創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

亡国の元凶は池田・創価狂-11

2015-01-07 12:23:52 | Weblog
○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
   いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
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◆池田の会長辞任は戦術転換だ
 池田大作が本山に訖びを入れ会長を辞任、名誉会長へと退く。その後間もなく、大石寺・細
井日達法主が心筋梗塞で急逝した。後任に、創価学会寄りと目されていた阿部日顕宗務院総監
が選ばれ、第六十七世法主、管長職を継いだ。しかし、学会寄り新法主誕生後も、学会対檀徒
会の争いは鎮静化に向かわない。
 本山、創価学会、檀徒会と、三つ巴の混戦にケリをつけるべく、池田大作会長辞任、お詫び
劇の演出であつたが、簡単には幕がおりなかった。創価学会批判派僧侶、活動僧侶と植徒会
は、先の“お詫び登山”も池田会長辞任も、いずれも単なる演出とみているから、偽装を暴く
追及をやめない。
 この時期、本山は「現時局下における宗內僧侶の進むべき方途」について通達を出した(五
十四年十月、日蓮正宗宗務院〕。この通達で、活動僧侶や檀徒会の動きにブレーキをかけた。
創価
学会に対しても、「六・三〇」(注・五十三年六月三十日「聖教新聞」掲載〈教学上の基本問
題について〉)、「一一・七」(注・五十三年十一月七曰、いわゆる“お詫び登山”で、池田会
長が日達法主に対して行なった、お誇び挨拶)を十分徹底させよといっている。
 しかし、創価学会へ向けていったのはむしろつけ足しみたいなもので、通達の本旨は活動僧
侶と檀徒会を押えるところにあつたという。喧嘩両成敗をみせかけたが、明らかに創価学会の
力が働いたものだ。
 だから創価学会は、「御法主上人猊下のご指導通り峻厳な信行学の実践に励み、外護の大任
を果たし切ってまいりたい」と、北条会長名の談話を発表した。創価学会は、宗務院通達をち
やんと“評価”したのである。つまり、「六・三〇、一一・七を十分徹底させよ」という命令
に対しては、特別学習会で徹底させると、神妙に反応した。
 五十二年一月、教学部大会における池田大作記念講演「仏教史観」の中で、「創価学会は在
家、出家の両方に通ずる役割を果たす」、「(既成寺院は)修行者の集まる場所でもなければ、
ましてや道場であるわけは絶対ない」などと述べ、学会の会館、研修所が現代における寺院で
あると強調したのである。
 この後、同じ年の四月、関西戸田記念講堂で池田大作は、日蓮の「生死一大血脈抄」を講義
し、その中で「創価学会の組織こそ、生死一大事の血脈が厳然と受け継がれており……初代牧
口会長、二代戸田会長の跡をつぐ創価学会の信心の血脈こそ、最も正しい仏法修行の軌道であ
る」と述べたのである。
 単純化していえば、これら池田講演は「創価学会は創価教(出家にも通じる)」であつて、
「創価教の法主は初代牧口会長、二代戸田会長、三代池田会長と続くものだ」と明言している
わけである。宗門側から批判の手があがるのは当然のことだった。五十三年六月には、「創価
学会の言論資料について」なる質問状が宗務院から学会に送りつけられた。
 前出の「六・三〇」は、この質問状に対する学会側の回答で、六月三十日「聖教新聞」及び
雑誌「大白蓮華」七月号に掲載された。回答は、問題となる表現は今後使わないとか、まこと
に遺憾であったなど、またまた一応全面陳謝にみえたが、宗務院から突きつけられた質問内容
は掲載していない。一般会員に宗務院の質問を知らせることは、ちゃんと逃げているのだ。
「一一・七」という池田大作の“お詫び”は、「これまでいろいろな問題について行き過ぎが
あり、宗内をお騒がせし、またその収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽せなかった
ことは、総講頭の立場にある身として、この席で深くお詫びいたします」(「聖教新聞」五十
三年十一月八日)という内容である。
 言論・出版妨害事件の時の池田大作“お詫び講演”と、この本山に対する“お詫び”を並べ
てみる時、両者がいかに共通したトーンで語られているかに気がつく。言葉巧みに反省をいう
のだが、元凶が池田大作であるとは、最後まで表現を避ける。せいぜい、監督不行き届きの責
任表明である。シラジラしいの一語に尽きるのだ。
 会長辞任劇は、始まりであって終わりではなかった。新たなトリック戦略の下で、池田・創
価学会、池田教への行進が始まっていくのである。
────────────────改頁・つづく────── 66

バリ活さんの妄想ツイッター…夢見る池田狂で、財務・選挙・出版・顕彰・民音・お墓などなど…

◆昇華さん
 間違いや失敗を重ねてようやく、チャンスが一筋の光のようにやってくる。しんどいけど、
そんなものだと割り切ってしまえば気も楽です。
 では一日、マイペースでまいりましょう〜
 一番辛い思いをした人が一番幸せになる権利がある。だから今からそしてこれから。

 先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば
地獄の苦みぱっときへて(転重軽受法門、1000㌻)

*わが友に贈る
希望光る朝の出発は
さわやかな挨拶から!
わが振る舞いで
地域や職場の友に
躍動の息吹を送れ‼

「声仏事を為す」です。語ることが仏法です。人を励まし続けていけば、必ずちゃんと話せ
るようになります。長い話をする必要はありません。

「一人くらいは」という油断と慢心から、破綻が始まる。一人を大切にし、「もう一歩」と
前進し続ける所は、団結より強固になり、それまでの労苦と困難を、すべて勝利と福徳に変
えていくことができる。我らは、この世で最も美しく強い「異体同心」の団結で、一日一日、
勢いを増し、粘り勝っていくのだ。

◆思い出の青春
嫉妬しない人は、自信がある人
嫉妬しやすい人は、他人の良さに気付く人
大勢の人の前で話すのが得意な人は、人よりも心が強い人
大勢の人の前で話すのが苦手な人は、人よりも考え深い人
悪口を言われても平気な人は、人よりもたくましい人
悪口を言われると落ち込む人は、人よりも心が純粋な人

法華経を讃むると雖も還つて法華の心を死(ころ)すと、死の字に心を留めて之を案ず可し不信
の人は如是我聞の聞には非ず(御義口伝巻上P709)

◆けんちゃん
幹部の指導が100%正しいとは限らない。僕は何度も、そういう場面を見てきた。あくまでもア
ドバイスとして聞き、判断するのは本人の心だ。一番大切な事は、指導してくれる人が本気で
祈ってくれているかどうかだ。

「宇宙を変化させる根本の生命力、これを名付けて、南無妙法蓮華経というのである。この
妙法が、自分の中にあるのだ。ゆえに、自分の望む方向に変化させていけるのは、当然のこと
である」大難を勝ち越えられた大確信の言葉だ。ー池田先生ー

いざや舞え これから君が 晴れ舞台 ー池田先生ー

★私は池田・創価狂のバリ活で…世界一の幸せ者だ!!--財務ダ!!、選挙ダ!!、先生ダ!!…

コメント
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