「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「無念の50回忌」

2023年06月06日 | 家族・孫話

                    

長女、長男、二人の子供に恵まれ5人の孫に囲まれるいま、家族と言う点においては何不自由なく暮らしている私たち夫婦だが。
気持ちの奥深くに遺された一つの痛恨は、消えることなく鮮明な思い出の中に確かに息づいている。手応えのある今の生き方の原点にあるのは、あの時失った小さな命のお陰の上にあるような気がしてならない。

たら・ればの話になるので一笑に付されるかもしれないが。私たちにとっては生涯忘れ得ない大きな節目となった出来事でもある。
本来なら長女と長男の間に今一人の男の子が誕生するはずであった。妊娠9カ月目に入って間もないある日の夕方「急にお腹が痛くなった」とうずくまる妻の背を撫でながら「お産は病気じゃないから」と強気に言う彼女の言葉を信じてしばらく様子を見た。痛みはひどくなるばかり、異常と気付いてとっさにかかりつけの大病院の産科に駆け込んだ。それが49年前の6月7日、夕食後の出来事である。

分娩室に続く薄暗い廊下を隔てた部屋で、まんじりともせず数時間を待たされた。いくら耳を澄ませても産声らしい声は聞こえてこない。医師からも看護師さんも何も言って来ない。「おかしいな」という感覚に捉われた後はもう負の連想ばかり。ろくなことは頭に浮かばない。
深夜1時を回ったころやっと看護師さんの声が聞こえた。それは無表情で押し殺した声で「残念でした、男のお子さんでした」と、手のひらにのるほどの小さな肉体を抱かせてもらった。すでに呼吸はない。「手を尽くしましたが30分のお命でした」と。

待たされる時間の長さと音も沙汰もない空しさに、ある程度の覚悟はできていたのかも。「妻の様子は?」「分娩室のベッドでお休みです。奥様に報告するのはお父さん、あなたの役目です」。淡々とした看護師さんの言葉に少しカッときながらも、全く初めての大役。何と言葉をかけるのか、これには迷った。計り知れない辛い思いをしたのは妻である。慰める言葉が見つからない。全てを承知している彼女はただただ涙に暮れて横たわっていた。薄暗い部屋に二人、何をつぶやいたか思い出せない。震える背中を撫でるのが精一杯。せめて窓から差し込む6月の早い夜明けを待った。電灯の灯りではなく太陽の明るさがほしかった。これだけは鮮明な記憶として今も残っている。

そうしてこうして、産後の入院を余儀なくされた彼女の思いを一身に受けて、戒名ではなく菩提寺から頂いた法名で葬儀一式を済ませた。小さなお骨は我が家のお墓に収まっている。法的にも生存ではなく戸籍もないまま仏となってお浄土に召された。その祥月命日を明日に控えた昨日、50回忌法要のお勤めを執り行った。
その後に無事に生まれた男の子が実質的に我が家の長男であり、二人の孫をプレゼントしてくれて間もなく48才を迎えようとしている。

わずか81歳の生涯の中でもこんな経験をしたというお話。忘備録として改めてここに記しておきたい。色んな事があるから人生は愉しいということか。


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