創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・池田大作をブッた斬る-20

2019-06-05 08:33:10 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会-池田大作をブッた斬る
  藤原弘達 1988=昭和63年    (日新報道/¥1,000)
    ------(P.82)---(以下、本文)-------

第三章 戦後民主主義最大の虚妄=創価学会
    大衆欺瞞の独裁「治外法権」体制
 ▼ 新興宗教は“解放の神学”ではなかった
 大日本帝国が敗戦国となり、銃剣によってアジア諸国を占領していた軍事的強国が一転して、戦勝国軍による被占領国となった。この未曾有の体験によってできた精神的空白は、まさしくアノミーそのものであり、アナーキーという表現すら越えていた。虚無、虚脱というか、一切の価値観が個に分散され、これをとにかくもつなぐものとして「平和と民主主義」が「これでやっていけ」とばかりに与えられた。
 「平和」は戦争の結末としてまず文句のないところだったが、「民主主義」の方はそれなりの革命的インパクトをもった。
 なんといっても連合国の新しい「大義」(コモンコーズ)にいろんな受け取り方がおこり、捉えどころのない混沌の様相を呈した。日本人は天皇の「悠久の大義」にとってかわった民主主義という新しい大義、巨大な精神のモンスターにおさえこまれ、何やらワケもわからないで、レイプされたようなスタイルから戦後社会は再出発したといってもよい。

 日本共産党はCHQの前にでかけて、解放バンザイを唱え、天皇は“人間宣言”の中で明治天皇の「五力条の御誓文」は民主主義の歴史的証明であったという。はては、闇市のヤクザが取り締まりの巡査に、「民主主義だ、ひっこめ」と食ってかかる。
 労働運動だけは狂熱的に高揚し、農也改革は殆ど抵抗もなく実現するが、これらはマッカーサー占領軍の贈物といわぬまでも、敗戦ショックへの条件反射のようなところがあった。
 「天皇陛下バンザイ」から「民主主義バンザイ」への大転換である。

 「民主主義バンザイ」の大歓呼の中で、敗戦の贈物として、民主憲法=日本国憲法があれよあれよという間にできてしまった。インスタントにできた日本国憲法は捉えどころのない混沌から日本を脱出させ、自立と再建に導くタイマツであり、道案内のようにも受け止められた。インスタント「自由の女神像」のようなところが大ありだった。
 未来の前進のために、現在の位相を日本の現代史の中でしっかり確かめることが必要である。
 それは避けることのできない反省として、主権者たる国民の自覚に待つほかない。今や改めて、「戦後民主主義とは何であり、あったか」という大いなる設問に対面せざるをえない。
 では、戦後民主主義は主権者たる国民の手にあるのか、それとも未だに一種の「共同幻想」ないし「虚妄」に過ぎないものなのか。

 例えば主権在民の日本国憲法は、天皇が元首なのかどうかも曖昧なままに、象徴天皇制なるものに衣がえして、戦後四十三年がある。主権在民と象徴天皇は、論理的には明らかに矛盾しながら、なんとなく共存してきた。それは占領軍、なかんずく米国の対日政策から出てきたものである。軍事的占領政策の必要性、実効性から生まれた鬼子的モンスター性を内包している。「象徴」は、主権在民の秘部を蔽うイチジクの葉にもなった。
 それに、戦力の放棄を謳う平和憲法とアメリカ対日政策(利害)=安保条約、これは戦後日本における論理的最大矛盾である。憲法立てれば安保立たず、安保立てれば憲法立たず。この絶対矛盾の自己同一化とでもいえるような戦後体制をなんとかゴマ力シながら安全運転することによって、戦後日本の四十三年がある。
 自民党政権の長期独裁の意味と機能は、その矛盾に堪えるだけの多数を得ることによって存在の証しとしたといってもよい。

 いわゆる焼跡民主主義の混沌未分から今日の経済大国に至るまで、日本国民の政治に対する期待や不満、喜びや怒り、何もかも包みこむようにしてこの矛盾の体系は生きのびてきたということでもある。
 戦後日本において、宗教の、なかんずく、解放された新興宗教もまた矛盾の体系に包みこまれてそれなりに生きてきたという点では、何らの例外ではなかった。信教の自由は保障され、国家権力の重圧から一応は解き放たれた形になったが、伝統的な既成仏教教団が葬祭儀式用に習俗化してしまい、権力とともに堕落し、敗戦とともに無力化し、虚脱したためにできた大衆 の精神的大空白をインスタントに、てんでバラバラにうめる役割を担うに止まった、といわざるをえまい。

 下品でお粗末な擬似宗教は、数だけたくさんできたが、民衆解放に価するような仕事をやることができたかどうか、大いなる疑問である。そもそも、日本において伝統的な宗教は、近世以降も密接に権力に結びついてようやく生存してきた。特に明治以後は天皇制国家権力とピタリと結びついたし、そうでないものは何らかの弾圧をうけた。
 政治と宗教の分離が高らかに宜言されたはずの日本国憲法ではあるが、信教の自由も憲法と同様に敗戦と占領のプレゼントという制約をもっていた。それは伝統既成仏教のみでなく、新興宗教もまた同様であった。新興宗教に民主的“解放の神学”を夢みたとすれば、それこそまさに“白昼夢”に近かったといってもよい。
     ----------(つづく)---------87

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東京ドームで10万人の公明党 (ブログ主)
2019-06-09 00:22:57
 創価学会が選挙学会と揶揄されても、学会員はもちろん、一般の人誰も否定しない。
 今年のように 選挙の年となると半年も前から聖教新聞など機関紙は勿論、会館・座談会は選挙一色となり、創価学会の幹部は“自身の人間革命”“広宣流布”“池田先生のために”“F獲得、絶対勝利!!”と檄を飛ばす。

 私は、昔の情けない自分を思いだして、言葉が見つからない。他方、カミさんは今も夢が覚めず今日も“元気いっぱい”で、学会活動している。

 このブログの藤原先生が、“創価学会を斬る”の昭和44年から50年経過した。
 しかるに、今も創価学会・公明党の集票数は700万余あり、当時と変わっていない。
 即ち、学会世帯数は1/3ぐらいに減ったが、一人のバリ活動員が平均3名のF票(親戚・友人・知人)を獲得する集票組織となっているらしい。

 まさに選挙学会で、“政教一致”であること間違いない。
 世の中に必要悪たくさんあるが、政教一致だけは“絶対悪”である。
 信仰の世界と、政治等の世界は違うのである。藤原先生は、創価・公明党の存在を“第一の罪=政教混濁の罪”といわれた。
 今、それをいう人は殆どいない。又、知っていても、ダンマリだ。

 さて、先日(5日・木曜)東京ドームで10万人の公明党=創価学会員を集めて三色(青・黄・赤)
旗の舞う興奮の大集会があったらしい。
 今の時代に、この馬鹿馬鹿しい集会に興ずる学会員にその幹部、異常に思わない国民・マスコミに
有識者の存在が理解できない。
 彼・彼女らが、“万死に値する”と反省するのは、いつの日かあるのだろうか…。
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