創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明党をブッた斬る-30

2018-01-29 09:05:43 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P180)---(以下、本文)-------

3 宗教と「異体同心」と称する有害無益政党
  公明党は学会の“影武者僧兵団”
◆ もう一つの創価学会
 奇妙なことに、公明党の政治理念は創価学会の宗教理念と全く同じである。政教分離を天下に公約する以前の公明党の政治理念には、「王仏冥合」が掲げられていた。王仏冥合とは王法(政治)と仏法(宗教=日蓮正宗)が冥合(神秘的に合致)して理想社会を建設するという主張で、総てはここから出てここに帰る教義なのである。日蓮正宗は一閻浮提(世界)の宗教というのが創価学会であるから、その点において、公明党は創価学会なる宗教団体の政治的別働隊として、そもそも誕生の時から宿命づけられていたわけだ。
 つまり、公明党の政治活動とは、要するに政治を通じて行なう「折伏」なのである。究極の目的とするところは、議会で多数を占め、へゲモニー(主導権)を握って日蓮正宗を国教化することにある。そうでなければ、公明党結成のそもそもの意味もないし、創価学会の出店であるという存在理由もない--と、前著『創価学会を斬る』の中で、私はちゃんと書いているのだ。
  その後、創価学会・公明党は政教を分離し、公明党は綱領、党規、組織を新たにし、出直したはずである。宗教政党のイメージを払拭して、国民政党を看板に掲げている。たしかに、新しい公明党の綱領から「王仏冥合」の四文字は消えた。 もちろん、創価学会規則、目的条項にも、「王仏冥合」は見当たらない。
 次に、「政教分離」宣言直後、昭和四十五年六月の公明党綱領をあげておこう。
「一、わが党は、人間性尊重の中道主義を貫く、国民政党として、革新の意欲と実践をもつて、大衆とともに前進する。
 一、わが党は、人間性社会主義に基づき、責任ある自由な経済活動と、その成果の公正な分配を保障する経済体制を確立し、社会の繁栄と個人の幸福を、ともに実現する福祉社会の建設をめざす。
 一、わが党は、すべての民族が地球人である、との自覚に立ち、平等互恵・内政不干渉の原則により、自主平和外交を推進して、人類永遠の平和と繁栄をめざす。
 一、わが党は、日本国憲法をまもり、生命の尊厳と自由平等を基調として、信教・結社・表現の自由など、基本的人権を擁護するのはもとより、進んで社会的基本権の実現をめざし、一切の暴力主義を否定し、議会制民主主義の確立を期す」

 旧綱領にあった「王仏冥合」は消えた代わりに新網領に出てきたのは、「中道主義」である。中道主義を貫く、国民政党として、革新の意欲……と続くから、中道主義とは少なくとも保守イデオロギーではないというように読める。いかにも、四十六年以後(第九回党大会)になると、公明党は「中道革新」を謳い始める。
 これは池田大作の「中道政治論」を受けたものだ。公明党新綱領に「中道主義」が登場する以前に、池田は、公明党について「あるときは自民党と協調し、あるときは社会党など野党と共闘する……しょせん、いずれに偏らぬ中道をまっしぐらに進むのである」と述べている(“日本の進路”「公明新聞」四十一年一月一日号)。そして、その年の秋、創価学会青年部総会で、池田は「中道主義」を定義づけた。それによれば、学会のいう中道主義とは、従来の法華経解釈の中道でなく、日蓮の仏法=「妙法の中道主義」であるという。公明党の政治イデオロギーは、この中道主義に立つ政治を目指すものだともいったのである。
 王仏冥合が消え、今度は「妙法の中道主義」だ。特定の一宗派の宗教イデオロギーに立って政治活動を行なうというのでは、綱領に謳っている国民政党は、またもや大欺瞞である。公明党は新網領において、旧綱領にあった宗教色を抜いたかの如く装うのだが、それでは、いうところの「人間性尊重の中道主義」は、創価学会会長・池田大作の「中道主義」とは別物だというのであるか。仏教からきた中道主義をもって立党の根底におく以上、宗教政党なることは否定できまい。少なくとも政党の綱領とは、そのように読まれるものだ。アホダラ経ではないはずである。
 それとも、宗教政党にして国民政党、国民政党にして宗教政党と、彼ら一流のおしゃべりを通用させようという魂胆なのか。曖昧さで、なんとなくゴマ化してしまおうというわけだ。落語の「ときソバ」式に、万事につけてセコいのだ。いや、セコいだけではない。
 このように口先だけの「分離」を天下に誓っても、紛れもない宗教政党を目的としているなら、公明党と創価学会のケッタイな関係は断乎として、糾弾されねばなるまい。政教分離を約束した時の池田講演の一部には、こうあったのである。
「……明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれの目的に向って将来とも進むことは、当然であります……」(「聖教新聞」四十五年五月四日)
 即ち、創価学会と公明党は同じ日蓮の仏法を信じ(理念においては冥合)、実踐面においてはそれぞれの目的(日蓮正宗の折伏と、日蓮正宗に立脚した政治)に向かって進むものだといっているのである。要するに、政教分離以前と以後とで、何も変わっていないわけだ。政教一体を、創価学会のダミー・公明党綱領の色直しですませただけのことである。この点は、公明党という政党をみる時、不可欠のポイントであろう。
       ---------(190P)-------つづく--

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