは、それでは、もし弘安二年の御本尊がだめだ、もし
日蓮正宗がだめだと言うのなら、どこの信仰が正しいのか。狐や稲荷や、鬼子母神を、それを
祭っているような、それが大聖人様の教えであるか。こういうことをなんら御説明もできない
で、ただ大石寺の御本尊は怪しい、それでは、お話にはならんと思う。(大拍手)……
 御本尊様は信じて大利益を受ける、これが御本尊様です。それにもかかわらず、ただ飾り物
か見せ物みたいに、あの時代にあった、なかった、それは信心のない者は今日本国中の人でも
です、信心のない者には富士大石寺の御本尊がわからない、当り前のことですよ。(大拍手)
……」
 こういったヤリトリでも明らかなように、楠に日蓮が刻んだという板マンダラ御本尊は、大
石寺にとって「正宗」の絶対のキメ手なのであるから、これを御本尊として安置する大石寺を
離れたら、.創価学会も、彼ら自身いうところの邪教、インチキ日蓮教に成り下るわけだ。
 二代会長,戸田城聖が本山法主から受けた紙製の御本尊が、創価学会本部に置かれていた。
池田大作は、この紙製本尊を板に模刻し「板本尊」として学会主要会館に置いたが、宗門内の
批判、追及を受け、本山に返納した。また、大石寺蔵版の経本以外に創価学会独自の経本を作
ったりした。これらは、創価学会から“創価教”“池田教”への模擬演習をやっていたともい
えよう。ともあれ、「大御本尊」は創価学会にとって、タテマエとしてやはり神聖不可侵のキ
メ手となるものである。創価教、池田教を狙う学会も、今のところ、一種の迂回作戦をとりつ
つある、とみてよかろう。

◆結局、名誉会長が一番偉い?
 前にも書いたように、宗教法人・創価学会規則は、従来非公開だったが、池田会長辞任の
後、五十四年、北条浩四代会長就任とともに、初めて公開された。創価学会会則、宗教法人,
創価学会規則、共に改正したものだ。
 新しい創価学会会則で、池田大作は名誉会長となる。会則第二章にはこうある。
(名誉会長)
第七条 この会は、総務会の議決に基づき、名誉会長を匱くことができる。
(会長)
第八条 この会に、会長を置く。
(職務)
第九条 会長は、この会を統理する。
(選出)
第一〇条 会長は、総務の中から総務会がこれを選出する。
(任期)
第一一条 会長の任期は、五年とする。
 この会則からみれば、名誉会長は、創価学会における象徴である。名誉会長の職務は規定さ
れていない。創価学会の最高責任者は、「会を統理する」会長である。対外的に、総てのこと
に、池曰大作名誉会長は貸任を負うことがなくなるわけだ。
宗教法人・創価学会規則、第二章「役員その他の機関」では─
第一節 代表役員および責任役員
(員数)
第五条 この法人に、二一人の責任役員を置き、そのうち一人を代表役員とする。
(選出)
第六条 代表役員は、理事長をもって充てる。
改正前の宗教法人・創価学会規則では─
第五条 この法人に会長を一人置く。
2 会長の任期は終身とする。ただし本人の意志により辞任することができる。
3 後任の会長は現在の会長が予め定められたものをもって充てる。
となっていた。会長終身制は消えたのだが、新たにこれにかわって名誉会長が生まれたとみ
ればよい。終身会長については、「会長は終身だが、これは終身刑みたいなもの」と、かって
池田大作はヤニさがって語ったものだが、名誉会長が終身名誉会長であるのは、いうまでもな
い。というより、任期制会長の他に、終身会長が“名誉”の冠詞つきで残されているのだ。創
価学会において池田時代は全く終わってはいないどころか、“名誉”つきで続いているという
ことである。
“池田本仏論”は大石寺前法主を怒らせ、表面上は否定されたが、今でも生きている。大御本
尊をもたない創価学会が大石寺を離れても生き残る途は、創価教、創価仏教だ。大石寺乗っ取
りは、学会の力(カネと数)をもってしても、どうにも可能性が薄い。
 創価教、創価仏教への途をとる上で、池田木仏論は絶対である。創価学会会則第二条をみる
と、こう記されている。
 第二条 この会は、昭和五年十一月十八日、初代会長牧口常三郎先生が創価教育学会として
設立、その後昭和二十年十一月十八日、第二代会長戸田城聖先生が創価学会として再建
し、第三代会長池田大作先生がこれを継承し発展せしめて今日に至る。(注.太字の部分は
藤原の表記)
 即ち、学会では初代以来、「先生」の名称は三代限りということなのだ。だから、三代目の
池田先生が日蓮大聖人の生まれ変わりということ、これが池日本仏論の中身である。
 創価教、創価仏教は、かって昭和五十二年の第九回教学部大会記念講演でブチあげた池田大
作の言葉をみると、一層迫真力がある。
「……現代において、創価学会は在家、出家の両方に通ずる役割を果たしているといえましよ
う。これほど、偉大なる仏意にかなった和合僧は世界にないのであります……」(創価学会機
関誌「大白蓮華」五十二年三月号)
 語呂呂合わせをするわけじやないが、「在家、出家の両方に通ずる役割」という池田大作の言
葉から、私は、中国清末に猛威をふるったという「在理教」(在家里とも呼ばれる)を連想す
る。在理教とは、明代に生まれた白蓮教の一分派で、観世音菩薩を教祖とし、仏教、儒教、修
行道の三位一体の教義をもち、反清復明(明朝復辟)を唱えた復古主義だという。光緒帝時代
に山東省、東北地方に盛んになり、一時、清朝政府の取締りを受け、その後、反動勢力に利用
されその一翼を担うことになつたものである。池田本仏論や創価教への志向から、創価学会が
「在理教」的復古主義の現代版のようなところがある点、いささかコッケイなニュアンスとし
て指摘しておこう。
────────────────改頁・つづく────── 75

