私は山崎正友を詐欺罪から救った! -- 2002/05
--アウトローが明かす巨額“手形詐欺”事件の真実--
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第ー章 共犯
1 手形のサルベージ
あれは確か、昭和五十四(一九七九)年十二月の初めだったと記憶する。そして、この昭和五十四年という年は、創価学会にとつては重要な節目の年であつた。
昭和五十四年四月二十四日、池田大作第三代創価学会会長勇退、同年七月二十二日、第六十六代宗教法人日蓮正宗総本山(大石寺)管長細井日達法主急逝、これにともない八月六日、第六十七代管長に阿部日顕法主当座、と、この年は創価学会、また日蓮正宗宗門にとっても、そして、山崎正友にとっても、まさに激震に揺れていたときだった。
その日、私は知人の仕事師の事務所にいた。仕事師(ゴト師)とは、知能犯・経済事犯者、例えば、手形のパクリ屋、取り込み詐欺師、会社の整理屋等々の仕事人のことをいう。
この犯罪は民法上の範疇で治め、司法警察の手には及ばないようにする、いわゆる民事不介入の原則を悪用することで、詐欺行為を司法警察の手が及ばないように仕掛けるものである。これをできる仕掛け人を、ゴト師と呼ぶ。
ヤクザは、なかでも知能犯ヤクザは、時としてこうした仕事師を手駒として利用し、仕事師達のケツを持つ(バックアップする)関係となる。
私の居候先の事務所は、赤坂見附(東京港区)から外堀に架かっている弁慶橋を渡って、右に赤坂プリンスホテル、左にホテルニューおータニを見て、清水谷公園を過ぎた突き当たりにある、千代田区麹町の秀和丁TBRビルの七階にあった。
このビルの隣には参議院宿舎の大きな建物があり、この一帯、麹町、平河町、永田町、さらには新宿通りをはさんで一番町から五番町には、国会議員のロビイストを自認するブロー力ーや、それに類する仕事師、そして弁護士事務所、衆参両国会議員の事務所や、砂防会館を始め、多くの政治団体事務所等々、いわゆる日本国を経営していると自称する連中、魑魅魍魎が昼間からはびこっている政財界のゴミたまりのようなところである。
このような土地柄の麹町の一角にあったこの事務所に、私は一力月前から居候していた。
この事務所の主である知人は、仕事師仲間では親方的存在で全国的にも名の知れた人物であり、毎日、多くの仕事師達が出入りしていた。なかには顔見知りの人物も多くいた。
その一人に、名古屋方面を本拠地とする手形パクリ専門の仕事師・藤田某がいた。その藤田から、木村武志という人物を私のところに行くよう紹介しておいたので、できるだけの面倒を見てやつてくれと連絡してきた。
この木村という男も、名古屋から関西方面にかけてはそこそこ名の通つた手形のパクリ屋だった。その男が私を頼って、この居候先の事務所に訪ねて来たのである。
木村は、私への挨拶もそこそこに、「実は自分に関係ある会社の手形を、シーホースという会社の者に詐取られた。この手形をサルべージしてほしい」
と切り出した。サルベージとは沈没船を引き上げるという意味だが、この言葉を転用して、アウトローの隠語で、「詐取された手形や小切手等を回収(引き上げ)する」という意味に使われる。
ヤクザ者が請け負うシノギ(仕事)の中で、手形のサルベージは比較的多い仕事であり、私たちの得意とする分野でもあつた。
このようなわけで私は、木村の手形のサルベージの話を聞くことにした。一方的にこいつら「仕事師」の話を聞いて乗っかろうものなら、とんでもない目にあうこともある。相手が何者とも知らず、また、どんな事情が隠されているかもわからずに、この木村の言い分だけで引き受けるわけにはいかない。
そこで私は、この手形をパクッたという相手に会えるように木村に指示を出し、私の居候先の事務所近くにある、ホテルニューォータニで会うことにした。
当時、私は毎日のようにホテル二ューォータ二のテーラウンジを自分の応接室代わりに利用していた。
その日もこのホテルを利用し、木村から手形を詐取したというシーホースの社長で丸尾という人物を、ここに呼び出すことにした。木村が連絡すると相手は出て来るというので、私は木村と雑談をしながら丸尾を待っていた。
