浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
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江戸図の世界

2010-10-29 22:47:00 | 出来事
港区郷土博物館で素晴らしい企画が行われている。

江戸の古地図だ。


金曜日の夜は延長。会社からすぐ近くなので遊びに行かせていただきました。
これが予想以上に素晴らしい。我々が会社で仕事をしている、折に触れて歩き回っている三田・田町界隈の300年にわたる時間の流れ。

また伊達家の下屋敷や酒井雅楽頭邸。そして掘があり橋がある。


送信者 ドロップ ボックス



また、この本がまたしっかり、素晴らしい出来なのでありました。
こんな大判の地図までおまけについてくるのだ。

送信者 ドロップ ボックス


週末は荒天で外にも出づらい感じですが、僕はこの地図でどっぷり楽しませていただく事にしますかね。

このイベント。近所で訪ねられる人は行った方がいいよ。


ユニセフの新戦略=僻地の子を最優先に

2010-10-27 23:04:00 | 出来事
「ユニセフの新戦略=僻地の子を最優先に」
ユニセフのシンポジウムに参加してまいりました。なんつってもアグネス・チャンさんに間近で会えたというのはこの上なく素晴らしい機会でした。

≪プログラム≫

基調報告①「今、人道支援の現場が直面していること」
レイラ・パカラ  ユニセフ本部民間支援企画調整局長 
(元ソマリア事務所代表代行)
基調報告②「ソマリア視察報告」
アグネス・チャン 日本ユニセフ協会大使
パネルディスカッション

ところで突き詰めるに、なんでこんな紛争が起こっているのかという問題がある訳で、聴衆からはそんな質問も飛んだ。それはつまり集まった人達はよく解ってないという事で、中立を保つユニセフとして、根本問題として何で紛争が生じ、そしてそれを止められないのかについて明確に説明できないというジレンマがあると僕は思う。

アグネス・チャンはイノセントに紛争の原因って何かという部分についてパネリストに振っておりましたが、まともに答えられる人は皆無でした。「水とか天然資源ですかね・・・」

残念ながら割り切ったコメントは出せずじまいで、どうやらこの問題はアンタッチャブルな状態で話しを進めざるを得ないという前提があるらしく、非常に歯がゆい。

格差を生むグローバルも、その背景にある人権よりも優先される企業の利益追求がこの不幸を生んでいるという事実を認識するところからはじめないと、いけませんよね。

こうした議論にユニセフとして進んでいけない弱さもまたあるのだなぁと思いました。

個人的にはそんな距離感に対して、「あーそーなのか」と妙に納得してしまった感じだ。
根本問題はそう簡単に片づく見込みも解もなく、これからさきも紛争を続けていくことはある程度避けられない事態であるならば、やはり紛争地帯に置いてけぼり状態になってしまっている弱者に手をさしのべる必要も当面は止むことがないという訳だ。

世の中は複雑怪奇になってきていますねぇ。

今日のお散歩

2010-10-24 18:27:00 | 出来事
唐突だが平林寺で散策。ここは新座市だ。新座市ははじめて訪れた場所だ。何故新座市かというと、カミさんが三浦春馬のトークショーを観に行く事になったからだ。

友人に誘っていただき観に行く事になったのだ。僕はその送迎係という訳で。

ホントはここからだと、朝霞水門みたいに浦安からだとちょっと自転車では近づけないような大物が近いのだけど、地理に不案内なのと道路が渋滞している事から、悔しいけど断念。

代替策として、この平林寺で散策する事にしたと云う訳です。

カミさんらは三浦春馬と5m以内と云う距離で煩悩出まくりらしいが、僕はこの禅寺で心の平穏を手に入れるのだ。


平林寺は1375年に創建されたお寺。ここには、野火止用水や玉川上水の開削、農政の振興などにより川越の藩政の基礎を固めたと云う松平信綱のお墓なんかもあるという。

松平信綱はまた島原の乱を鎮圧した人でもあるそうで、敷地内には供養塔もある。


43ヘクタール。と云われてもピンとこないが、遠目でもここは何かあると思わせるようなうっそうとした森が広がる場所でありました。この森というか林は国定天然記念物。


そして一歩はいると、そのお庭は素晴らしい造りになっているのでした。

平林寺(総門)

送信者 文化財部


平林寺(山門)

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ちゃんとしてデジカメが手元にないのがつくづく残念。

平林寺(山門)

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実際に奥行きも勿論あるのだけど、この計算された配置。だんだんこうした庭の造りにも関心が向き始めている自分。


平林寺(半僧坊)

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こちらは半僧坊大権現を祀ったもの、半分僧侶で半分俗人で元々は偉いお坊さんの待者であった人だが摩訶不思議な神通力の持ち主だったそうな。

平林寺(仏殿)