……すべての道(会合・選挙・偉ぶり・出版・民音等々)は、“家庭破壊”へ…通ずる…

◆創価の財務にお金を出すくらいなら、はっきり言ってドブに捨てたほうが悪いことに使わ
れないだけマシなんですよね。職員の給料になったり会館の維持費になるならまだしも、どん
な悪事に使われているかわからないんですから。考えてみてください。職員の給料や建物の維
持費と、全国から集まってくる財務の額がどれだけ桁違いか。あなたの地域だけでどれくらい
の金額が毎年集まっているか。100万円の財務をする人が100人いただけで1億円ですよ。
それも毎年のことだと考えると、実際に集まる金額が桁違いだということはすぐに想像ができ
ます。その収支が明かされることはないし、税金もかかりません。創価が儲けているのは財
務だけじゃないですよね。新聞、書籍、墓苑、民音…いったいいくら稼いでいるのか、学会
員さんが少しも気にならないのは、気にすると福運が消えるとインプットされていますから
ですよね。創価にとって都合の悪いことは、すべて福運が消えたり、魔が競ったり、お題目
が足りなかったり、信心で受けとめきれない自分の責任だということですもんねえ。
学会員のみなさん、財務をするお金があるならドブに捨てましょう。ドブに捨てるくらい
なら困っている人のために使いましょう。そこまで余裕がないのなら、財務なんかやめま
しょう。財務をいくらやっても功徳も福運もありません。あると思いたいからやってるんで
しょうけど、お金で幸せが買えると思っている時点で、創価風に言えば餓鬼の命ですよ(笑)

◆今無力感でいっぱいです。
さっき主人の出勤前財務の事で言い争いになりました。「10万円する」と言うので私が
「嫌だ」と言ったのが発端です。
いろいろ言ったんですが結局「広宣流布にはお金がかかる。俺は純粋にやりたい。俺が
働いて稼いだお金をなんで自由に使えないんだ」と言われてしまいました。
頭いい人なのに、どうして伝わらないんだろう。本当に悲しいです。何か一つでも主人
の胸に刺さる事を言えたらと思うんですが…どうしたらいいんでしょう。途方に暮れてし
まいました。

