このベヒストゥン碑文(高さ100m以上に位置)のレリーフ像に見えるダリウス1世に踏みつけられてる人物、マゴス僧ガウマタ(ゴーマタ, バルディヤ \ スメルディスとも)こそ、何を隠そうゴータマ・シッタルダ(仏陀)その人なのであります・・・・『仏教メソポタミア起源説』(1995)
たまWEBが初めてこの説に接したのは、1992年12月くらい、新人物往来社のAZという雑誌(92 26号(12月) 94?廃刊)記事“ブッダはバビロンの僭王だった!?”(執筆 佐藤 任)でした。書店はどこだったかぁぁ、神田?渋谷?池袋?思い出せない。その後『仏教メソポタミア起源説』(95)本も購入したりしました。
もち、たまWEBの勘ではかなりの真相をつくものであったわけでした。まぁ、今日もそうだすがな。
http://www.livius.org/pictures/iran/behistun/behistun-relief-from-below/
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/2016-10-10.html
http://www.yjc.ir/en/news/5926/behiston-historical-complex-in-photos
http://heritageinstitute.com/zoroastrianism/behistun/index.htm
仏陀の敵提婆達多・デーヴァダッタとは、ダリウスのことでしょう。
「パール氏の主な主張は以下の通り。
1.ブッダ以前にも仏教は存在した。
2.ゴータマ・ブッダと、ベイストゥンの壁画に描かれた、ダリウス一世に踏みつけられているマゴス僧のゴーマタとは同一人物である。
3.インドの地名は西アジアの地名の反復(エコー)である。
4.アショーカ王とディオドトス一世は同一人物である。
他にもあるが長くなるので割愛。
・・・・
パール氏もこの件については、
1.インドでは発掘学からの物的証拠はほとんどない。
2.仏教は他の国では隆盛したのに、発祥国で急激に衰退したのは不可解。
3.インダス文明のあとの「暗黒の千年」問題。
その他、ブッダが異邦人として描かれている等の論証豊富。
パール氏の主張はより簡潔で、少し物足りなさを感じてしまうくらい。
(この点、くどい上に晦渋な梅原 猛氏とは好対照をなす。)
しかし、この本のことが殆ど取り上げられないのが不思議。
仏教史が大幅に書き換えられてしまうことへの畏れか?
少なくともパール氏の論を考察することにより、現在不可解とされている事象はなくなる。
(発祥国で急激に衰退したのは、アショーカの強力な布教があったため等。)
もしくは反論もあってよいはず。
」 http://yurusan.blog.so-net.ne.jp/2012-10-12-2
この研究者ラナジット・パール氏のURLなどは
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=ranajitpal
http://www.ranajitpal.com/ranajitpal_gotama.htm
神官スタイルのグデア王像は、仏教で恭順を示す偏袒右肩(へんだんうけん 袈裟を左肩に掛け右肩と腕をを裸出)の姿。http://www.ranajitpal.com/nebuchadrezzar.html
「スメルディス(ギリシャ語:Smerdis, ペルシア語:بردیا (Bardiyā バルディヤー), ? - 紀元前525年あるいは522年)は、アケメネス朝ペルシアの太祖キュロス2世の息子で、カンビュセス2世の弟。その事績には謎が多く、王位についていた可能性がある。
ヘロドトスの『歴史』が伝えるところによると、紀元前525年のエジプト遠征を前にしたカンビュセス2世は、夢のお告げで弟のスメルディスに王位を奪われるのではないかと疑念を抱き、密かに殺させたという。ところが秘密裏であったことが仇となり、カンビュセスがエジプトにいる間に、ペルシア本国ではマギで大神官のガウマタがスメルディスに成りすまし(ヘロドトスはスメルディスとガウマタが似ていたと述べている)、ペルシアの帝位を簒奪したという。のちスメルディスの娘パルミュスは、ガウマタを倒したダレイオス1世の妻となった。
以上がヘロドトスの記述であるが、近年の研究ではガウマタはスメルディスの偽者ではなくスメルディス本人であった、つまり簒奪者は正当な王位継承権を持っていたガウマタではなく、それを倒したダレイオス本人であったとする説が有力になっている。この場合、ヘロドトスは簒奪者ダレイオスが捏造したプロパガンダの偽史をそのまま後世に伝えたことになる。」