えぇぇと、前に引用した所、もう一度なんですが、
"""「テルマ・ギアーが語る「マウンテン・メドウの大虐殺」 淑徳大学 教授 高橋 弘 4.虐殺事件後のヤング ・・・・
その五日後、虐殺に加わった多くの信徒たちが集まった集会で、ヤングはつぎのように演説したという。『大管長ヤングはこのように語った。マウンテン・メドウズで虐殺された一行は、(モルモン教会の)預言者たち(ジョセフ・スミスや使徒プラッツ)を殺害した者らの父親、母親、兄弟、姉妹、あるいは血縁の者たちであったのだ。だから虐殺はやつらが甘受すべき運命だったのだ。唯一、ヤングの心を悩ませていることは、女たちや子どもたちの生命が奪われたことである。しかし、当時の状況を考慮に入れればそれ以外に(虐殺する以外に)方法はなかったであろう』。」
http://garyo.or.tv/kakure/meadows_takahasi.htm
"""
(ブリガムの正体見えたり?! その6 2013-04-18 22:06:45 )
英文魚拓 「“Pres. Young said that the company that was used up at the Mountain Meadows were the Fathers, Mothers, Brothers, Sisters & connections of those that Murdereds the Prophets. They Merited their fate, & the only thing that ever troubled him was the lives of the Women & children, but that under the circumstances [this] could not be avoided.”」
http://www.cesnur.org/2002/slc/bagley.htm
この説教したという時期は、1861年5月になりますかぁ。でですねぇ、虐殺されたファンチャー一族は、人種的には、白人というよりも、血の濃さからして、先住民であるチェロキー族であったということだぁぁ・・・・
合衆国政府のネイティブ・アメリカン(/アメリカ・インディアン/先住民)政策の根幹は、土地の奪取そして人種の絶滅・隔離であったといわれてます。んですので、陰謀説的に見れば、ファンチャー隊が、絶滅対象であった有色人種であるが故、彼らを殺戮するように仕組み、巻き込むことは、特段、問題視することではないと、フリーメイソンつながりの政府高官とブリガムらの策謀では了解事項であったのだと、とまぁ、そんな感じでしょうか。聖文にありますように秘密結社による権力奪取のためには古今東西、人殺しが、大きいスケールでは、戦争が、必ず起きているんだと・・・・戦争では、支配の徹底、マインド・コントロールが・・・・ブリガムによる神殿エンダウメントでの、報復の刷り込み、幹部らによる戦意高揚のアジテートの説教等、これらは、フリーメイソンのアメリカを基地とする計画の一部だったんでしょう、アメリカ西部を併合して支配下に置き、モルモン教徒らをもメーソン配下に置く等、一石三鳥・・・・8歳未満と見なした子供を除く130名近くの男女を惨殺、”悪魔とその使いは喜べり”ということでしょう。
ファンチャー隊一行の人々の先祖は、アーカンソー州(1836年州に昇格)北西部の地域に1817~28年の間に、移住してきたと・・・・アーカンソー州の北にミズーリ州が位置するが、ファンチャー隊の者が、ジョセフ等を殺害した者たちの血縁とかいうのは、歴史資料はないということだな。うぅぅんんと、ファンチャー隊が、親戚らが定住してるカリフォルニアを目指し西へと出立してから、途中で、ミズーリ州出身のならず者数人が、合流させてくれと言って加わったという話だが、これも本当の所はどうなのかぁぁ??ほんとに、ミズーリのそういった人がいたのか、襲撃、殺戮のためのデマか??ブリガムが説いた、”血の贖い、復讐”の教義を実行させたことへの理由付けとして、後から持ち出した偽り??
パーリー・P・プラット使徒が殺害されたのアーカンソー州だが、その殺人者は、プラットの多妻の一人エレノア・マクリーンの夫ヘクター・マクリーン(ルイジアナ州出身、カリフォルニア在)。・・・・このさぁ、エレノアをプラットに近づけたという陰謀だったりしてなぁ・・・・
「Fancher / Baker Party Slaughtered in Mountain Meadows Massacre Were of Cherokee (Nephite?) Decent」
http://www.greaterthings.com/Topical/Mountain_Meadows_Massacre/Cherokee/
チェロキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%82%AD%E3%83%BC
チェロキー族は、アメリカ先住民の中で、最も白人に似ていると言われてたと・・・・1500年代初期、スペイン人探検家及び同伴した修道士らの公的記録に、彼らが、チェロキー部族の町で、金髪碧眼、紅髪緑眼の人たちがいたとあるそうな・・・・早くから、白人の服装や教育を取り入れたとも・・・・
あの、バット・クリーク・ストーンが見つかったところは、チェロキー族の墓地でもあったという・・・・
「バット・クリーク・ストーン」2012-05-22 22:22:18 2012-05-22 22:22:18
「Why do Cherokee Indians look like the white man?」
http://dba-oracle.blogspot.jp/2009/10/why-do-cherokee-indians-look-like-white.html
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