◆我が家のバリ活さんも、今年も例年通り、大金を出したのではないかと思っています。
「思っています」というのは、今年はいくら出したか一切言わないので知らないのです。
覚醒してから、財務のことを散々言い続けてきました。
その度に険悪な雰囲気になり、時には言い争いに発展。
恐らくですが、例年通りミケタは出したんではないかなと。。。
どれほど言っても、こうして大金を差し出すバリ活たちが、全国にまだまだウジョウジョ沢
山いるんですよね。
支部内でさえも、大口財務の常連者は、ここ数年減ってきたとはいえ、けっこういます。
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亡国の元凶は池田・創価狂-11

2015-01-07 12:23:52 | Weblog
○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
   いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
────────────────改頁────── 58
◆池田の会長辞任は戦術転換だ
 池田大作が本山に訖びを入れ会長を辞任、名誉会長へと退く。その後間もなく、大石寺・細
井日達法主が心筋梗塞で急逝した。後任に、創価学会寄りと目されていた阿部日顕宗務院総監
が選ばれ、第六十七世法主、管長職を継いだ。しかし、学会寄り新法主誕生後も、学会対檀徒
会の争いは鎮静化に向かわない。
 本山、創価学会、檀徒会と、三つ巴の混戦にケリをつけるべく、池田大作会長辞任、お詫び
劇の演出であつたが、簡単には幕がおりなかった。創価学会批判派僧侶、活動僧侶と植徒会
は、先の“お詫び登山”も池田会長辞任も、いずれも単なる演出とみているから、偽装を暴く
追及をやめない。
 この時期、本山は「現時局下における宗內僧侶の進むべき方途」について通達を出した(五
十四年十月、日蓮正宗宗務院〕。この通達で、活動僧侶や檀徒会の動きにブレーキをかけた。
創価
学会に対しても、「六・三〇」(注・五十三年六月三十日「聖教新聞」掲載〈教学上の基本問
題について〉)、「一一・七」(注・五十三年十一月七曰、いわゆる“お詫び登山”で、池田会
長が日達法主に対して行なった、お誇び挨拶)を十分徹底させよといっている。
 しかし、創価学会へ向けていったのはむしろつけ足しみたいなもので、通達の本旨は活動僧
侶と檀徒会を押えるところにあつたという。喧嘩両成敗をみせかけたが、明らかに創価学会の
力が働いたものだ。
 だから創価学会は、「御法主上人猊下のご指導通り峻厳な信行学の実践に励み、外護の大任
を果たし切ってまいりたい」と、北条会長名の談話を発表した。創価学会は、宗務院通達をち
やんと“評価”したのである。つまり、「六・三〇、一一・七を十分徹底させよ」という命令
に対しては、特別学習会で徹底させると、神妙に反応した。
 五十二年一月、教学部大会における池田大作記念講演「仏教史観」の中で、「創価学会は在
家、出家の両方に通ずる役割を果たす」、「(既成寺院は)修行者の集まる場所でもなければ、
ましてや道場であるわけは絶対ない」などと述べ、学会の会館、研修所が現代における寺院で
あると強調したのである。
 この後、同じ年の四月、関西戸田記念講堂で池田大作は、日蓮の「生死一大血脈抄」を講義
し、その中で「創価学会の組織こそ、生死一大事の血脈が厳然と受け継がれており……初代牧
口会長、二代戸田会長の跡をつぐ創価学会の信心の血脈こそ、最も正しい仏法修行の軌道であ
る」と述べたのである。
 単純化していえば、これら池田講演は「創価学会は創価教(出家にも通じる)」であつて、
「創価教の法主は初代牧口会長、二代戸田会長、三代池田会長と続くものだ」と明言している
わけである。宗門側から批判の手があがるのは当然のことだった。五十三年六月には、「創価
学会の言論資料について」なる質問状が宗務院から学会に送りつけられた。
 前出の「六・三〇」は、この質問状に対する学会側の回答で、六月三十日「聖教新聞」及び
雑誌「大白蓮華」七月号に掲載された。回答は、問題となる表現は今後使わないとか、まこと
に遺憾であったなど、またまた一応全面陳謝にみえたが、宗務院から突きつけられた質問内容
は掲載していない。一般会員に宗務院の質問を知らせることは、ちゃんと逃げているのだ。
「一一・七」という池田大作の“お詫び”は、「これまでいろいろな問題について行き過ぎが
あり、宗内をお騒がせし、またその収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽せなかった
ことは、総講頭の立場にある身として、この席で深くお詫びいたします」(「聖教新聞」五十
三年十一月八日)という内容である。
 言論・出版妨害事件の時の池田大作“お詫び講演”と、この本山に対する“お詫び”を並べ
てみる時、両者がいかに共通したトーンで語られているかに気がつく。言葉巧みに反省をいう
のだが、元凶が池田大作であるとは、最後まで表現を避ける。せいぜい、監督不行き届きの責
任表明である。シラジラしいの一語に尽きるのだ。
 会長辞任劇は、始まりであって終わりではなかった。新たなトリック戦略の下で、池田・創
価学会、池田教への行進が始まっていくのである。
────────────────改頁・つづく────── 66

