浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
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夏休み最終日

2006-08-31 22:15:43 | 出来事
昨日遅かったので、今日は早く帰ろうと思ってたのに資料作成と長引いた会議に阻まれた。先週、今週と歩けてないしな~。トホホ。

もう早く電車で帰ろう。
「美味しい枝豆が待ってるよ。子供達がつまみ食いして美味しいってよ。」
「お~。ちゃんと取っといてくれよ~。」
「とうちゃんか゛枝豆取っとけってよ。あ~また食ってる!」
「こらぁ~」
んにゃろー。
「お~。ただいま~。何~!明日っから学校なんだって~!?わはは。」
「そんなの知ってら。大体まだ何もいってないじゃんか。」
「しかし、なんで9月2日からなんだろうね~。普通1日からだろ。」

暗い目をした子供達に追い討ちじゃ。

B'zのライブ、いわきの水族館、浦安の花火大会、いわき湯元温泉、友人たちとの食事、そして停電ってのもあったな。今日はけっこう揺れたしね~。

短いようで長い、長いようであっと間の短い、そして盛りだくさんの夏休みであった。沢山思い出をありがとう。


福岡日帰り

2006-08-30 22:55:22 | 出来事
今日は福岡出張。福岡は初めてなのでもう少しゆっくりしていたかったところだが、残念ながら日帰りコースである。

空港が近くてすごく便がいい都市なんだね。
如何にも住みやすそうで、おいでおいでされた感じがしますね~。
今日も朝から目一杯ヒアリングを突っ込んで、集中力がぎりぎりいってた。

この拠点、拠点で持っているこの空気感のようなものの違いは一体どこからくるのだろうか。この雰囲気の良し悪しと仕事の成果の良し悪し。必ずしも相関しないような所ってあるよね。むずかしいね~。

この箱を開いて絡み合った鎖を紐解くとトンデモナイ宝物に手が届く感じがするんだよね。やる気のある拠点はここに対する貪欲さが違う。

しかしメンバーと色々話し込んでいくと、想像以上にみんな真剣に仕事してんじゃんか。(失礼!)当然なんだけどさ。現場の課題をチームで解決しながらも前進、前進。これぞ営業。改めて拠点営業の血が騒ぐわ~。

小一時間だったけど、おわったところで軽く一杯。
ヤリイカの活き作りメチャ旨でした。
帰りの便に駆け込むように乗って無事羽田へ。
へとへとになってリモバスで新浦安へ。


横浜みなとみらい

2006-08-29 23:21:50 | 出来事
今朝は横浜みなとみらいに直行。仕事で横浜は、ほんと久々。
短期間だったけど毎朝通った支店。
支店に足を踏み入れるのは何年ぶりなんだろう。
そんな自分が居た店にヒアリングに行くと云うのは何とも不思議な感じだ。

また、当時は私生活も横浜に移して、家族ともども思いで一杯の地である。
この地で長男が小学校に進学という我が家にすれば一大イベントを経験、ご近所の方々との関わりなんかも、解らないもの同士であるが故の連帯感みたいな、何か熱い、いやいや深いお付き合いをさせて頂いた場所であった訳であった。
当時お付き合い頂いた方々のみならず、横浜という場所自体にも感謝の念と親近感を抱く自分がいるのだった。

そんな思い出深い出来事の数々を生み出した子供達も長男は今年中学生。
まる5年が経過しているという事か。絶句。あまりにも あっと言う間だったな。

今日、はじめて乗ったみなとみらい線だったけど、クイーンズのこんな所に着く事に気付いて実際かなりたまげた。わからないけど、写真の左奥は電車が行き来しているのが見えるのよ。

当時は只の地下街だったのに!
しかも電車の走る方向は僕が考えていた向きと方角が違うじゃん!

