より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

コメしたで御座候

2014-09-14 20:02:25 | その他

  NJさんとこ・・・・「末日聖徒に「系統的な神学」があるのか?   モルモン教関連 / 2014-09-13 07:52:22 」

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信条、杭、啓示、救い (たまWEB)
2014-09-14 16:38:14
“ジョセフ・スミスは次のように述べたと伝えられている。「末日聖徒は信条を持たない。常に真実の原則を受け入れる姿勢で、明らかにされる毎に加えられていく」(「手書きによる教会史」Manuscript History of the Church, 1843年1月1日)。

のところですが、、これは、『歴代管長の教え ジョセフ・スミス』(2007)の第22章「永遠の真理についての知識を得る」のp264にありますな。

「わたしは,末日聖徒と諸教派の最も顕著な違いは,後者は皆,何らかの特有の信条によって制限を受けており,そのために会員はその中に含まれていない事柄を信じる特権を奪われていることであると述べました。一方,末日聖徒は,……存在するすべての真実の原則を,それが明らかにされる度に,いつでも信じる用意ができているのです。」
‘……’のところは、‘信条を持ちませんが、’になるかな。

(英語だと“In reply to Mr. Butterfield, I stated that the most prominent difference in sentiment between the Latter-day Saints and sectarians was, that the latter were all circumscribed by some peculiar creed, which deprived its members the privilege of believing anything not contained therein, whereas the Latter-day Saints have no creed, but are ready to believe all true principles that exist, as they are made manifest from time to time.

http://www.boap.org/LDS/History/History_of_the_Church/Vol_V  )

同章には他に、ジョセフからの引用として、例えば、こんなのが・・・・

「わたしには別の宗派のどのような信条も信じることはできません。どれも幾らかの真理が含まれていますが,同時にそれらすべての信条の中にわたしには受け入れられないものが含まれているからです。わたしは神の御前に行ってすべてのことを学びたいと思います。ところがそれらの信条は,杭(くい)を立てて〔制限を設けて〕,『ここまで来てもよい,越えてはならぬ』と言うのです〔ヨブ38:11〕。わたしにはそれを受け入れることはできません。」

「全能者に対して杭を立てる性癖があるすべての人々に申し上げます。皆さんは神の栄光を得ることができないでしょう。御子の受け継ぎの共同の相続人となるためには,あらゆる偽りの言い伝えを捨てなければなりません。」

「わたしたちが知るべき偉大なことは,創世の前に神が定められたことを理解することです。それが分かるのはだれでしょうか。人類には生まれながらに,全能者の業と道に杭を立て,制限を設ける性癖があります。……創世の前から隠されてきたことが,終わりの時には,みどりごや乳飲み子に示されます〔教義と聖約128:18参照〕。」

「人々が〔真理に〕反対して口を開くとき,彼らはわたしではなく,自分自身を傷つけることになります。……理解力の弱い人々が最も重要な事柄を一考すらせずに無視する一方で,わたしはあらゆる角度から真理を見,胸のうちにしっかりしまっておきたいと思います。わたしは神がこれまでに明らかにされたすべてのことを信じています。信じすぎたために罰の定めを受けた人について聞いたことがありません。人は不信仰のゆえに罰の定めを受けるのです。」

      http://ldschurch.jp/bc/content/Japan/gospel-library/manuals/teaching-of-prophets/of-the-church/36481_300_josephsmith.pdf


神学を構築しようとする場合、ジョセフの言う“杭を立てる”ことに矛盾しなければ、OKということになるんかな・・・・神学が継続する啓示や個々人の霊感等を排除してしまうとなれば、それは、“杭を立てる”になるんでしょうね。神学には継続する啓示とは相容れないんでしょうかね??ジョセフのこういった言説からは乖離してしまう??

      神学 啓示
      http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RACGzHNRVUojUAvFmJBtF7?p=%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E3%80%80%E3%80%80%E5%95%93%E7%A4%BA&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=


インスティチュート・テキストに代わる、教会を代表するテキスト。おおいにけっこうでは、常に改善され進歩発展していくみたいな・・・・

教会では、総大会での説教が霊感されたもの、啓示に次ぐものみたいに捕らえられてたりして・・・・どの程度、主がよしとして、霊感・啓示を与えてるものなのかぁぁ???

想像するに、個人の受ける最大・最高の啓示とは、その人自身が永遠の生命を受けるというものなんでしょうか??
  

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その人自身が永遠の生命(永遠の命)

末日聖徒の信条、ゼロというわけではないんでしょうね、信仰箇条というのがあるわけで。


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