バリ活さんの妄想ツイッター…夢見る池田狂で、財務・選挙・出版・顕彰・民音・お墓などなど…

◆昇華さん
 間違いや失敗を重ねてようやく、チャンスが一筋の光のようにやってくる。しんどいけど、
そんなものだと割り切ってしまえば気も楽です。
 では一日、マイペースでまいりましょう〜
 一番辛い思いをした人が一番幸せになる権利がある。だから今からそしてこれから。

 先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば
地獄の苦みぱっときへて(転重軽受法門、1000㌻)

*わが友に贈る
希望光る朝の出発は
さわやかな挨拶から!
わが振る舞いで
地域や職場の友に
躍動の息吹を送れ‼

「声仏事を為す」です。語ることが仏法です。人を励まし続けていけば、必ずちゃんと話せ
るようになります。長い話をする必要はありません。

「一人くらいは」という油断と慢心から、破綻が始まる。一人を大切にし、「もう一歩」と
前進し続ける所は、団結より強固になり、それまでの労苦と困難を、すべて勝利と福徳に変
えていくことができる。我らは、この世で最も美しく強い「異体同心」の団結で、一日一日、
勢いを増し、粘り勝っていくのだ。

◆思い出の青春
嫉妬しない人は、自信がある人
嫉妬しやすい人は、他人の良さに気付く人
大勢の人の前で話すのが得意な人は、人よりも心が強い人
大勢の人の前で話すのが苦手な人は、人よりも考え深い人
悪口を言われても平気な人は、人よりもたくましい人
悪口を言われると落ち込む人は、人よりも心が純粋な人

法華経を讃むると雖も還つて法華の心を死(ころ)すと、死の字に心を留めて之を案ず可し不信
の人は如是我聞の聞には非ず(御義口伝巻上P709)

◆けんちゃん
幹部の指導が100%正しいとは限らない。僕は何度も、そういう場面を見てきた。あくまでもア
ドバイスとして聞き、判断するのは本人の心だ。一番大切な事は、指導してくれる人が本気で
祈ってくれているかどうかだ。

「宇宙を変化させる根本の生命力、これを名付けて、南無妙法蓮華経というのである。この
妙法が、自分の中にあるのだ。ゆえに、自分の望む方向に変化させていけるのは、当然のこと
である」大難を勝ち越えられた大確信の言葉だ。ー池田先生ー

いざや舞え これから君が 晴れ舞台 ー池田先生ー

★私は池田・創価狂のバリ活で…世界一の幸せ者だ!!--財務ダ!!、選挙ダ!!、先生ダ!!…

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