(前回 多妻婚について 2013-05-09 09:14:12 )
1883年9月5日、マーシー・レイチェル・トンプソン夫人が、再組織末日聖徒イエス・キリスト教会管長ジョセフ・スミス3世(1832 – 1914)に宛てた手紙から。
「私の愛する夫R・B・トンプソンは、1841年8月27日に亡くなるまで、あなたの父、予言者ジョセフの私設書記を務めていました。亡くなって約2年たった頃、あなたの父(予言者ジョセフ)が私に言いましたのは、あなたの父に私の夫が数度、現れたということでした。そして、夫は、私が孤独な人生を歩んでほしくないので、あなたの叔父ハイラムが、私をこの世だけの結婚として彼ハイラムに結び固めるということを(あなたの父から)ハイラムにお願いしてもらいたいんだということでした。ハイラムは、ジョセフから聞いたこの事を、妻(私の姉)に話していて、彼女が、そういった要請に応じて、私に打ち明けました時、初め、私は、全く受け入れられない気持ちでいっぱいでした。しかしながら、あなたの父(予言者ジョセフ)から、訪問、説明を受けて、その勧めを拒めば、もしやして神に反抗したと裁きを受けてしまうのではとおそれを抱いたのでした。特に、そう感じたのは、彼ジョセフに夫が、一番最近、現れた時、夫は力強く語って、彼自らは震えるほどだったと、それから、彼は主にお伺いしたところ、答えは、”そうしなさい。私のしもべが懇願したことを行うように”だと聞きました時です。また、ハイラムは、彼から相談された時、頭のてっぺんからつま先まで、聖霊に包まれたともいいます。そして、約束の日時になりまして、承諾した4人が、姉の部屋に集まり、あなたの父が、わたしをあなたの叔父ハイラムにこの世だけの結婚として結び固めたのでした。その聖約の言葉では、復活の朝、ロバート・ブラスクル・トンプソンと、その結合によって生まれる子供たちと共に、出で来るというものでした。彼は、また、あなたの叔父に都合つきしだい、私のための部屋を増築して転居させるようにと勧告しまして、ハイラムはその通り行いました。叔父が亡くなるまで、私は、姉同様、彼の妻であり続けました。・・・・」
マーシーは、メアリー・フィールディング(1801-1852 英国生まれ、34年カナダ移民。36年教会加入、カートランドへ移民。ソルトレークで没)の妹にあたる。ハイラム・スミス(1800-1844)は、1837年、最初の妻ジェルシャ・バーデンと死別、同年12月、カートランドでメアリーと再婚。同年6月、マーシーは、R・B・トンプソン(1811-1841)と結婚。トンプソンは、タイムズ&シーズン機関紙の副編集人で、仕事部屋の非衛生状況から結核で病死、同じく編集長ドン・カルロス・スミス(1816-1841・8・7 ジョセフの末弟)も結核で病死。マーシーは、ジョン・テイラーの多妻の一人に(この世だけ。扶養されると)。メアリーは、ヒーバー・C・キンボールの多妻の一人。
http://restorationbookstore.org/articles/nopoligamy/jsfp-visionarticles/hsfp.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_Fielding_Smith
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_B._Thompson
再組織末日聖徒イエス・キリスト教会(コミュニティ・オブ・クライスト)では、ジョセフは、多妻婚に生涯反対であった、多妻婚は、ブリガムたちに騙されたもの、陰謀と主張してるんですよねぇぇ・・・・
たまWEBの勘では、また、他の資料とか見ても、主イエスから多妻の啓示をジョセフは受けていたんだと、それは本当だったんだと・・・・
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