また一人、あこがれにあこがれた作曲家がこの世を去った。船村徹84歳。少し早い旅立ち。惜しい!悲しい!!
また一つ、昭和が遠くなっていく淋しい思いが胸に迫る。
遠い遠い昔話になるが、オタマジャクシもろくに読めない田舎の少年が「この人の弟子になりたい」と思い込んで、胸をときめかせたのが、誰あろう船村徹、その人である。たとえいっときの夢であったにせよ、かなり切羽詰まる衝動に押され、本気で東京行きを考えたこともある。
それは、単なる演歌にあこがれただけではない。「この人なら」というれっきとした自分なりの理由があったのだと、今も思っている。
♪♪ 泣けた泣けた こらえきれずに泣けたっけ あの娘と別れた哀しさに
山のかけすも鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ ♪
『 別れの一本杉 」 作詞 高野公男 作曲 船村 徹
あの名曲「別れの一本杉」が大ヒットした昭和30年はまだ中学2年生。別れの哀しさも理解できない年頃ではあった。
それでも、「何かしらいい歌だな~ 心に響くな~」などと感じてはいた。
それから間もなくして、この歌の作詞をした高野公男さんが亡くなったというニュースも、ちゃんと耳に覚えがある。
その後数年たっても、船村徹さんは「高野君ともっと仕事がしたかった……」と言いながら、必ず涙を流す場面を何度も見た。
そんな時、やはりこの船村徹と言う演歌作曲家は、日本人の琴線に触れる名曲を次から次に生み出す最高の作曲家であるのはもちろんだが、心の奥底に、人を愛する優しさも切なさもを持っている、人間らしい人、という確信を持った。
若かったとは言え「親に内緒で家出をしてでも東京に行きたい」と考えたとき、師匠に船村徹さんを選んだことは間違いなかった。といまさらながら思い出して、下を向いて苦笑することもある。
美空ひばりさんに歌わせる歌の作曲は、自分の中で「ひばりと格闘する気持」で五線譜を操るという、超一流の歌手に超一流の曲を提供しようとする作曲家の「魂」みたいなものを感じさせる一人であった。
これからしばらくは、歌謡番組は全てと言っていいほど、「船村作品特集」を掲げるに違いない。
胸に刻んだ数々の名曲を思い出しながら、船村徹の世界を改めて観賞したい。
「柿の木坂の家」もいい。「紅とんぼ」・「女の港」・「みだれ髪」・・・みんないい。
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