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国後 択捉 色丹 歯舞諸島

2019-05-15 06:28:08 | ニュース??!!

「2017年12月30日付北海道新聞に貴重な記事が載った。タイトルは『ソ連四島占領 米が援助』。ロシア史の大御所、和田春樹東大名誉教授が「北方四島を含む旧ソ連軍の対日作戦を米国が軍事援助していたことは、日本国内ではほとんど知られておらず、発見と言える。四島占領はソ連が勝手に行ったのではなく、米ソをリーダーとする連合国の作戦として行われたということを示している」と談話を寄せた記事を以下に引用する。

「1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による、北方四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果などを突き合わせ、明らかにした。米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった。(中略)振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは『プロジェクト・フラ』と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。米国は45年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4~8月にはソ連兵約1万2000人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たったという。訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は樺太南部や千島列島の作戦に投入された。8月28日からの択捉、国後、色丹、歯舞の四島占領作戦には、米の貸与艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各島で日本兵の武装解除を行い、四島の占領は9月5日までに完了した」

日本のポツダム宣言受諾にもかかわらず、ソ連は日ソ中立条約を破棄し千島列島を南下、米軍がいないのを見計らって択捉、国後島、歯舞群島、色丹島に侵攻し日本人を追い出したという「ソ連軍独断の占領」定説を覆す大ニュースは根室振興局が取り組む北方領土遺産発掘・継承事業の成果。同局の谷内紀夫前副局長は、ソ連が樺太南部と千島列島での作戦に投入した全艦船を調べたイーゴリ・サマリン氏(現ロシア・サハリン州戦勝記念館科学部長)の論文などを発見した。

都合がよかった「ソ連の独断占領」・・・・・・日本政府が「米軍の援助」を知らないはずはないが、冷戦下、米国の同盟国として米国に都合の悪い事実は表に出されなかったのだろう。納沙布岬にある北方館の小田嶋英男館長も「当時は連合国の一員、おかしくはない。引き揚げてきた人は国籍不明の船を見たとか、ロシアの船ではないと話していた。でもソ連軍の四島の占領にアメリカがかかわったという歴史を出さないほうがいい、ということになったのでしょう」と推測する。・・・

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2019/01/post_26352_2.html Copyright © Business Journal All Rights Reserved.」


 「北方四島ビザなし交流の訪問団の一員として同行した日本維新の会の丸山穂高衆院議員(大阪19区)が、北方四島の返還に関連して「戦争しないと、どうしようもなくないですか」などと訪問団の団長に詰め寄った問題で、地元北海道では、四島出身者が多く住む根室市を中心に戸惑いや怒りが広がった。
 歯舞群島の勇留島の元島民で、千島歯舞諸島居住者連盟根室副支部長の角鹿(つのか)泰司さん(82)は8歳のときにソ連軍の侵攻に遭い、翌年、何も持たずに島を命からがら脱出した。「戦争のために我々は島をとられて苦労した。だから戦争は絶対してはならない。そんなことを、まさか国会議員が言うとは」と驚く。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190514-00000084-asahi-pol

「北方領土の国後島を訪れていた、日本維新の会丸山穂高・衆議院議員が「北方領土は戦争で取り返す」などという趣旨の発言をしていたことが分かりました。<丸山穂高・衆議院議員と北方領土訪問団・団長とのやりとり(音声データ)>

丸山議員】 「団長は、戦争でこの島を取り返すことは賛成、反対?」
【団長】 「戦争で?」

【丸山議員】 「ロシアが混乱している時に、取り返すのはオッケーですか?」
【団長】 「戦争なんて言う言葉は使いたくないです。使いたくない」

【丸山議員】「でもとりかえせないですよね。戦争しないと、どうしようもなくないですか?」
【団長】 「戦争は必要ないです」

「北方領土は戦争で取り返す」などという趣旨の発言したのは、衆議院・大阪19区選出で、日本維新の会の丸山穂高議員です。丸山議員は衆議院沖縄・北方領土特別委員会の委員として、今月10日から国後島への訪問団に参加しました。そして、11日の夜8時頃、懇親会の席上、訪問団の団長に対し、「北方領土は戦争で取り返す」などという趣旨の発言をしたということです・・・・

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190513-19400109-kantelev-soci

またまた、ユダヤ・アメリカの思うつぼだにゃ・・・政治家は米国追随から自立へと、そういった方向転換を視野に入れるべきなんでは??!!  

 

丸山議員って?!

