創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田大作と暴力団…18

2014-08-13 08:54:22 | Weblog
○池田大作と暴力団… <=18>…西岡研介他……2012(H/24)/8─宝島社
(表紙ウラ)
オウム真理教事件が起こリ,宗教法人法の改正で国会が揺れた1990年代半ば──
永田町であるテープの存在が囁かれた。
山口組の直参、後藤組の後藤忠政組長(2008年引退)と、
池田大作名誉会長の〝腹心〟として学会の裹仕事を担ってきた藤井富雄・都議会公明党
顧問(当時は都議)の密会テープである
このテープが永田町に流出。藤井顧問は後藤組長に対し、当時、自民党の組織広報本部
長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井静香議員の口封じなどを依頼したという。
果たしてその真相は?本書では〝盗聴実行犯〟と初めて接触し、生々しい証言の獲得に成功。
「パンドラの箱」からは、驚くべき事実が飛び出してきた!

────────────────改頁────── 106
金満教祖のルーツ「関西創価学会」の裏面史     森功
 池田大作をトップに君臨させた高利貸し時代の営業力とカネ
 西成の花園旅館で大阪支部の旗をあげた地田は,
 高利貸しの大蔵商事で培った営業力を宗教や政治の世界でもいかんなく発揮していった。
 創価学会の“聖地”大阪に“池田教”のルーツを探る。

◆橋下徹にすがってでも勝ちたい関西公明党
 創価学会では毎年2月1日を「関西の日」と呼ぶ風習がある。その由来は、まだ戦後の匂いの
残った昭和27(1952)年に遡る。この年の2月1日、大阪市西成区の花園町にある「花園旅館」で、
創価学会大阪支部が産声をあげた。西成地域は関西における創価学会発祥の地であり、政治活動
もここからスタートしている。そんな深いかかわりは、今にいたるまで連綿と続き、政治や行政
と密接に絡み合つている。
池田大作率いる創価学会の活動において、多くの幹部たちが最も重要な拠点と位置付ける特別
な場所である。
「公明党は先の消費増税法案を巡る民主、自民、公明の三党連立よりずっと前から、来る解散総
選挙をにらんで着実に準備を整えています。その最も大きな動きの一つが橋下(徹)市長の大阪維
新の会との連携です」
 大阪の選挙事情について、大阪在住の公明党関係者が打ち明ける。「昨年の大阪府知事、大阪市
長のダブル選挙後、民主、自民とも次期総選挙における撟下人気に恐れをなし、維新の会にすり
寄っていますけど、すでに公明は選挙協力の約束ができている。
 総選挙では、公明の出る小選挙区に維新が対抗馬を出さないよう、双方の取り决めができてい
ます。前回の衆院選では、公明党の結党以来初めてといえるほど、民主に惨敗しました。
創価学会にとって大阪は聖地ですから、それを取り返さなければならないと必死なのです」公明
党と大阪維新の会による選挙協力体制の象徴が大阪市議会だ。そこには、関西創価学会発祥の地
である西成地区との縁もある。公明党関係者が続ける。
「橋下さんは大阪都構想のなかで、西成特区をぶち上げ、大阪市議会で西成出身の辻(淳子)いう
女性の大阪市会議員を議長に据えた。ほんで一方の公明党は小玉(隆子)を副議長として出して
連携を図っています。だから議会は維新、公明の運営で安定してる。それはもちろん衆院の選挙を
控えているから。当初は七月投票を想定していた。延びたら準備を整えられるので儲けもんやけ
ど、この1年以内には間違いなく解散がある。これで大阪の議席は守れるという体制を整えてい
るのです。それだけ創価学会にとって、大阪は大事なんですわ」

