○池田大作と暴力団… <=23>…西岡研介他……2012(H/24)/8─宝島社
(表紙ウラ)
オウム真理教事件が起こリ,宗教法人法の改正で国会が揺れた1990年代半ば──
永田町であるテープの存在が囁かれた。
山口組の直参、後藤組の後藤忠政組長(2008年引退)と、
池田大作名誉会長の〝腹心〟として学会の裹仕事を担ってきた藤井富雄・都議会公明党
顧問(当時は都議)の密会テープである
このテープが永田町に流出。藤井顧問は後藤組長に対し、当時、自民党の組織広報本部長と
して反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井静香議員の口封じなどを依頼したという。
果たしてその真相は?本書では〝盗聴実行犯〟と初めて接触し、生々しい証言の獲得に成功。
「パンドラの箱」からは、驚くべき事実が飛び出してきた!
────────────────改頁────── 124
国防の中枢に入り込み「主流派の一角を占める非常事態」
政府秘密文書を本邦初公開!!
創価学会「自衛隊折伏計画」の驚くべき真相
小和田三郎
自衛隊OBの推測では、学会隊員はすでに2世代から3世代目に入リ、
その隊員数は数千、いや万単位ともいえるほどの勢力に達し,
「体制内主流派」の一角を担っているという。
──────(中略)──────────改頁────── 128
◆折伏繰り返す学会隊員に困り果て…
防衛庁・自衛隊內の創晒学会信者が監視下に置かれ、「4000人」と力ウントされるに至った事情
は、取材を進めるうちに次々と浮かび上がつてきた。
調査が行なわれた1960年代(昭和35)、たとえば滋賀県にある陸上自衛隊第三管区の今津駐屯部
む隊(当時)では、数多くの隊員を集めた学会サークルができあがり、休暇をとつては民間会社に
行つたり病院に出かけたりして、強引な勧誘行動として知られる「折伏」を繰り返していた。あ
まりにも隊員の外出が多く、部隊業務に支障が出る有様だつたという。これが国会で取り上げら
れ、防衛庁・自衛隊は対処に苦慮していた。
自衛隊の発足は1954年(昭和29年)。その2年前、創価学会は宗教法人を取得しており、両者
はまさに生まれを同じくしている。
当時、防衛庁・自衛隊を震撼させた事件が起きていた。陸海空の部隊を率いる高級指揮官養成校
「防衛大学校」(神奈川県横須賀市)の合格者に学会信者が含まれていたのだ。その第一例は、
防大がスタートしてまもない1960年代中ごろのこと。防大OBの話。
「この学生は、仏像や香炉、ロウソク立てのような仏具を持ち込み、題目を繰り返し唱える熱心
な信者でした。もちろん、戦後の新憲法によって信教の自由は保障されていますから、違法行為
ではありません。初代大学長の槇智雄さんは『敵を知るためなら』と言つてマルクス主義の原典
『資本論』ですら勉強させた自由主義者でしたから、この信者学生をどう取り扱つたらいいのか
ほとほと困り果ててしまった。
というのも、この学生にとってみたら、誰よりも創価学会トップの言うことを聞く使命感に満
ちあふれていたわけですから、そんな人物を自衛隊の指揮官にするのに躊躇するのも当たり前でし
よう。結局、槇さんはこの学生と話し合い、規律を乱すことになりかねないという理由で、部屋
から仏具を運び出してもらい、収拾を図りました」
◆90年代まては「危険分子」扱い
こうして見てくると、自衛隊の発足まもないころから、創価学会は自衛隊幹部から一線隊員に
至る隅々にまで進出していたことになる。こうした状態は監視されていたとはいえ、排除するわ
けにはいかず、人事政策上、野放しにされていく。当然ながら、学会員は自衛隊内に”増殖”し
ていくことになり、その結果、武器を持つ一軍隊」として見過ごせない由々しき事態を招来する
ことになる。
以下に証言するのは、80~90年代の自衛隊内部を見続けてきた防衛庁幹部OBである。
「80年代以降、自衛隊内部の指揮系統がおかしくなる事態が多発するようになっていた。訓練中