(1984- 大阪府堺市生まれ。西大和学園高等学校東京大学経済学部卒業。 2006年経済産業省に入省。・・・

2009年、財団法人松下政経塾に入塾し、2012年に卒塾[4]

2012年、結党から間もない日本維新の会大阪府第19選挙区支部長・・・・

・・・・陳謝し、再度飲酒した場合は議員辞職する意向を示した[28]

  • 2019年5月11日、北方領土のロシア人住民と日本人の元島民らが相互に往来する「ビザなし交流」の日本側訪問団に同行した際、滞在先の国後島古釜布で、酒に酔った状態で訪問団の団長に対して記者取材中に割り込み[29]、「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」などと大声で質問し、「戦争はすべきではない」と答えた団長に対し「戦争しないとどうしようもなくないですか」等と発言した[30][31]。その後も、訪問団員らの制止を聞かずに大声で騒いだり外出しようとした[32]ことから、元島民らから謝罪を求められる事態となった[33]。発言を受けて日本維新の会代表の松井一郎大阪市長は、「言論の自由なんで、個人の表現の仕方の中での発言があるかもしれないけれども」と前置きした上で[34][35]、「党として一切そういう考えはない」「武力で領土を取り返す解決はない」とコメントし、丸山を厳重注意した上で発言の撤回・謝罪することを指示した[36]。丸山は当初、「酒に酔って騒いだこと」については謝罪したものの、戦争に言及した発言については「賛成か反対か聞いただけ」、「別にそういう話があってもいい、何がダメなのか分からない」[30]「真意を切り取られて心外」「言葉尻だけとらえられても困る」[37]等の趣旨の反論を述べていたが、発言が大きく報じられた13日の深夜に「心から今回の発言について謝罪し、撤回する」と表明した[38]
2019年5月13日、ロシア上院コサチョフ国際問題委員長は、丸山の発言について、「日露関係の流れの中で最もひどい(発言だ)」と、モスクワで開催された日露知事会議の会場で記者団に述べ、批判した[39]菅義偉内閣官房長官も「誠に遺憾、政府の立場と全く異なる」と指摘した[40]
丸山の発言に対する批判が高まるにつれ、同月14日、丸山は臨時役員会に先立ち、離党届を提出した。同日、日本維新の会の松井一郎代表は大阪市役所での囲み取材で「国会議員として一線を越えた発言で、元島民、国民に不快な思いをさせた」と述べ、陳謝したうえで丸山の提出した離党届を受理せず除名する方針を示し、「議員辞職すべきだ」とコメントした[41]。日本維新の会は同日、持ち回りの役員会で丸山の除名処分を決定した[42]。なお、丸山は自身のTwitterアカウントで謝罪のうえ、「これより先の期間は無所属にて活動する中で、残りの政策の実現に向けて一つ一つ前に進めてまいります」[43]と、議員辞職については否定している。・・・

)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%A9%82%E9%AB%98

 

一方では、こういう政治家の人もいるんだよなぁぁ・・・松下政経塾ではないな・・・

「2017年8月9日 北方領土の国後島・択捉島を訪問して感じたこと  吉良州司(1958- 衆議院議員 国民民主党 )

・・・・このビザなし交流は1992年に始まり今年25年になります。今回の国後島・択捉島訪問で、ロシア側の大歓迎ぶりや、訪日経験が豊富なロシア人親日家の多さとその熱心さに直接触れることにより過去の交流事業が極めて大きな成果をあげてきたことを実感しました。この長きに亘る交流事業に携わってこられた諸先輩方のご苦労にあらためて敬意と感謝の意を捧げたいと思います。

もちろん、ロシア側には大歓迎の裏に計算高い思惑があるとは思いますが、額面通りに受け取ってもよいと感じることも多々あり、交流事業を通した相互理解と信頼感の醸成が、北方領土問題解決のインフラとして大きな役割を果たすと信じています。

今回の訪問先は択捉島の水産加工会社、択捉島空港(濃霧のために全貌はほとんど見ることはできませんでしたが)、国後島・択捉島両島の幼稚園やイベントホール、郷土博物館、択捉島の日本人墓地、温泉施設など多岐にわたりました。

その中でも、特に印象的だったのは、国後島・択捉島の各々の幼稚園です。どちらの幼稚園も快適かつ機能的な施設としてよく整備されていて、園長さんやスタッフも慈愛に満ちていて、その結果でしょうか、子供たちに憂えがなく天真爛漫そのものに感じられました。 また、保育料は6000ルーブル(1万2千円ほど)なのですが、第1子は20%、第2子が50%、第3子は100%保育料が免除されることになっていました。第3子については保育料全額免除にくわえて、無料で土地がもらえるというインセンティブがあり、そのためか、子供の数が人口に比して多いと思いました。これらの幼稚園のあり様と保育料軽減政策は少子化対策が待ったなしのわが国の参考になりました。

現在、両島の人口は、国後島が7900人強、択捉島が5900人強です。中心的な町には商店街があり、視察をかねて訪れてみました。商店街といっても、日本人の感覚からすると40~50年前の日本の田舎町の、それも街のはずれにある、あまり活気のない商店街を思い浮かべてもらうとぴったりかもしれません。

衣類・雑貨はもちろん、食料品や果物に至るまでほとんど中国製で、見栄えも質も甚だしくお粗末で、島に住むロシア人たちが気の毒ですらありました。質のいい日本の食料品や商品を供給できるようにしたいと強く思った次第です。

以下には、駆け足ではありますが、5日間の訪問を通して、北方領土問題の解決に向けて、私が実感したことをお伝えします。

まず、北方領土問題の解決・・・

http://kirashuji.com/s/message/?p=200

 


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