外戚パワーによる王位継承に向けての権力争い・・・・いろんな解説ありますな・・・・
「キリスト教千夜百話 21.祭司ツァドクの謎、ソロモンの繁栄と陰
」
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/night-tale/021.htm
ソロモン王は、大きな栄華と王位を得たわけですが(秘密のはかりごと、秘密結社によって?? だとすれば、予言者ナタンは怪しい??王位継承での共謀者??はたして、ほんとに予言者だった??最後まで?? 彼の息子はソロモン王の友人って・・・・ )、ユダヤ世界支配の象徴っすね。だから、そこで、将来、黙示録のヨハネに率いられて、失われた北の十支族が戻ってくるというわけですかぁぁ・・・・
マソラ・テキスト/本文というのがあるらしい、欽定訳と多少違うところもあって、英語に訳されたのがネットに。(JPS )日本語には翻訳ないんでしょうね・・・・
「マソラ本文 ユダヤ教社会に伝承されてきた ヘブライ語聖書のテキストをいう。
」
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=sb-kingbrw1&ei=UTF-8&p=%E3%83%9E%E3%82%BD%E3%83%A9%E6%9C%AC%E6%96%87
へぇ~、こんなのが・・・・外戚といえば日本では、藤原氏ですが、唐の第三代皇帝・高宗の后である武則天(則天武后)が藤原氏の娘って・・・・
「中国と戦争しちゃダメだ、親戚だったよー、藤原鎌足の娘は唐の皇帝の后、武周の皇帝だって。能『海人』 投稿者 飯岡助五郎 日時 2014 年 7 月 03 日
藤原鎌足の娘、すなわち藤原不比等の妹が、唐の第三代皇帝・高宗の后になったと、能【海人】の台本に書いてある。また、香川県さぬき市の志度町には同様の物語が【海女の玉取り伝説】として遺っている。
06. 2014年7月04日
武則天(則天武后)のwikipediaサイトに、
その父は、武士彠(武士カク)とありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%82%AB%E3%82%AF
武士カクということは、噂の郭務悰であり、例えばこのブログサイトの記事:
転載
なにしろ西暦663年に郭務悰が進駐してきて藤原鎌足と、日本名になり唐の大宝律令を
そのままに輸入したのは「天の古代史研究」に詳しいが、天孫と称したカクさんの方は良
で、それまでの縄文日本人原住民はみな賎にされた
07. 飯岡助五郎 2014年7月04日
06さんへ
郭務悰について、貴重な情報をありがとうございます。
唐はハザールの王朝なのでユダヤ教徒だったようです。
」
http://www.asyura2.com/14/warb13/msg/314.html
そうかぁぁ、藤原氏は、“遼東半島の百済人説”、進駐軍としてやって来て日本列島に支配層として住みついたんだ・・・・