に『撃て』と言つても、その通りに動かない。部隊を動かそうと命令しても、まるでサボタージ
ュするかのように行動する。これには防衛庁首脳たちもほとほとまいってね。そこで、自衛隊内
部でいったい何が起きているのか原因をつかもうと、かなり大掛かりに調べたところ、問題のあ
る部隊に創価学会員がたくさん含まれていることが分かったんだ。軍隊というのは上官の命令に
従うことで内部規律を保ち、武力行使の一貫性も保障されるものだ。ところが、部隊内の上下関
係と、創価学会内での上下関係が逆転しているケースがままあり、そのせいで指揮系統がおかし
くなつていたわけなんだ。これはレポートにまとめようとしたが、政府文書として公然化すると
公明党から国会で追及を受けかねない。あまりに危険だというのでお蔵入りしてしまつた」
なお、創価学会の存在をなによりマークしたのが、防衛庁長官(現防衛相)に直結する防諜機関
「調査隊」であることをここで強調しておきたい。いま「情報保全隊」と名を変え、全国に
約9 0 0人の隊員を擁するこの部隊は、秘密のベールに包まれてきた。
私が接触した調査隊OBによれば、「暴力主義的革命」を標榜する団体構成員をリストアップす
るにあたり、なかば公然化した日本共産党員には「(共)」と印を付けた。非公然の党員なら
「(秘)」、共産党の同調者や妻には「(同調)」。これは、防諜業務に使う「秘匿略語」といわれる
ものだが、もうひとつ使われたのが「(創)」という文字。そう、創価学会の隊員を特定する隠語だ
った。
これはすなわち、防衛庁長官の秘密組織が創価学会員を「危険分子」として監視下に置いてき
た証しにほかならない。この監視活動は、公明党が政権与党入りする90年代まで延々と続いて
いく。
◆公明党の政権入りて「平和」を放棄した学会
長年にわたり「危険分子」と見なされた創価学会員たちは、ひそかに防衛庁・自衛隊内部でリ
ストアップされ、監視下に置かれてきた事情をこれまで見てきた。
だが、こうした流れは、90年代半ばをもってほ-ほ沙汰やみとなる。理由は簡単だ。自民党政権
崩壊を招いた93年の細川護熙連立政権発足に公明党が参加し、4人の閣僚を誕生させて政権与党
となつたからである。
この連立政権は紆余曲折を経てやがて解消されるが、与党の味をしめた公明党はキヤスティン
グボードぶりを遺憾なく発揮し、99年、今度は自民党と政権を組む。その後、現在の民主党に政
権を奪取されるまでの10年間、与党にあり続けたのは周知の通りである。
この10年が、創価学会を変質させた。
「平和主義」の放棄である。これが、学会隊員の変容にもつながるだけに、誌面を割いて説明し
ておきたい。
決定的なメルクマールとなったのは、「イラク特措法」を公明党が認めた2003年。自衛隊創設
以来初めて、戦闘地域へ自衛隊を派遣することを容認するもので、「集団的自衛権の行使」の観点
から違憲性があると市民団体や野党の一部から反発を受けた。
ところが公明党はこうした声に耳を貸さないばかりか、あろうことか憲法改正にまで言及し、
「憲法改正論議の焦点の一つが9条問題にあることは言うまでもありません。いわゆる解釈改憲が
限界に来ているとの指摘もありますし、集団的自衛権の行使に関した意見もかまびすしく行なわ
れています。9条と前文に関する論議もタブーを設けることなく行ないたい」(元代表の太田昭宏
氏)と踏み込んでいく。
これに違和感を覚えたのは、「平和の党」を信じた多くの創価学会員たちだった。
言うまでもないことだろうが、池田大作,創価学会名誉会長が名文で鳴らした小説『人間革命』
には、戦前、治安維持法で弾圧された戸田城聖・二代目会長の「平和」獲得への思いが綿々
とつづられている。なかでも、戦禍に苦しめられた沖縄を真正面からとらえ、沖縄の民衆をどう
幸福へと導くことができるかが創価学会の試金石になる、と切実に訴えている。
この「反戦」「平和」のメッセージに惹かれた学会信者がどれほどいたことか。
実際、自衛隊のイラク派遣容認に対し、創価学会の婦人,青年部に根強い反発があった。こう