◆池田大作の“ルーツ”は西成あいりん地区
 日雇い労働者の町である西成のあいりん地区は、橋下徹の西成特区構想や生活保護問題でもク
ローズアップされた。かっての花園旅館はそのあいりん地区に隣接していた。
「昭和27年2月当時、大阪にはまだ創価学会員が一人もいませんでした。そこで初代大阪支部長
になったのが、白木義一郎さんでした。プロ野球のセネターズ(注:のちの東急フライヤーズ、現
日本ハムファイターズ)のピッチャーとして活躍した白木さんが、肩を傷めて阪急ブレーブスにト
レードになつた年です」
関西在住の古参創価学会幹部がそう振り返る。
「学会内で関西の日と呼ばれる2月1日は、その阪急のキャンプインの日ですねん。白木義一郎
さんのお父さんは、初代創価学会の会長である牧口常三郎さん時代からの数少ない幹部だつたん
ですけど、本人は若い頃、学会に対するアレルギーが強かった。プロ野球界に入ってからも学会
に反発して入信せなんだんです。けど、肩を傷めて阪急にトレードに出されるのがよほど堪えた
んでしょう。日蓮正宗に帰依するようになり、学会活動も熱心になった。
 それで、二代会長の戸田城聖先生にトレードの件を報告したところ、戸田先生が、『大阪に行く
ならいい機会だ、君を支部長心得にするから、折伏して向こうで信者を増やせ』と命じたんです」
 白木義一郎は1919年9月20日、東京蒲田に生まれる。慶應義塾大学のエースピッチャーとして
鳴らし、終戦の翌46年(昭和21)にセネターズ入りし、いきなり30勝をあげスターになる。
プロ野球選手初の国会議員としても有名だ。
もつとも1年目の負け数も22あつた。そんな当時の無理な登板が肩を傷める原因になったのか
もしれない。そうして熱心な創価学会員となる。
 大阪に移住した白木が、創価学会を広めるために拠点にしたのがほかでもない、西成の花園旅
館だったのである。
 ちなみに白木は池田大作夫人である香峯子の旧姓だが、義一郎と池田夫人はいとこ同士にあたる。
「池田先生にしてみたら、すでに白木さんは身内のようなものだったのかもしれません。その白木
さんのお目付け役として、戸田先生が大阪に送り込んだのが、池田名誉会長でした。
 信者の折伏となれば、泊まるところや集まる場所、座談会ができるところが必要になる。それ
ができる旅館を押さえ、いうんで、陣取ったのが花園旅館でした。
 そうして花園旅館に池田先生をはじめ数人の幹部が集結し、関西創価学会の基礎を築いていっ
た。と同時に、政治活動も行ない、国会や府市議会に議員を送り込んだのです」(前出、古参幹部)
 関西創価学会発祥の地となつた花園旅館は、あいりん地区に沿って南北に走る南海本線の脇にあ
った。現在のスーパー、イズミヤ本店の隣に位置する。
 近くには、日雇い労働者やホームレスがたむろするあいりん地区の三角公園もある。
その木造旅館の大広間を借り切り、若き日の池田大作たちが日蓮正宗の曼荼羅を拝んだ。花園旅
館は創価学会の信者折伏のため、作戦を練った場所である。
 28年生まれの池田はまだ24歳。白木より9つ下だ。高利貸しの大蔵商事の営業部長として頭角
を現し、二代目会長の戸田城聖の黒子役として奔走していた時期にあたるが、創価学会内では青
年部の第一部長に過ぎない。三代目会長どころか、まだまだ組織内では認められてはいなかった
という。
「池田先生が戸田先生に『これからこの創価学会は東日本だけでは駄目やから西の拠点をつくり
ましょう』と提案したのが大阪支部づくりだといわれています。大阪を押さえたら西日本は制覇
できるいう話になり、そこへ白木さんの大阪行きがきまった。白木さんのいとこである香峯子さ
んと池田先生が付き合つていたこともあり、白羽の矢が立ったのだと思います。花園旅館で寝泊
まりしながら、東京の応援部隊といっしょに数人で西成地域の住人リストを作成し、名簿を持っ
て折伏して回つたといいます。そうして池田先生は実績をあげた。だから今も創価学会にとって
大阪は聖地であり、西成は聖地の中の聖地なのです」
と先の古参幹部。創価学会大阪支部の旗揚げから2ヵ月後の5月3日、池田大作は香峯子と結
婚。池田自身、大阪での信者獲得や政治活動により、創価学会内での存在感を増していったとい
う。池田たちが広い大阪で、広宣流布の狙いを西成地区に絞ったのにはそれなりの理由もある。
「西成には日雇い労働者だけやのうて、わけありの人がぎょうさん集まつて来ていた。貧しい人
も多い。それは折伏の狙い目でもあるんです。“貧・病・争”つまり貧乏、病気、家庭内の争いを
抱える人は悩みがあるので、宗教にすがる傾向があります。東京などでも下町に学会員が多いよ
うに、折伏しやすかつたんや思います」(同、古参幹部)

 ───────(~109頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)

◆日蓮(宗)は《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
  その親分は、カリスマでおぞましさ、史上類なき・池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価の公明党
大衆から (マゾヒスト)叩かれヨガリ 50年

◆「言論妨害」と言えば池田大作(創価学会/公明党)
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