--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る 藤原弘達
…S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
------(P90)---(以下、本文)-------
カネ、出世、モノ…の即物教
◆ タダ酒飲めない奴はダメだ
池田大作語録がある。毛沢東語録と違い、会員必読文献として公刊してはいないが、将来、教典にでもするつもりか、本部で記録したものだ。他に、学会系企業社長会での発言語録もある。例えば、池田と公明党議員懇談会記録抜粋ではこうだ。
「みんな元気だな--。ところで今ふところにいくらもっている。坂井…万、みんな十万前後。渡部7千円。ナベは男らしいからな。議員は10万ぐらいもっていないと。ナベのところ選挙心配ないよ。(衆議院の定数改正で、愛知は3~4になると石田(幸)報告)」
「こうしてタダで食っているんだから、まあ、ただ酒をのめないようじゃ-政治家になれない。東大はだめだよ(総長が、ただ酒は飲むなと卒業式講演したことがあるからだろう) (注・東大総長ではなく、京大総長・瀧川幸辰が、昭和二十九年卒業式訓辞で述べた。池田は、タダ酒を飲めぬ奴はダメだというのである)
「皆、学会に入っていなかったらどうなつていたかね。坂井は職工長だね。田代…売れない医療器具のセールス。ナベ、マージヤン屋の用心棒。山田…中小企業のタレ流し。持永…一人で売れない雑誌つくっているだろう。八ヒロ…学会に入らなければよかった。私の学会をつくっていたかな。
持永…日体大の体育の教師。花房…トルコブロで背中流している。…みち子…有吉さわ子」(段勲編『創価学会・公明党の研究』晩声社) 内輪の放談のせいか、記録の省略からか、部外者には意味不明の部分はあるが、池田大作の気持よさそうな口調を映し出しているのと、職業、身分に関してあからさまな差別的蔑視観の現われているのに注目されたい。
☆ ☆ ☆
池田大作は、贈り物をもらうのが好きな男らしい。おおざっぱにみても資産二兆を超えるという創価学会の頂点に立つ池田が、やたらとモノをほしがるのも不思議である。しかし、池田の感覚は常識でははかり難いものがあるのだ。学会元教学部長・原島嵩は「池田大作の欲望と支配」(「現代」五十七年一月号)で、こう書いている。
「池田氏は『私に品物を寄こせば、それだけで信心の電流がながれる』と常々語っていたから、各地の幹部は、何とかして『池田先生に喜んでいただける品々』を贈ることに腐心した。
さらに、学会首脳、公明党首脳、外郭会社や団体に届けられた贈答品も、すべて『池田先生のもの』として、池田氏のもとに集められた。あまりにたくさんの品が届くので、一括して倉庫に入れ、本部職員にバーゲンで安売りすることもあった。その売り上げは、もちろん池田氏のふところに入った」
もっとも、自民党の政治家だって盆暮の贈答シーズンになると、庭先にプレハブ倉庫を建てて、贈り物をしまいこむ。ほしくもない物はデパー卜に戻せば現金にかわる。権力者の役得--いわでものことだ。池田の場合、権力者の役得だけでなく、“御供養”を要求する姿勢とダブる。この生きボトケさまは、やたらとモノやカネを御供養として要求する。新興宗教事業屋としての池田教の素顔に他ならない。
このような、カネ、出世、モノに対する執着というか怨念は、池田を頂点とした創価学会幹部に共通する。なるほど、三千人か四千人の弱小信者団体から七八〇万世帯にふくれあがったが、依然として、その意識たるやマイナーなのだ。零細企業のオヤジから叩きあげて大社長になっても、その心たるや、なお零細のままなのだ。少数派の被害者意識がウラ返しに戦闘的となり、加害者への報復的行動へと彼らを駆りたてているということでもある。
世界有数の経済大国、国民総中流意識などといっても、わが日本国の大衆社会の底辺は依然、繁栄から取り残された心貧しき層である。そこには、現状に対する欲求不満というメタンガスが充満している。創価学会のもつ体臭は、これらの人々を欲とガムシャラな突進(いわゆる上昇指向とは別のものだ)へと吸いつけるのに、まことにふさわしい一種のイカサマであり、板キレ、紙キレに過ぎない御本尊神聖視から「利」絶対に及ぶ即物主義にこそ、その信仰の決定的ともいえる特徴があるといってよい。
----------(次回に、つづく)---------93
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