我がブログのカテゴリーに、一つ大事な部分が抜けていることに気付いた。それは「おせっかい」という項目。早速追加した。
これまでの人生を振り返ってみたとき、会社における勤務時間以外の私生活の中で、その多くがある意味で「おせっかい」に通じる生き方ではなかったかとさえ思われる。
それが悪かったとか良かったなどという話ではない。その時々において、相手のためによかれ、世間のためによかれ、ひいては自分のためによかれ、と判断しつつ行動を起こし、よりよい結果を求めてその方策を練り、プロセスを修正しながらやってきたように思う。
但し、「おせっかい」とは広辞苑によると、余計な世話をやくこと。また、他人のことに不必要に立ち入ること、とある。
自分の考えているおせっかいとはかなりニュアンスが異なる。
これまで多くの人との関わりや生活の中で、色々な立場をこなしてきた。そんな時「世話好きじゃねー」と冷やかされながらもいつの間にか、文字通り世話役に回されていたり、自ら飛び込んだ役どころも少なくない。そのたびにありったけの知恵を絞り、役目を全うするための参考意見を訪ね回って解決にこぎつけたことも数知れない。
このブログの立ち上げに当たっても、当初ははっきりした意識はなかったのに、続けているうちに段々「このブログから何かを感じてもらえたらいいな…」などと大それた考えを持つようになる。そのこと自体がおせっかい以外の何物でもないのではなかろうか。但しそれは押しつけでもなければ、他人の考えに立ち入ることなど全く考えているわけではない。
余計な世話をやかず、他人のことに立ち入り過ぎず、おせっかいが必要としている人には十分届くような「おせっかいブログ」をたまには書き込んでいこう。
ほどほどのおせっかいは、この世の必要悪なのかもね。
(写真:ひとのことはほっといてよー)
これまでの人生を振り返ってみたとき、会社における勤務時間以外の私生活の中で、その多くがある意味で「おせっかい」に通じる生き方ではなかったかとさえ思われる。
それが悪かったとか良かったなどという話ではない。その時々において、相手のためによかれ、世間のためによかれ、ひいては自分のためによかれ、と判断しつつ行動を起こし、よりよい結果を求めてその方策を練り、プロセスを修正しながらやってきたように思う。
但し、「おせっかい」とは広辞苑によると、余計な世話をやくこと。また、他人のことに不必要に立ち入ること、とある。
自分の考えているおせっかいとはかなりニュアンスが異なる。
これまで多くの人との関わりや生活の中で、色々な立場をこなしてきた。そんな時「世話好きじゃねー」と冷やかされながらもいつの間にか、文字通り世話役に回されていたり、自ら飛び込んだ役どころも少なくない。そのたびにありったけの知恵を絞り、役目を全うするための参考意見を訪ね回って解決にこぎつけたことも数知れない。
このブログの立ち上げに当たっても、当初ははっきりした意識はなかったのに、続けているうちに段々「このブログから何かを感じてもらえたらいいな…」などと大それた考えを持つようになる。そのこと自体がおせっかい以外の何物でもないのではなかろうか。但しそれは押しつけでもなければ、他人の考えに立ち入ることなど全く考えているわけではない。
余計な世話をやかず、他人のことに立ち入り過ぎず、おせっかいが必要としている人には十分届くような「おせっかいブログ」をたまには書き込んでいこう。
ほどほどのおせっかいは、この世の必要悪なのかもね。
(写真:ひとのことはほっといてよー)
yattaro-さん、私は「おせっかいブログ」大歓迎ですよ!
あなたの好意と受け止めてまいりました。 これからも、その事は、変わらないでしょう。。 以前も申しましたね、「あなただけは、長生きしてください」と でなければ、我々の仲間のチェーンが、切れてしまいます。 これは、もうあなただけの問題では、ありません(×_×)
お節介とは、こんな意味もあったんですね。。
http://gogen-allguide.com/o/osekkai.html
ヤッタゼー!
結局は、自分が書いて自分が納得したり・反省したり、色々モノを考えるきっかけ作りが、ブログなのかな…なんて思ってまーす。
「おせっかいブログ」精出しますよ。
それにしても「おせっかい」の意味を広辞苑が少し変えてくれると納得いくのにねー。
まあいっか……どっちにしても燃え尽きるまでおせっかいとは縁が切れんでしょうからね。