今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

英治忌(宮本武蔵」の吉川英治の忌日)

2005-09-07 | 人物
今日(9月7日)は「英治忌」
小説家・吉川英治の1962(昭和37)年の忌日。
吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年8月11日 ~ 1962年9月7日)。小説家。本名は英次(ひでつぐ)。「英治」のペンネームは元々は「英次」の名で発表した作品が掲載されるにあたり、出版社が誤って「英治」としてしまったのを本人が気に入り、以後ペンネームとするようになったと言われているそうだ。「鳴門秘帖」「宮本武蔵」「太閤記」「新・平家物語」「私本太平記」をはじめ、長編約80編、短編約180編という膨大な小説を執筆し、多くの人々に愛読され、国民文学作家として親しまれた。吉川英治の文学がこれだけ多くの読者に愛されたのは、吉川文学の根底には、人間とは何か、生きるとは何かという素朴な、しかし根源的な問題ををしっかりと描いていたからだろう。私も、吉川英治のファンであるが、中でも、宮本武蔵が大好きである。『宮本武蔵』は、佐々木小次郎との巌流島の決闘までを描く長編小説で、戦前の1935(昭和10)年から4年間『朝日新聞』紙上に連載され、作者である吉川英治、編集者が考えていた以上の人気を博し、それが、本として刊行されるや大ベストセラーになったものである。それ以降、長い年月の間、映画に舞台に何度上映されたであろうか。私が、本で最初に読んだのは、1960(昭和35)年、中央公論社版(全六巻)であるが、面白くて何度読みかえしたであろう。この本の挿画(挿画者石井鶴三)も良かったな~。武蔵が自分の壁書としていた独行道のうちに、「我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」と書いているものがあるが、その信念こそ、彼の悟道だったにちがいない。私のような、一匹オオカミ的な人間は、凄い共感を得た。しかし、武蔵が歴史上の人物として、これだけ有名になったのは、正に、吉川英治の本からであり、この本に出てくる「宮本武蔵」像が一人歩きしているといっていいだろう。しかし、実際には、その生国もいろいろな説があり、今だ、確定はしないようなのである。
映画やテレビなどで、色んな武蔵像を描こうとする努力が試みられているものの、吉川英治の描いた武蔵像が余りにも印象深いため、どんな描き方をしてもさっぱり受けない。一昨年のNHKの大河ドラマの宮本武蔵では、人気歌舞伎俳優の市川新之助(今は、11代目市川海老蔵を襲名)が新解釈の武蔵像を演じていたが、やはり、ピンと来なかった。それだけ、吉川英治の描いた武蔵像が完成されたものだからなのだろう。なにか、別のドラマを見ているような気分であった。
いつか、テレビドラマの水戸黄門も、殻を破って新しい解釈で放送されたが、不人気で、結局、今は元の設定でドラマが作られている。新しいことにチャレンジするのも大切だが、完成されているものを、無理に変えようとすることもないのではないかな~。
(画像は、小説「宮本武蔵」の挿画より「巌流島の決闘」の場面)
参考:
吉川英治記念館
http://www.kodansha.co.jp/yoshikawa/
講談社BOOK倶楽部
http://shop.kodansha.jp/bc/books/topics/musashi/yoshikawa/
武蔵の出生地論争
http://www.geocities.jp/themusasi/022.html