創価学会・公明党が日本を亡ぼす

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サヨナラ.私の池田大作-50

2016-11-28 08:26:07 | Weblog

『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
  創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
              2013/7/3 人間の科学新社

18.学会の公認通訳として見た池田氏の姿  後呂 聖子
      理境坊所属妙観講
      埼玉県出身
      元学会公認通訳
      創価大学・文学部 英文科第十期生
   ------(P265)---(以下、本文)-------
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◆ 異常な「恋愛禁止」へのこだわり
 その後、大学を卒業した私は、池田センセーから認められた最年少の「公認通訳」に任命され、本部でも池田センセーの通訳になるべく、どんどん訓練を受けていきました。国際部長からも女子部長からも後押しを受けて、センセーのもとへ、センセーのもとへと連れていかれました。
 その間、同じようにセンセーの通訳になるベく訓練を受けていたポルトガル語の通訳者は、彼氏を作ったことで池田センセーの逆鱗(げきりん)に触れ、「目的が違う!」と怒鳴られて、通訳を降ろされました。池田センセーの通訳になるには、彼氏を作ることは御法度(ごはっと)だったのです。
 私もそれは厳重に注意を受けていました。「彼氏ができると、そちらに心が奪われて、センセーの通訳に集中できないから」というのが矢倉涼子さんから聞かされた理由です。
 これもまた、私にはどうしても納得のいかないことの一つでした。「本物の信心というのは、周りにどんな誘惑があろうが魔の働きがあろうが、それらに影響されない強い自分を築いていくことではないのか。そうでなければ、センセーの通訳は一生結婚できないことになる」と。
 その「恋愛禁止令」がセンセーの意志であることを、強く認識させられたのは、私が通訳の仕事でアメリカに長期出張していた時のことです。その時、たまたまセンセーも訪米してきて、矢倉さんを始め数名の通訳と共にセンセーに再会する機会があったのですが、センセーは、まずは会って早々、私を指さして、「えーと、これは誰だっけね、これは?」
と、まるで物扱いするかのように聞いてきました。
 私はセンセー本人の目の前で任命された公認通訳であるのに、すっかり忘れられていることにショックと戸惑いを覚え、何も答えられずにいると、周りの人が私の立場を説明してくれました。すると、センセーは急に、「彼氏はいるのか?」と何の脈絡もなく聞いてきたのです。二、三回、畳みかけるように同じ質問をしてきましたので、私が「いいえ」とだけ答えると、センセーは「イヤー心配だ! 心配だ!」を連発し、側にいた第一庶務の女性にすぐさま何か指示を出していました。
 後日、その第一庶務の女性から、私がアメリカにいる間に葉書が届き「定期的に後呂さんと連絡を取っていくように」先生から言われたのだそうです。まるで私に彼氏ができないようにを監視役をつけられているかのようでした。

◆ 「身代わり勤行」に呆然!!
 私がアメリカに行く二年くらい前、学会本部でセンセーと会食を共にする機会がありました。海外から来た婦人部のメンバーも交えた、六人ほどの席でした。
 その時、第一庶務の若くて綺麗な女性に色々と世話を焼いてもらつているセンセーの姿を見て、私は素朴に、「どうして、ご飯を食べるくらい自分でできないのか」と不思議に思ってしまいました。
 しかも、間近でセンセーが食べる姿を見ていると、何だかとても下品なのです。平気で口を開けたままゲップはするし、くちやくちやと音を立てて食べるし、という感じでした。
 また、矢倉涼子さんの口から、こういうことを聞きました。
「センセーがソ連に行く時は、共産圏で勤行ができないから、私がセンセーのために朝晩二回ずつ勤行をするの」と。
 共産圏といえども、ホテルの部屋で勤行することはできるはずです。私は、センセーが勤行をしないという事実を知った衝撃が大きくて、信じられない思いでしたが、二度にわたって矢倉涼子さんから同じことを聞きました。
 尚、あれ程センセーの信頼が厚く、近年に至るまでずつとセンセ-の側に仕えていた矢倉涼子さんは、四年ほど前、大麻所持で逮捕されるという事件を起こしてしまいました。

◆ 大麻所持逮捕の衝撃
  先にも触れましたが、創価学会の公認通訳という立場は、常にセンセ-と海外の著名人との対談や表敬訪問の際には絶対に欠かせない存在でした。センセーと一緒に映像や聖教新聞に掲載される機会も多くあります。
 よく言われることですが、池田センセーのスピ-チは、「意味不明」「言語脈絡のなさ」そして時には品性を疑いたくなるような話をされます。相手が日本語を理解していないから失礼な話でも分かりません。
 それでも、矢倉涼子さんや公認通訳者は、対談相手に不快感や非常識な印象を与えないよう編集してお伝えしているのです。
 矢倉涼子さんが優れていたのは、先生の下品で支離滅裂な日本語の行間をうまく繋ぎ、オプラートに包んで訳す事に長けていたからであり、それは、センセーも認められていました。最終的には、学会芸能人で当時人気のあったミュージックグループのM氏と結婚されました。
  学会員から祝福され、人も羨む幸せな人生から、突然の「大麻所持で逮捕」と新聞、テレビで報道されたのですから、学会内の衝撃は計り知れないものでした。
  池田センセーの代わりに勤行したり、センセーから絶大の信頼を得ていた人が、何故なの? という思いにかられるショッキングな事件でした。
  他にも有名な学会幹部達が、常識では考えられない状態で事件を起こしたり、巻き込まれたり、若くして亡くなられたりしています。
  紙数の関係で、これ以上は申し上げませんが、センセーが仰っていた「仏罰」の現証が次から次へと起こつています。
 この現実が、今の池田創価学会の実態を如実に物語っている気がしてなりません。

◆ 通訳に困つたアドリブ暴言
 さて、私がセンセーの口から宗門攻撃の言葉を初めて聞いたのは、一九九〇年(平成二年)の八月頃でした。学会本部に海外メンバーが集った時に、いきなり宗門の悪口を言い始めたのです。
 しかも何の脈絡もなく、「みんな騙されちやいけない!」という檄(げき)を何度も飛ばし、矢倉涼子さんも通訳に困っていました。
 一度、次のようなことがありました。
 センセ-は、講演直前に通訳の所に原稿を届けさせました。矢倉涼子さんがー人で全てに目を通すことは不可能だったので、皆で手分けをして翻訳文を書き込みました。
 それを、センセーのスピーチに合わせて矢倉涼子さんが読み上げようとしたのですが、何人もの人の手書きで読みにくかつたことに加え、センセーがアドリブで言う宗門攻撃には脈絡がないので、彼女は途中で言葉に詰まりながら、ものすごく苦労していました。後で彼女が、「もう、泣きたかった」とこぼしていました。
  センセーの口から怨念のように宗門誹謗が繰り返され、あげくは「五座の勤行はしなくていいんだ」などと言い出したのを聞いて、私は、学会は完全におかしい、と思うようになっていました。そして遂に、大石寺参詣の帰りに勤行のために寄らせて頂いた日蓮正宗寺院の御僧侶から「今の学会にいたのでは、どんなに信心をしても功徳はありませんよ」
との御指導を頂き、そのお導きにより、平成三年の三月晴れて家族揃って脱会することが出来たのでした。
    ----この項おわり----(270P)----つづく--

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