創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明のスキャンダル-43

2018-09-22 08:12:24 | Weblog

 <サイコパス・池田の“人脈・金脈・性脈”>
創価学会・公明党--スキャンダル・ウォッチング
     これでもあなたは信じますか   内藤国夫  (日新報道 1989/06)
    ------(P.261)---(以下、本文)-------

城久から博正へ   ご学友グループ一覧
 ところで、池田は、四十七年頃から、次男・城久を後継者にしようと、世襲化を企て始めた。
 池田は当初、長男・博正を跡目にすべく企図していたが、やがて城久へと心変わりする。そのため、創価高校へは進学しなかった城久を創価大学に人学させる(三期生)。そして、創大二十七人グループ(女子七人を付記するので、合計三十四人)と称されるご,グループで城
久をおもりさせるとともに、時至らば、この二十七人を学会内の要職に配置し、“城久政権”を護持させようとした。
 忍田、正木はそのご学友グループの一員。殊に正木は、城久と同期生で城久に最も近い存在だった。
 三期生は、五十一年の卒業時に、戸田二代会長の門下生である水滸会の宣言を模して、--
「一、我ら三期生は直系の池田門下の誉れも高く我が生命を賭して断固師弟不二の道に生きぬいてまいります。
 一、我ら三期生は本門一期生の使命として池田先生の掲げられた二十一世紀の人類救済の御構想を我が生涯を賭して実現してまいります」などとアジる三期生宣言なるものをとりまとめた。
                      ☆
 三期生を“本門の一期生”としたのは、城久の旗本たらんとの意志があったからに外ならない。池田は、この三期生の卒業時には、大学八階の仏間において代表と勤行し、「今日、私と一緒に勤行した人にはお守り御本尊をあげよう」と、ただ集まって一緒に勤行しただけで護り本尊(携蒂用御本尊)を与えるほど目をかけた。
 創大二十七人グループは、忍田・正木が登用されているように、城久の死後、そっくり長男・博正を擁立、護持するためのグループへと変貌している。以下、その名前を列記しておこう。
《()内は年齢〉
 忍田和彦(35) 青年部長                           田代康則(36) 第一庶務室副部長
 馬場善久(35) 創価大学講師                     塩原将行(35) 創友会運営委員
 松村光晃(36) 顧問弁護士                        本田正紀(35) 副男子部長
 寺西宏友(34) 創価大学講師                     島田 勉(34) 創友会副委員長
 和田吉隆(33) 日蓮正宗国際センター            梶原哲也(32) 青年平和会議事務局次長
 羽吹好史(37) 創価大学助教授                   吉郷研滋(37) 第一庶務室動務
 梶岡 誓(36)  副青年部長                         長谷川裕正(35) 副男子部長
 松田健児(35) 創価女子短大講師                正木正明(35) 男子部長
 神立孝一(34) 創価大学助教授                   伊藤泰治(33) 元少年部長
 長竹信美(33) 学友会茨城県書記長             木下清一(32)
 東 宏治(32)  創友会評議員                      今江正人(31)
 綿原範夫(30)                                           高田英典(30) 高等部長
 大迫(高木)美智代 ヤングミセス中央委員長     小林(杉原)容子 元女子主任部長
 熊沢(池田)みさ子 池田城久未亡人               西谷(倉田)清美
 須田 裕(31)                                           上村英樹 (31) 創友会評議員
 杉本典之(30) 創友会運営委員                   河野洋子 元女子学生局次長
 中尾(森本)多賀子                                    梶岡(杉本)由美子 創友会運営委員

 ただ、一人、城久未亡人となった熊沢みさ子のみは、カヤの外の人物となった。
 熊沢は、大学時代、その美貌ゆえか、池田に大変可愛がられ、一人だけ、創価大学本校舎八階にある池田専用施設に出入りできる女性だった。
 熊沢は、大学卒業後、第一庶務に配属され、大学時代に引き続き池田の身の周りの世話をする。一方、城久は、時々、第一庶務に顔は出していたものの、八王市内にある大学の学生課に配属されたため、熊沢との接点は少なかった。
ために、二人が婚約し、結婚、さらには十月十日に満たずに長女が誕生した際には、いつの間に、誰と?」との噂がとびかった。
 池田は後継者と目する城久にさえ、多くの幹部にそうするように踏み絵を踏ませたわけである。
  -----(264P)----つづく--
                  --目次一覧は、本項第2回<H30・8・12>に登載--

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1 コメント

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Unknown (ちよ)
2021-01-14 14:21:04
誤字があるよ
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