まぁ、女性支配、女性をコントロールすることが、基本中の基本として、キリスト教圏で、代々伝わってきたことなんでしょうか・・・・
「『カトリック百科事典』によれば、『肉体に関しても魂に関しても、女はいくつかの点で男に劣っている』。・・・・19世紀の英国国教会のある聖職者は言っている。女は『優秀さという点において本質的に劣っており、その性ゆえに生まれつき愚鈍であり、肉体的に虚弱、精神的に不安定、性格的に不完全で脆い』と。・・・教父たちは、死と罪が存在するのは女の責任であるという説を、遠い昔に打ち立てた。アウグスティヌスは、原罪が永遠化するのは、結婚を含むあらゆる状況下で、男の肉体と女の肉体を結びつける『色欲』のせいであると告発する。キリスト教は、性交によっで懐妊した女から生まれでるが故に、ただ生きているということだけで人間は罪深いと公言した最初の宗教である。・・・・女の『野心と生まれながらの権力欲』は、男の支配下におかねばならない、さもなければ『女はその本性から逸脱し、社会的に異常なもの、ときには、男が女の影響下にある時以外には滅多にならないような忌むべき怪物となる』・・・・マルティン・ルターは、男と女の身体的な相違は、女性差別が神の意図であることを証明していると主張した。『男の上半身は広く大きく、腰は小さくて細く、女より優れた知力を持つ。一方、女の上半身は小さくて細く、腰は大きい。これは、女が家に閉じこもり、じっと座り、家を守り、子を生み育てることを意図している』。しかし、出産と育児のために女が疲れ果てても、そんなことは問題ではなかった。ルターは言う。『女たちが出産に疲れ、そのために死んでも、何ら不都合はない。女たちが子を生み続けるうちは、それで死んでも気に病むことはない。彼女たちはそのために造られたのだから』」
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/sexism.html キリスト教では、人権無視的、隷属的、性差別の宗教観が、伝統なんだと。
当然、キリスト教のこういった影響を受けてたんでしょうね、オルソン・ハイド使徒(1805-78 35使徒)の説教では(1857.2.17)、とにかく、生殖の目的のみ許されることであり、その他は、情欲であって避けるべきことだと。情欲の性交がゆえに、人類は、病気に陥りやすくなり、寿命が数百才にもなったノアの時代にくらべ、縮まったのであり、また、生まれてくる子供に肉体的、精神的欠陥があったり、病気に罹りやすかったりする場合、そういった性交(妻が懐妊中のセックスも含め)の結果であると。セックスで女性に強さ(喜びのことか)を与えてはならない。そうしたなら、夫の寿命が
日本だと、「日本人は性行為というものを女性への慰みと考え、結婚生活において妻を満足させられないような性交は’男の恥’とされてきた。 『セクソロジスト 高橋鐵』(斎藤夜居 96 青弓社 p63)」というのからして、日本人は、進んでた、女性に優しかった、女性が強かった・・・・
http://ldsmarriagebed.blogspot.jp/?zx=1486fb4124d2eaa9
http://strengtheningmarriage.com/blog/marriage/help-for-husbands-stranded-in-the-sexual-desert
「2011年03月31日 西欧だけが性を罪悪ととらえる文化であるのはなぜか?(3)」
http://bbs.jinruisi.net/blog/2011/03/000974.html
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