した状況に対し、04年、雑誌『アエラ』のインタビューに応じた当時の学会会長・秋谷栄之助氏
は、記者から「平和を重視してきた創価学会だけに、公明党は学会の理念と反対のことをやつて
いると反対の署名活動をする会員も出ています」と追及されると、「信仰の上からいえば、平和
主義ということは一貫して変わりません」と学会内の反戦活動をかばう発言をしている。
◆体制内勢力に変わった自衛隊の学会隊員
それなのに、公明党は改憲に向けた流れを加速させた。当時の政治ジャーナリストたちの解説
によれば、すでに5年も続いた「連立与党」の座を捨てて野党に甘んじるよりも、「平和」路線
を捨て、年金制度のような学会信者の老後のためになる”現世利益”を優先させたのだという。
だが、そればかりが理由ではない。当時の冬柴鐵三・公明党幹事長はこんな発言をしている。
「私はイラクのサマワ、新潟の被災地、阪神・淡路大震災でも献身的な働きを目にした。自衛隊
を大幅に减らすべきでない」
自衛隊の定数削滅に消極的なこの発言には「自衛隊員に学会員が多く、食いぶちを失うような
施策は困るという声が党に寄せられていた」(公明党関係者)という背景があつたというのだ。
ここに至り、学会隊員は変容してしまった。振り返れば自衛隊創設期以降の「昭和」の時代、
学会隊員は「危険分子」として軍隊内の上下関係の規律を乱し、ある意味、”暴力装置”にブ
レーキをかける役目を果たしてきた。
しかし今日、学会隊員たちは〝自己増殖〟を続けた結果、自公連立政権と同類の「体制内勢力
」へと変質してしまつたのだ。
公安当局によれば、現在、防衛省・自衛隊内には創価学会と同じく日蓮正宗から分派した「冨
士大石寺顕正会」の信者が150人ほど在籍し、「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」などと書いた
冊子を防衛省幹部宅に送りつけるような過激な行動で知られるようになった。初期の創価学会を
ほうふつとさせる原理主義集団で、体制内化した学会信者を刺激し、「いつ内ゲバが起
きてもおかしく.ない状態にある」(公安当局)。
忘れてはならないのは、軍隊は「暴力装置」であること。オウム真理教が自衛隊に入り込み、
テロ活動にうごめいた例もある。いくら学会信者が体制内化したとはいえ、武器を持った教団
信者であることに変わりはない。
───────(~131頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)
◆日蓮系(創価・正宗・立正・法華等の全て)は…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=
◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作
◆これまでも……これからも……池田創価の公明党
大衆に… 法難・仏罰、世界平和・友の幸福、打倒日顕宗 …で50年
◆4/13 リチャード・コシミズ 【「創価学会」大阪講演会09.06.20】
(表紙ウラ)
オウム真理教事件が起こリ,宗教法人法の改正で国会が揺れた1990年代半ば──
永田町であるテープの存在が囁かれた。
山口組の直参、後藤組の後藤忠政組長(2008年引退)と、
池田大作名誉会長の〝腹心〟として学会の裹仕事を担ってきた藤井富雄・都議会公明党
顧問(当時は都議)の密会テープである
このテープが永田町に流出。藤井顧問は後藤組長に対し、当時、自民党の組織広報本部長と
して反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井静香議員の口封じなどを依頼したという。
果たしてその真相は?本書では〝盗聴実行犯〟と初めて接触し、生々しい証言の獲得に成功。
「パンドラの箱」からは、驚くべき事実が飛び出してきた!
────────────────改頁────── 124
国防の中枢に入り込み「主流派の一角を占める非常事態」
政府秘密文書を本邦初公開!!