午後一時ごろ、私たちの前に紺色の背広を着た三十歳前後と思われる男が現われた。その男はメガネをかけ、頭はきちんと七三にして、一見、どこにでもいる典型的なサラリーマン風の男であった。
「社長、この人が丸尾さんという人です」
と、木村が、私にすがりつくような仕草で、その男を紹介した。「シーホースの丸尾です。お忙しいところ、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ありません」
こう言いながら私の前の席に座った。初めは躊躇している様子だったが、渋々と私に名刺を差し出した。
名刺には「株式会社シーホース代表取締役社長丸尾進」と印刷されてあつたが、見れば見るほどどこにでもいる素人のビジネスマンにしか見えない男だった。とても、手形のパクリ屋には見えない。
ましてや、海千山千の仕事師である木村を騙して、手形を詐取ることなどできるわけはないと思いながらも、とりあえず私は、「おい、こら、てめえがシーホースの社長か。この嘘つき野郎。木村からパクッた手形の分の金を払え! 何、払えない? ふざけたことをぬかすんじやねえぞ。この野郎。金ができないなら、手形を返せ。おうおう、今すぐだ。この野郎!」
と怒声を浴びせた。
この手の仕事は、脅しから始めるのが常套手段である。最初に大声で力マシをいれておけば、後はさほどの大声は必要ではなく、むしろ小声で脅す方が、効果が上がることが多い。この男もこの脅し文句をまともにうけたらしくかなり怯えた様子であり、この怯え方から見て、木村の説明にあまり嘘はない、と私は判断できた。
「ああ、どうもすいません。この手形の件については、自分はよくわからないことなので、誠に申し訳ありませんが、うちのボスに直接話していただけませんでしょうか?」
大きな声で、嘘つき野郎と怒鳴られたのに、この男は、その言い訳もせず、小さな声で言った。
「あのう、うちのボスは山崎という者でして、うちのボスに会って話をしていただければ、すべて解決することと思います。
この手形の件については、うちのボスがすべて承知しています。それにうちのボスはかなり有名な男なので、塚本さんが直接会って話して頂ければ、きっとわかっていただけることと田心います」
こう言うだけで細かいことは何も言わず、また、うちのボスなる人物についても、それ以上の説明もなかった。ただ、この男の言い分では、ボスなる人物はかなり名の通った有名人で、自分は単なる雇われ社長であり、この手形の件に関しては自分に関係なく、また、その貴任を負うことはできないということだ。
したがって、本当の責任者である“うちのボス”に会ってもらえればわかりますと繰り返すだけであった。
こんな役立たず男の言い訳を聞いても仕様がないので、--「なにい、この野郎、テメエも社長だろうが、社長のテメエがわからないだと、ふざけるんじやねえぞ、このバカ野郎が。じゃあ今すぐに、テメエん所のボスという野郎に会おうじやねえか、エ、オイ、すぐに会わせろや」--と、また、力マシをかけた。
「はい、わかりました。今すぐ、ボスに連絡を取ってみます」
男はすぐに席を立ち、ティーラウンジの入り口にある公衆電話に向かい、そのピンク電話で数分間話をしていた。
先方と話しがついたようで、席に戻ってきた。
「ああ、どうもすいません。お忙しいところ誠に申し訳ありませんが、今日の夕方五時頃で良ければ、時間が取れると言っております。場所は、うちのボスの事務所でいかがでしょうか? ご都合がよろしければ、自分がお迎えに上がります。それまでの間少々お待ち願えますか?」
と、ボスなる人物と会える段取りが整った報告をした。
「ああ、わかった、いいよ、迎えに来るときに連絡をくれ」
私がそう返事をすると、この男は少し安心したようではあったが、一刻も早くこの場から逃げ出したいという面持ちであつた。
「じゃあ、もうお前さんは帰ってもいいよ」
こう言うと、この男は自分の飲んだお茶代も払わずに、ほうほうの体で帰っていった。