大変な工事だったんだろう。しかし今は当たり前のように使われている。
支店でのヒアリングは、ずっと ずっと前からの拭い去りきれない問題や課題を抱えっぱなしになってる事が浮き彫りに。

解決以前に策が手法として個人技になってますね。求められてる事のレベルが違う感じ。超反省である。しかしどうすりゃいいのさ。

横たわる問題と自己の非力さ無力さを舐めさせられる一日となるとは「予想外」な日であった。



横浜で営業しろ。って言われたらすぐ走るんだけどな~。
絶対、誰も言ってくれなさそう~だな~。


トラブル続き

2006-08-28 23:10:22 | 出来事
今朝は突然涼しくなってしまって体がついていけなかったっす。開け放した窓の下で寝込んで腹こわしました。

終ったハズの仕事が実はミスコミで半分しか終ってなかった事が判明。半べそかきながら仕事のおかたずけ。冷静に考えれば確かにそりゃそう。やって貰えると考えた僕が甘かった。しかし、使う側と使われる側。えてして工数の面ですら使う側の方がボロボロになるのは、何でだろ~。(泣)

仕事上でのキラーパスを受けまくる日々。受けられない、走っても間に合わないのは、僕の足が遅いの?立ち位置が悪いの?
冷静に考えると乱暴なパスを出しているアイツの方が悪りぃのでは。
しかも大抵、そのパスを繰り出してるのは同じ奴であったりもする。しかし素人の観客からみたら俺の方が情けね~んだよな。どうしたって。
でも悪いのはほんとは俺じゃね~ぞ!ちくしょ~。

部下は上司である自分を盲目的に頼り、気付いたら自分は数ヶ月前に自分で書いた文章を添削してた。

誰に指導してんだ。俺って。

親戚は勝手な主張を繰返し、娘はガラスのコップをぶち割り、ちゃんとした大人として振舞えと理性は叫ぶ。

こんな夜はどんな過ごし方が正しいんでしょうかね。






砂漠で溺れるわけにはいかない

2006-08-26 18:56:50 | 読書
ドン・ウィンズロウ(Don Winslow) の「砂漠で溺れるわけにはいかない(While Drowning in the Desert)」のレビューをアップしました。

本文はこちらからどうぞ

シリーズ最終作。終わってしまうと寂しい限りである。チョー勝手な事を言うようだが、未約のままちゅうぶらりんでいたままの方が幸せだったのかもしれない。なんてね。しかしこの夏最高の贈り物だった事は間違いない。

訳者あとがきで東江一紀氏が1999年6月の「高く孤独な道を行け」刊行の後翻訳ミステリの冬の時代を迎えた事が訳出の遅延の大きな理由であったと述べていた。

あの頃どんな本を読んでいたんだろうか、記憶を遡ってみると2000年から2003年位の間って何か空白。一体あの頃どんな本を読んでいたんだろう。

何かって云うと猟奇的であったり、結局サイコキラーだったり。かなり食傷ぎみになってたような気がする。またはエグいホラーであったり、更にはマイクル・スレイドなんてフュージョンしたのまで出てきやがってからに。

といった日々だった模様だ。コナリーもエルロイもやや力を失い、ノンフィクションや自然科学の本が多かったような気がする。最近の洋画もアメコミだったり、リメイクだったりしているものが目立つのも良い「本」がないという事なんだろうね。

しかし翻訳家として食えない時期であったと仰っているのでこれは書き手もいなければ読み手も不在な時期であったという事になる。これは何が原因だったんだろうか。

インターネット?ゲーム?映画も含め、繰り返し読む、観るという感じが消え、使い捨て感が強くなってきたように思える。

何もかもが一過性の楽しみの為に使い捨てられていく。本書が刊行されたのは丁度10年前の1996年。どんどん世の中が変わって行って使い捨てられていく。

こんな時に往年のコメディアンとボードヴィルショウからこんなにも愛すべきキャラクターを捻り出してきたウィンズロウはやはり達観した目を持っているというべきだろう。


本書のなかで、シルヴァースタインが教えたとされている
アボットとコステロの"Who's on first"

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差し詰め、そのシルヴァースタインなら、「面白いもの、良いものと云うものはそう簡単にかわりゃせん。今の若い者がやっちょる「お笑い」なんてもの。ありゃ「芸」とは言えはせん。同じように料理も映画も今時のものと言えばぜ~んぶ、エセもの。ゴミくずじゃ。」とでも言うのだろうか。


みんなで遅い昼食を食べに近所の中華料理店へ出かけてジャスミン茶を頂く。今日はかなり涼しくて心地よい一日だ。