創価学会「自衛隊折伏計画」の驚くべき真相
小和田三郎
自衛隊OBの推測では、学会隊員はすでに2世代から3世代目に入リ、
その隊員数は数千、いや万単位ともいえるほどの勢力に達し,
「体制内主流派」の一角を担っているという。
──────(中略)──────────改頁────── 128
◆折伏繰り返す学会隊員に困り果て…
防衛庁・自衛隊內の創晒学会信者が監視下に置かれ、「4000人」と力ウントされるに至った事情
は、取材を進めるうちに次々と浮かび上がつてきた。
調査が行なわれた1960年代(昭和35)、たとえば滋賀県にある陸上自衛隊第三管区の今津駐屯部
む隊(当時)では、数多くの隊員を集めた学会サークルができあがり、休暇をとつては民間会社に
行つたり病院に出かけたりして、強引な勧誘行動として知られる「折伏」を繰り返していた。あ
まりにも隊員の外出が多く、部隊業務に支障が出る有様だつたという。これが国会で取り上げら
れ、防衛庁・自衛隊は対処に苦慮していた。
自衛隊の発足は1954年(昭和29年)。その2年前、創価学会は宗教法人を取得しており、両者
はまさに生まれを同じくしている。
当時、防衛庁・自衛隊を震撼させた事件が起きていた。陸海空の部隊を率いる高級指揮官養成校
「防衛大学校」(神奈川県横須賀市)の合格者に学会信者が含まれていたのだ。その第一例は、
防大がスタートしてまもない1960年代中ごろのこと。防大OBの話。
「この学生は、仏像や香炉、ロウソク立てのような仏具を持ち込み、題目を繰り返し唱える熱心
な信者でした。もちろん、戦後の新憲法によって信教の自由は保障されていますから、違法行為
ではありません。初代大学長の槇智雄さんは『敵を知るためなら』と言つてマルクス主義の原典
『資本論』ですら勉強させた自由主義者でしたから、この信者学生をどう取り扱つたらいいのか
ほとほと困り果ててしまった。
というのも、この学生にとってみたら、誰よりも創価学会トップの言うことを聞く使命感に満
ちあふれていたわけですから、そんな人物を自衛隊の指揮官にするのに躊躇するのも当たり前でし
よう。結局、槇さんはこの学生と話し合い、規律を乱すことになりかねないという理由で、部屋
から仏具を運び出してもらい、収拾を図りました」
◆90年代まては「危険分子」扱い
こうして見てくると、自衛隊の発足まもないころから、創価学会は自衛隊幹部から一線隊員に
至る隅々にまで進出していたことになる。こうした状態は監視されていたとはいえ、排除するわ
けにはいかず、人事政策上、野放しにされていく。当然ながら、学会員は自衛隊内に”増殖”し
ていくことになり、その結果、武器を持つ一軍隊」として見過ごせない由々しき事態を招来する
ことになる。
以下に証言するのは、80~90年代の自衛隊内部を見続けてきた防衛庁幹部OBである。
「80年代以降、自衛隊内部の指揮系統がおかしくなる事態が多発するようになっていた。訓練中
に『撃て』と言つても、その通りに動かない。部隊を動かそうと命令しても、まるでサボタージ
ュするかのように行動する。これには防衛庁首脳たちもほとほとまいってね。そこで、自衛隊内
部でいったい何が起きているのか原因をつかもうと、かなり大掛かりに調べたところ、問題のあ
る部隊に創価学会員がたくさん含まれていることが分かったんだ。軍隊というのは上官の命令に
従うことで内部規律を保ち、武力行使の一貫性も保障されるものだ。ところが、部隊内の上下関
係と、創価学会内での上下関係が逆転しているケースがままあり、そのせいで指揮系統がおかし
くなつていたわけなんだ。これはレポートにまとめようとしたが、政府文書として公然化すると
公明党から国会で追及を受けかねない。あまりに危険だというのでお蔵入りしてしまつた」
なお、創価学会の存在をなによりマークしたのが、防衛庁長官(現防衛相)に直結する防諜機関
「調査隊」であることをここで強調しておきたい。いま「情報保全隊」と名を変え、全国に
約9 0 0人の隊員を擁するこの部隊は、秘密のベールに包まれてきた。
私が接触した調査隊OBによれば、「暴力主義的革命」を標榜する団体構成員をリストアップす
るにあたり、なかば公然化した日本共産党員には「(共)」と印を付けた。非公然の党員なら
「(秘)」、共産党の同調者や妻には「(同調)」。これは、防諜業務に使う「秘匿略語」といわれる
ものだが、もうひとつ使われたのが「(創)」という文字。そう、創価学会の隊員を特定する隠語だ
った。
これはすなわち、防衛庁長官の秘密組織が創価学会員を「危険分子」として監視下に置いてき
た証しにほかならない。この監視活動は、公明党が政権与党入りする90年代まで延々と続いて
いく。
◆公明党の政権入りて「平和」を放棄した学会
長年にわたり「危険分子」と見なされた創価学会員たちは、ひそかに防衛庁・自衛隊内部でリ
ストアップされ、監視下に置かれてきた事情をこれまで見てきた。
だが、こうした流れは、90年代半ばをもってほ-ほ沙汰やみとなる。理由は簡単だ。自民党政権