私は、この男が帰った後も、その場で木村とお茶を飲みながら、パクられた手形の経緯を聞きだすことにした。
木村の説明では、この手形は買い手形であり、このまま不渡りになっても一向にかまわない。そして本当のところ、サルベージが成功しても一銭にもならないが、このままみすみすパクられたままでは、自分も仕事師の端くれとして我慢ならないと言う。
また、これまでの交渉の中でわかったことは、シーホースという会社は、この手形を間違いなく銀行に持ち込んで割引して使っている。
だから、そう簡単には銀行からは引き上げることができないはずだ。少し強面に脅しをかければ、きっと金になる。どうやるかは塚本社長に頼めと、先輩の藤田さんから言われて東京に来たとのことであった。
話を聞けば、体の良い恐喝のネタであった。
また、この手形は、今ここで会った丸尾という男に直接渡したのではなく、二力月位前に、シーホースの名刺を持ち、この会社の営業部長を名乗る三塚だか篠塚だかに渡したとのことだった。
その後、この名刺はなくしてしまったため、実際に手形を手渡した人物の名前は不明だが、シーホースの関係者であることは間違いなく、その人物が問題の手形を丸割してくれるとの約束で渡していた。
しかし、時間が経っても金ができず、催促の連絡を取れば、もうすぐ金ができるから待ってくれと言われるだけで、なかなかラチがあかない。その上、手形の支払期日が迫ってきた。
そんなわけで、手形をパクッた相手方のシーホースと連絡を取ると、先ほど会った丸尾という社長が応対してくれるのだが、その返事は、「もう少し待ってくれ」の繰り返しだった、と言う。
私は、先ほど会った丸尾という男の怯えようから判断して、木村が報告してきた話と実際が大差ないことと見極めた。
そして私は、この手形のサルべージの話に乗ったのである。
木村とお茶を飲みながら、丸尾が言っていた、うちの“ボス”とは何者だ。ボスなどと呼ばれている者なら、かなりの大物なのかも知れない、などと話をした。
もしかすると、私とは同業のヤクザ者かもしれないが、たとえそれがヤクザ者でも、またどんな大物が出てきても、先方には手形をパクッたという弱みがあり、かえってヤクザ者の方が早く話がつきやすく、また、その相手次第ではすぐにでも金になるかもしれない、などと話をしながら時間を潰し、一旦は事務所に戻った。
そこでまた、雑談をしながら約束の時間が来るのを待っていた。
その約束の時間より少し早い四時ごろだった。待っていた丸尾から電話が入った。
「すいません。ちょっと時間が早くなりましたが、ご都合が宜しければ、今すぐにお迎えに伺います。うちのボスが、時間ができたのですぐにでも会いたい、塚本さんのご都合を聞いてくれと言つてきました。
ただし、今日お会いできるのは塚本さんだけで、一人で来てくれと言っていますが、いかがでしょうか?」
無論、私は一人で行くことも一向にかまわないから、すぐに迎えに来るようにと返事をして、心の中で喧嘩相手にでも会いに行くような気持ちで待機していた。程なく迎えに来た丸尾の案内で、ボスなる人物に会いに行った。
案内された先は、私の居候先の事務所のある千代田区麹町から五、六分の距離で、千代田区三番町の交番近くにある「ヒルトップ三番町」というマンションであった。このマンシヨンはかなり古い建物であるが、この近辺ではかなり有名な豪華マンションの一つであった。
案内人の丸尾に導かれ、この部屋の玄関に入った。第一印象は、それは普通の会社の事務所とは趣の違う、また、普通の住居とも違った部屋であった。丸尾に促されて、私はおもむろに靴を脱ぎ、この部屋の中へと入って行った。
四時を過ぎたばかりの時間であったが、天井には明かりが灯いていた。それでも薄暗く感じる、かなり広い部屋に案内された。部屋の床には薄汚れたダーク・グリーンのじゅうたんが敷き詰めてあり、奥の方に、一人の見るからに貧相な男が座って、電話で何か大声を出して話していた。
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