浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
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今日のポタリング

2010-04-30 20:33:00 | 自転車
今日は会社がお休みなのでG・Wは7連休であります。カミさんも子供達も今日も明日も仕事と学校だそうで、家族で一番暇なのが私。こんな事でいいのかと云う気もします。ホントは持ち帰った仕事をしなけりゃいけないんだけど、まずは自分の健康管理とリフレッシュを優先させ、今日は自転車で出かけました。

浦安・市川になんだかんだと16年も住んでいるのに、さっぱり近所の事を知らない。いつまで経っても余所者でいるのもなんだ。どっか遠くへ行くよりも、自分が今立っている場所の事にもっと目を向けてみたら面白い事が見えてくるのではないかと。

実態として、ぐるぐるまわってきた橋や水門も人力の自転車で行けそうなところもそろそろ底が尽きかけてきたと云う事情もある。行くとこがなくなって運動不足に逆戻りするのは避けたいところだしね。


市川には、台地があって、この台地には貝塚や遺跡がたくさんある。それ以外にも神社仏閣の史跡もいっぱい。云ってみれば見所満載な訳だ。


先ずは目指したのがここ、鬼高遺跡。

送信者 文化財部


ここは5~6世紀はじめの頃に海辺に暮らしていた人たちの遺跡なんだそうだ。ここで発見された土器は鬼高式土器と呼ばれているのだ。


そんでもってお次は、美濃輪台遺跡・B地点

送信者 文化財部


ここも崖の上にある。こちらは縄文時代の炉穴が見つかった場所なのだそうです。公園にある地図ではA地点が書き込まれていたのでぐるぐる回りましたが見つからず、帰って調べてみれば、土砂採掘のために崩れてしまったのだそうです。

北を上にU字型の崖が出来ていますが、海の方向を考えるととても不思議な地形です。


中山法華経寺

日蓮の事は殆ど知りません。ちゃんと勉強します。


送信者 文化財部


聖教殿。この存在感はすごいですね。近寄るのがちょっと怖い感じでした。ここには自筆文などが納められているそうです。

送信者 文化財部


元弘の板碑

送信者 文化財部


葛飾八幡宮(千本公孫樹)

送信者 文化財部


根元から枝分かれしていると云うのがすごく不思議な公孫樹
これは昔落雷によって折れた事に起因しているらしいですが、小蛇が住まうと云う伝説があるそうです。

送信者 文化財部


ぐるぐると近所に寄り道しつつ、たっぷり走って参りました。
今川橋のたもとでは好例の鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでいました。

送信者 ドロップ ボックス



今日のいろいろ

2010-04-24 19:26:00 | 出来事
打ち合わせに継ぐ打ち合わせの日々で合間にこなすべき課題を進めている暇がとうとうなくなってきた。仕方ないので作業は週末に押し込むことにしてお持ち帰りしてきたんだけど、今日は久々の好天。ここんとこずっと雨だ真冬日だと春らしい日が少ない。夜もとても歩く時間が作れずフラストレーションが溜まってきており、このまま指をくわえて仕事をしてもろくな成果が上げられない(と云う言い訳)。

今日は北西の風。迷わず西を目指す。

今日の狙いは木場から大横川を南西に下り隅田川に出、そこから北上して清澄から仙台掘川を東へ戻ると云うコース。

ここにはちょっと行ってみたい場所が沢山ある。

まずは洲崎球場跡

送信者 文化財部


ここは1936年から水道橋に後楽園球場ができるまでの3年間プロ野球の試合が行われていた球場だったのだそうだ。ここを本拠地としていたのは大東京軍と云う球団だったそうだ。


洲崎神社

送信者 文化財部


洲崎神社には、津波警告の碑がある。

送信者 文化財部


1791年。深川洲崎一帯に高潮が押し寄せ、多数の死者や行方不明者を出した事により、この一帯を幕府が買い上げ、人が住むことを禁じた。その起点となる場所に波除碑を建てたのだと云う。この波除碑の東の端がここ洲崎神社の碑。そして西側にあるのが平久橋の袂にある碑だ。

送信者 文化財部



大島川水門。この先は隅田川。

送信者 水門と橋その2



そして、旧東京市深川食堂

送信者 文化財部


現在は深川モダン館と云う観光案内所となっており、なかを見学したりお茶を飲んだりする事が可能だが、建った当時(昭和7年)は、開発著しい東京へ流入する労働者のための食堂だったと云う。都内には同様の食堂が16・7箇所あったらしい。

本日の目玉はここだった。一休みできれば丁度良いだろうぐらいな気持ちでお邪魔したんですが、出迎えてくださった初老のスタッフの方は丁寧に僕に由来や当時の様子などを説明して案内して下りとてもありがたかったです。

営業時間外にもかかわらず、喫茶部ではハーブティを出していただき、お茶を飲みながら江戸の歴史や水運、そして船に関わるお話など興味の尽きないお話を伺う事ができました。

当時の活気のすごさを物語るものとして、食堂に通じる階段がある。ちょっとモダンな感じに折れ曲がった階段のステップはなんと人の行き来で、中央部分が目に見える程摩耗していると云う。

みせてもらうと本当に石出てきた踏み板が端と真ん中では全く厚さが違っているのでした。それだけ大勢の人がここに通い、食事をしそして働いたということですね。いやはや。

送信者 文化財部


ますますこの辺りの散策が楽しくなるようなお話をありがとうございました。ハーブティーとあわせて体力も回復し、目的のコースを元気に走る事ができました。


そして巽橋から大島川西支川を北上。

送信者 水門と橋その2


中の掘川樋門

これこれ。ここに樋門があるのは前から知っていたのだよ。名前を調べても解らないヤツだったので、ずっと気になっていたんだよ。

送信者 水門と橋その2


そして清澄水門の脇から隅田川を望む。

送信者 水門と橋その2


清洲橋

送信者 水門と橋その2


すると目の前を運河クルーズの方々が!
もしかして運河好き、橋脚ファンのツイッターのお仲間がここにいるかも!