崩壊を招いた93年の細川護熙連立政権発足に公明党が参加し、4人の閣僚を誕生させて政権与党
となつたからである。
この連立政権は紆余曲折を経てやがて解消されるが、与党の味をしめた公明党はキヤスティン
グボードぶりを遺憾なく発揮し、99年、今度は自民党と政権を組む。その後、現在の民主党に政
権を奪取されるまでの10年間、与党にあり続けたのは周知の通りである。
この10年が、創価学会を変質させた。
「平和主義」の放棄である。これが、学会隊員の変容にもつながるだけに、誌面を割いて説明し
ておきたい。
決定的なメルクマールとなったのは、「イラク特措法」を公明党が認めた2003年。自衛隊創設
以来初めて、戦闘地域へ自衛隊を派遣することを容認するもので、「集団的自衛権の行使」の観点
から違憲性があると市民団体や野党の一部から反発を受けた。
ところが公明党はこうした声に耳を貸さないばかりか、あろうことか憲法改正にまで言及し、
「憲法改正論議の焦点の一つが9条問題にあることは言うまでもありません。いわゆる解釈改憲が
限界に来ているとの指摘もありますし、集団的自衛権の行使に関した意見もかまびすしく行なわ
れています。9条と前文に関する論議もタブーを設けることなく行ないたい」(元代表の太田昭宏
氏)と踏み込んでいく。
これに違和感を覚えたのは、「平和の党」を信じた多くの創価学会員たちだった。
言うまでもないことだろうが、池田大作,創価学会名誉会長が名文で鳴らした小説『人間革命』
には、戦前、治安維持法で弾圧された戸田城聖・二代目会長の「平和」獲得への思いが綿々
とつづられている。なかでも、戦禍に苦しめられた沖縄を真正面からとらえ、沖縄の民衆をどう
幸福へと導くことができるかが創価学会の試金石になる、と切実に訴えている。
この「反戦」「平和」のメッセージに惹かれた学会信者がどれほどいたことか。
実際、自衛隊のイラク派遣容認に対し、創価学会の婦人,青年部に根強い反発があった。こう
した状況に対し、04年、雑誌『アエラ』のインタビューに応じた当時の学会会長・秋谷栄之助氏
は、記者から「平和を重視してきた創価学会だけに、公明党は学会の理念と反対のことをやつて
いると反対の署名活動をする会員も出ています」と追及されると、「信仰の上からいえば、平和
主義ということは一貫して変わりません」と学会内の反戦活動をかばう発言をしている。
◆体制内勢力に変わった自衛隊の学会隊員
それなのに、公明党は改憲に向けた流れを加速させた。当時の政治ジャーナリストたちの解説
によれば、すでに5年も続いた「連立与党」の座を捨てて野党に甘んじるよりも、「平和」路線
を捨て、年金制度のような学会信者の老後のためになる”現世利益”を優先させたのだという。
だが、そればかりが理由ではない。当時の冬柴鐵三・公明党幹事長はこんな発言をしている。
「私はイラクのサマワ、新潟の被災地、阪神・淡路大震災でも献身的な働きを目にした。自衛隊
を大幅に减らすべきでない」
自衛隊の定数削滅に消極的なこの発言には「自衛隊員に学会員が多く、食いぶちを失うような
施策は困るという声が党に寄せられていた」(公明党関係者)という背景があつたというのだ。
ここに至り、学会隊員は変容してしまった。振り返れば自衛隊創設期以降の「昭和」の時代、
学会隊員は「危険分子」として軍隊内の上下関係の規律を乱し、ある意味、”暴力装置”にブ
レーキをかける役目を果たしてきた。
しかし今日、学会隊員たちは〝自己増殖〟を続けた結果、自公連立政権と同類の「体制内勢力
」へと変質してしまつたのだ。
公安当局によれば、現在、防衛省・自衛隊内には創価学会と同じく日蓮正宗から分派した「冨
士大石寺顕正会」の信者が150人ほど在籍し、「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」などと書いた
冊子を防衛省幹部宅に送りつけるような過激な行動で知られるようになった。初期の創価学会を
ほうふつとさせる原理主義集団で、体制内化した学会信者を刺激し、「いつ内ゲバが起
きてもおかしく.ない状態にある」(公安当局)。
忘れてはならないのは、軍隊は「暴力装置」であること。オウム真理教が自衛隊に入り込み、
テロ活動にうごめいた例もある。いくら学会信者が体制内化したとはいえ、武器を持った教団
信者であることに変わりはない。
───────(~131頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)
◆日蓮系(創価・正宗・立正・法華等の全て)は…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=
◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作
◆これまでも……これからも……池田創価の公明党
大衆に… 法難・仏罰、世界平和・友の幸福、打倒日顕宗 …で50年
◆4/13 リチャード・コシミズ 【「創価学会」大阪講演会09.06.20】