今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

重陽の節句(旧暦)」

2005-09-09 | 行事
今日(9月9日)は、「重陽の節句(旧暦)」
徳川幕府が定めた五節句の一つ。節句はもとは「節供」と書き、江戸時代は年に5日が公式に法制化された式日(現在の祝日みたいなもの)であった。この5日を「五節供」と言い、重要な年中行事となっていた。
中国伝来の陰陽説によれば、奇数は陽の数、偶数は陰の数とされ、奇数は陽の数であり、、9は一桁の奇数としては一番大きな数なので「陽の極まった数」(陽数を代表する数)と考えられ、「陽の極まった数の重日」ということで「重陽」と呼ばれた。そのため、中国では、この日はたいへん目出度い特別の日とされ、丘などに登って延命長寿の効があるという菊の花を浸した酒を飲んで邪気を祓った風俗に由来し、平安時代初期に宮中行事となり、武家・民間にも伝わった。宮中では「菊見の宴」を催し歌を詠んだり酒に菊の花を浮かべた菊花酒を楽しんだ。また、いまで言う品評会にあたる「菊合わせ」という催しも行われていた。このほかに、重陽の節句の前夜に菊の花の蕾に綿を被せて菊の香りと夜露をしみこませ、その綿で身体を撫でて邪気を祓う「菊の被綿(きせわた)」という風習もあったようである。
江戸時代の民間では、五節句に定められたこともあって盛んに、菊酒と粟飯で祝った。(京都・大阪ではこの日に3月の雛人形を簡単に飾る風があり、俳諧の世界では「後の雛」といった。小林一茶の句に「後の雛」と題して「秋の夕何とおぼすぞ雛達」「豊年の雨御覧ぜよ雛達」などが見られる。            
節供は行事と関係する植物の名を冠して呼ばれることがあり、重陽の花は菊であり、称して菊の節供ともいう」(人日=正月七日=七草の節供、上巳の節供=三月三日=桃の節供、端午の節供=五月五日=菖蒲の節供、七夕の節供=七月七日=笹の節供、重陽の節供=九月九日=菊の節供)。重陽は昔の祭日であった五節供の最後を締めくくる最も目出度い節供であるのに、他の節供に比べて、今は忘れられた感のある節供となっている。それも、旧暦の9月9日重陽の節供は、元は晩秋の行事である。つまり、月見、中秋が旧暦8月15日の行事なので、その後、中秋の名月の1ヵ月後の「後の月見(旧暦9月13日)」の4日前の行事で、本来は、時期的に菊の見ごろ。新暦の今の時期では自然の菊はまだ蕾の段階。だから、ちょっとピンと来ないので、廃ったのかも知れないが、今は、菊も温室栽培が多く、年中、花屋さんの店頭にある。ちょっと、食卓に温室物の菊でも飾り、菊酒でも一杯やりますか?
菊も大きな観賞用の花より、野草の方が好きだが、残念ながら、11月ぐらいまでは見れないね。
(画像は、重陽「天和長久四季遊び」国立国会図書館蔵。NHKデーター情報部編、ビジュアル百貨江戸事情より借用)
参考:
重陽の節供(重陽の節句・菊の節供)
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0729.htm
江戸東京歳時記をあるく「第12回 菊の被綿・後の雛」Vol.03 長沢 利明
http://www.kashiwashobo.co.jp/pages2/rensai/r03-12.html