みんなしてカメラを同じ方向に構えていたのがなんとも微笑ましかったです。

送信者 ドロップ ボックス



仙台掘川では、かつてあったと云う尾高水門の碑がありました。


尾高水門マスターゲートの心臓部

送信者 水門と橋その2


他にも芭蕉の採茶庵跡やコンクリート工場発祥の地の碑などに立ち寄りつつ、運河にかかる橋を一つ一つ写真に撮りながらの自転車の旅。日の光をたっぷり浴びて、すっかりストレス解消できたとてもいい一日でした。

41年目の春

2010-04-17 21:08:00 | 出来事
今日は関東ではなんと41年ぶりだと云う4月も中旬過ぎに降雪があった。一昨日から真冬のような寒さだったので、感覚的には雪が降っても全く不思議ではない感じだ。

昼間は娘の中学校の授業参観日だったのでカミさんと二人で出かけた。中学生ともなると親がくるのは迷惑気味な娘だが、何構うものかとズンズンと上がり込んでいった。

子供が中学に進学してしまうと、学校に親として行く機会がめっきり減ってしまって、子供達や保護者の方々も見知らぬ人が増えて、なんとなく居場所がない。

授業が終わるとそそくさと退散。空はいつのまにか、青空がみえてきていました。

送信者 ドロップ ボックス


送信者 ドロップ ボックス


海まで、お散歩。雨のせいで海は素晴らしく碧くきれいでした。

建築中の高洲・明海間4号橋。だんだん橋らしくなってまいりましたね。

送信者 水門と橋その2


もう少しで完成しそうです。


送信者 水門と橋その2


来週は暖かくなる模様です。来週は自転車乗れるかな。

今日のお散歩

2010-04-13 22:57:00 | 出来事
今日のお散歩は四谷からスタート。

麹町聖イグナチオ教会

送信者 建築部


麹町ダイビル

ぐっと時代は下り1976年築。村野藤吾氏の手によるデザインでその佇まい、存在感は一つ頭を抜いていると僕は思う。

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ホテルニューオータニ

1964年築のニューオータニ、残念ながら暗くて全景はみえませんでした。また道をはさんで建つ赤坂プリンスホテルの旧館もちらっと見えるけど夜景撮影できるような環境にはなく、遠目で眺めて、夜桜を見物しておしまいにさせていただきました。

しかしここの夜桜はその妖しさが只者ではない。

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国立劇場

1966年築。ここは夜も開放されているらしく、敷地内を抜けて三宅坂へ。そしてここは校倉造と云う建築法を間近でみれるのでありました。

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最高裁判所

送信者 建築部


国会議事堂

送信者 建築部



今回の目的は三宅坂を下る事にありました。と云うのはこの三宅坂、憲政記念館は、その昔、帝国陸軍参謀本部があった場所で、これはどうしたことか、国会議事堂と皇居のあいだ立ちふさがるように建てられていたということで、その存在感を歩いて確認してみたかったのでありました。

お堀に沿って三宅坂を下ってみるとその違和感は途轍もなく、皇居からは国会議事堂はこの坂に阻まれまったく見えない。よくもまあこんな場所に参謀本部をおくことに合意したものだとつくづく感じる次第でありました。

また、坂を下り有楽町へ抜けるとそこは目の覚めるような美しい夜景が。
しかし右端のビルは第一生命ビル。かのマッカーサーが戦後の日本の立ち位置を定める支配者として短期間ではあったが、凄まじい存在感をもって君臨した場所でもあったわけでありました。

第一生命ビル

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国会議事堂、皇居、旧帝国陸軍参謀本部、そして第一生命ビルは近代日本の歴史を知る上で、是非とも訪れておきたい場所だと思います。

桜満開

2010-04-10 12:37:00 | 出来事
今日はカミさんがご出勤だったので送迎。昨日の夜は同僚の送別会でちと飲み過ぎ。飲みに、仕事に、トラブルと今週はヘビーな週だったので、今日は精神的に全然エンジンがかからない。

新浦安の街路に植えられた桜が満開。

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年度変わりは環境が変化するのでいざこざが起こりやすい。

気分転換に浦安市内お花見ツアー。

明海から今川付近へと境川を遡上。

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この道は桜の季節見物渋滞が起こるほど。


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堀江付近。

やっぱり水辺はいいなぁ。

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このあたりの桜もまたすばらしい。

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しおかぜ緑道。ここは間違いなく暗渠。おそらくその昔は堀割だったんだろうな。

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ゆっくりお散歩するには最適の場所ですが、車なので実は駆け足。


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猫実から海楽方面へと更に移動。

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そして美浜。

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美浜公園はお花見には最適な公園ですが、駐車場がない。なんで朝から走っているのか俺。朝公園で小走りしていたオヤジを見かけた方。きっとそれは私です。

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桜の時期に来たいと思っていても、なかなか来れなかった場所。見事な桜にほれぼれしちゃいますね。

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あぁ洗車しないと・・・・。

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急いでいたからなんて言い訳はしません。写真がハンパなのは、ウデとカメラに問題があるから。

一旦帰宅し、買い物がてら、自転車で更にツアー続行。境川の河口付近。我らが明海地区。

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あとちょっと行けば海。

空も晴れてきて暖かい、少し癒された気がします。

今日は息子と二人でこれからお昼。

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