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平林寺(島原の乱供養塔)
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平林寺(松平信綱夫妻墓)

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平林寺(野火止塚)

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平林寺(業平塚)

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こちらの塚はもともと野火を止めるために築かれた塚なのだそうである訳ですが、この業平塚は、京都からやってきた在原業平が腰かけて休んだ場所という言い伝えがあるそうです。

カミさんとお友達のお陰手思いがけず、武蔵野路の雰囲気を堪能する事ができました。カミさんも三浦春馬を間近でみて、友達にも会えて凄く喜んでおりました。僕もほんの短い間だったけど久しぶりに会う事ができたのもとっても嬉しかった。

あさのさん、ありがとう。ホント感謝してますよ。それに久しぶりに顔もみれたし。

間近でみた三浦春馬に大興奮状態のカミさんをインターセプトして、雨の首都高を浦安に戻って参りました。道路が空いていたので約1時間の道のり。


外環から見える朝霞水門に次回は絶対そこへ行くぞと心に誓ったオヤジでありました。






今日のポタリング

2010-10-23 12:26:00 | 自転車
ちょっとイベントが入ると半月運動できないなんてことが簡単に起こってしまうので油断大敵です。本日は大変天気も良く、いろいろ忙しいのだけど、先ずは自転車。

本日は新川から一之江境川親水公園に沿って北上。

息子が修学旅行でカメラを持っていってしまったので、携帯のカメラで我慢。

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慌てて出てきてしまったので、見所を押さえきれず、見逃しまくって走ってしまった。

水神宮

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染物屋さんがありました。僕の生まれた街にも掘があって、その流れで染め物を流していました。小学校の頃はそんな風景を眺めながら通ったものでした。

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妙覚寺

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1284年、日全が草創したという。日全は千葉氏で千葉氏の氏神である妙見尊が祀られている。この妙見尊は妙見島に祀られていたこともあったそうな。


中川に抜けて更に北上。

宝蔵寺

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八剣神社

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1629年 そう惣百姓、惣氏子が「矢剱神社」を再興したものだそうです。


今回は中川に沿って西へ。

八幡神社

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このあたりからだんだん方向感覚がおかしくなってきた。
このあたりはものすごく古い地形がそのまま残っている。

興味があったのは水神宮が並んでいたところ。


水神宮

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水神宮

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奥戸天祖神社

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大しめ縄の神事がこの10月に行われたのだそうで、立派なしめ縄が奉納されていました。

荒川に抜けることも考えていたのですが、本日は時間切れ。ここから大急ぎで引き返してまいりました。



今日のお散歩

2010-10-20 22:04:00 | 出来事
本日は、田町から高輪を通って品川へ歩きました。

聖坂を登って高輪へ。高野聖が開いた古代中世の通行路で、その宿所も同所に存在したためこの名称が付けられたとされる。「竹芝の坂」もしくは「竹芝坂」とも呼ばれた。

道路は所謂尾根の部分を通っている感じで道の両側には下り坂があるという珍しい地形だ。

聖坂

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桂坂

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洞坂

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高輪を抜けて、桂坂、洞坂を下って品川へと抜ける。


クウェート大使館

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こちら1970年築の大使館兼公邸。一つの建物に公邸と大使館が同居しているという珍しい建物だ。

三田東急アパート

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1957年。竣工当時、日本最大級の収容規模だった建物だ。今は改築を待つ巨大な空き屋となっている。



高輪消防署二本榎出張所

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1933年。都内唯一の火の見櫓のある消防署です。今回高輪を目指したのはこれを見に来たかったからだ。

若干電線が邪魔臭いが、この存在感はちょっと他にない感じじゃないでしょうか?

素晴らしいですね。



東京基督教団高輪教会

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1932年。こちらもまたその存在感は突き抜けている感じです。なんて素敵な雰囲気を醸し出しているのでしょうか。

この界隈に住んでいる方は幸せですね。


明治学院記念館


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1890年。校内に入り込むのは気が引けて、こんな遠目になってしまいましたが、こちらも重要な建築物です。



三菱電機高輪荘

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こちら築年不詳。昭和初期のものですが、まだまだ現役。雰囲気抜群の建築物でした。

高輪台小学校

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1935年に高輪台尋常小学校として開校。かつては東洋一の校舎と呼ばれた洋風建築の白い校舎があったそうだが、現在は新しい校舎へと立て替え済みでした。。

ホテルパシフィック東京

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1970年代に建てられた30階建てのホテルだが老朽化が進み、つい先日休館となった。この敷地は朝香宮家や東久邇宮家などの皇族共用御殿・高輪南町御用邸跡地と云う由緒ある一等地だ。建物は近々取り壊され新しいホテルへと建て替えられる予定だそうだ。


今日も素敵なお散歩ができました。