小雪が舞ったり、厳しい北風も吹いたが、お正月三が日は先ずはお日様に恵まれた。
初詣でには大勢の人が出かけ、神社仏閣は笑顔こぼれるお正月になったのだろうか。
個人的には、これといって何をするでもなく、ゆったりのんびり、絵にかいたような休養のお正月となった。
『人間の一生が少々長すぎるので、神さまが、それを365日ずつに区切ったのだ。そしてその区切り、区切りの段階で人間がひと休みするということだ・・・ ・・・』とは井上靖氏の正月を迎えるにあたっての言葉である。
考えてみれば、確かにその通りに思えてくる。
ただ屁理屈をいうなら、先ずはひと休みしてから働き始めるのか、精一杯働いたからご褒美としてお休みをもらうのか・・・
どっちなんだろう。もしも、ご褒美説をとるなら、一年の終わりをお正月と考えてもよいではないか。
先に休んでおいてから働き始めるというのは、なんかしら「ややこしいことに当たるときの自分の姿」を見るようでちょっと納得行きかねる部分もあるような。
どっちにしても、世の中等しく「歳改まるおめでたいお正月」である。とやかく言っては偏屈者にされてしまうのが落ちだ。
ここでしっかり休養して、松が取れる前から、一仕事も待っている今年。やはりノホホンとばかりはいかないのだろう。
これから狩りを始める前のアオサギが、穏やかな水面を眺めながらひと休みしているのが目に止まった。
それとも逆に、もう十分に狩りを済ませてお腹を満たし、ひと休みしているのだろうか。さてどっちに見えるのかな。
元旦のご来光を待っている横で、静かにたたずむアオサギをパチリ。
おだやかな三が日も暮れようとしている。さあ先ずは明日から。