創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-17

2019-04-14 09:27:34 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P86)---(以下、本文)-------

◆ マルチ商法の先取り
 ネズミ講商法の被害は最近、会長・永野某が殺害された「豊田商事」事件で衢撃的な社会問題となりながら、ますます猛威をふるっている。無限連鎖と称し、親から子、子から孫、孫からヒ孫へ……へと、ネズミ算式に会員の手元に幾何級数的(?)にリベートが転がり込んでくるというやつだ。
 熊本で内村某が始めたものだが、このネズミ算が無限でなかったところからついに波産に至ったものであるのは、まだ記憶に新しいところだ。
 ネズミ講は破産したが、ネズミ算でカネ儲けというシステムの破産であって、講元の内村は莫大な資金を吸いあげた。ネズミ講は破産したが、形を変えたそれは依然、統いている。最近では、“無店舗商法”の名に隠れたネズミ講の変種が続出している。代理店募集を謳い、保証金をとる。カネをとられて代理店になったやつが、また、下の代理店を募集する。物品販売でも、この手を使う。セールスマンがセールスマンをふやすのだ。この場合、セールスマンというのは、ネズミ講の会員と同じだ。

 熊本のネズミ講では、内村某は吸いあげた莫大なカネで、「天下一家……」と称するインチキ宗教をでっちあげていた。豊田商事は、「銀河計画」なる、宮沢賢治ばりのロマンチックなネーミングで、次々と子会社をでっちあげた。ひっかかつたのは、共通して、かなりまとまったカネを有しながらも一般的には社会的弱者とみられる人間であるのが特徴的である。その人たちは、より一層の幸福を夢みて、これら詐欺商法に飛びついた。カネという名の幸福を夢みたからといって、一概に欲ボケなどと嘲ることはできまい。
 御本尊を「幸福製造機」などと俗悪極まる名で呼び、折伏また折伏で会員をふやしてきた創価学会をみると、むしろネズミ講的商法の戦後的原型ではなかったのかとさえ思えてくるのである。創価学会も、ここまでくれば、「幸福製造機」を売りつけた手前、学会流広宣流布でツジツマを合わせなければ、やがて破産だろう。御本尊という板マンダラの投げ売りで会員を集めるのは、まさに、豊田商事のありもしない金をエサにぺーパー商法で会員を釣るやり方と同じである。
 いずれにせよ、現代日本においてネズミ講的、マルチ商法的詐術の跳梁跋扈は、まさに繁栄の中の狂気の伝染病のようにとどまる気配をみせない。そのエイズにも似た病原菌が創価学会の価値論の中に内包されており、政教乱交と欲ボケの交錯から発生したといえなくもない、ということである。

 焼跡の創価学会は当初、日蓮正宗の教義勉強会として出発したが、折伏大行進の号令のかかった二十六年になると、勉強会は変質していた。創価学会機関誌「大白蓮華」は二十四年創刊である。B5判三十頁そこそこのものだ。創刊号の巻末に誌上問答欄があり、創価学会を説明している。
「問--もっと宗教団体とか、学術団体とか、政治団体とか、はっきりさせて運営した方がよいのではないでしょうか。
 答--勿論或時期が来て必要があれば、そうした組織も立てられるでしよう。然し唯一つ、はっきりしていることは、創価学会の役員や会員には宗教を利用した名誉欲や利欲が絶対にないことです。(中略)況して近頃の新興宗教のように何人以上と决めて会員を増加させれば位が上って行き、次第に支部長とか本部役員というようになって本来の職業を捨て、お祈り屋になるというようなことは絶対にありません……」
 まるで、現在の創価学会をそっくりそのままに批判しているみたいであるから、これもまあ、ブラック・ユーモアものだ。現在をいうまでもない。戸田が会長就任後の折伏大行進から、倍々ゲームの如く、猛烈な創価学会セールスが始まるので、むかし保険のセールスをやった戸田の造語で、「とびこの」というのが出てきた。「飛びこみセールス」からきたという。
 「とびこの折伏」により会員獲得の実績をあげると、学会内の出世が約束されるようになった。会費をとらない創価学会とはいえ、御供養にカネを出すほど、学会での地位があがっていく。ネズミ講商法、マルチ商法の先取り、原型というべきであろう。

 地位と名誉(まずは学会内において)を求め、学会員は活動した。価値論--利善美の利で動いた。ご利益を信じて動いたのが、強盛な信者(スジ金入り)たちだ。
 戦後の“神々のラッシュアワー”といわれた新興宗教ブームの中で、創価学会は、一番遅れてやってきた少数派だ。少数派の怨念が、彼らの行動のバネになっていた。そのマイナー集団が折伏大行進で功を収め始めると、今度は、「七十万世帯折伏が達成できなければ、戸田の葬式を出してはいかん。品川の沖へ骨を捨てよ」と、戸田が号令する。折伏大行進の直前、会員数は三千人から四千人といわれていたのだ。いかに、彼らの怨念がすさまじかったか、想像できようというものだ。

 少数派が、にわかに多数派志向となり、今度は数を絶対視し、過信する集団へと変身していったのである。しかも、依然として少数派の怨念を会員に叩き込む。幸福がほしけりゃ信心しろ。信心が足りなきゃ、ご利益はない!
 これが、創価学会式無限連鎖の原理なのだ。
     ----------(次回に、つづく)---------90

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 創価学会・公明をブッた斬る-16 | トップ | 創価学会・公明をブッた斬る-18 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事