「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「震災の追憶」

2024年03月10日 | ニュース・世相

   
 1995 平成7.1.17               2011 平成23.3.11                           2024 令和6.1.1
 阪神淡路大震災         東日本大震災            能登半島地震

わずか80年あまりの私の人生においてさへ、大きな大きな記憶として刻まれる大震災被害が発生している。もちろんこれ以外にも局地的な地震災害に泣かされた地域はたくさんある。
地震列島、活断層の表面に住んでいるのだから仕方がないと言われたらそれまでだが、いつどこで誰がこうした被災者になるかわからない、被災者になる可能性を秘めて生きるのも、切なくてしんどい気がしないでもない。

そんなことは言っていられない現実に今、大変窮屈な生活を強いられている方々もある。少し遠い記憶の中に、もっと遠くなっていく記憶の中に、震災で失った尊い命、積み上げた生活、それらにまつわる思い出などなど、追憶は深み行くばかり。されどもう帰ることはない空しさ。

数え上げれば底知れぬ幾多の涙に塗り重ねられた思い出ばかり・・・とどなたかが言っておられたがまさにその通りだと思う。何年たとうと、自身が生きている限り追憶の涙はついて回るものだと思う。
『ひとたび失ったものは戻らない、戻らないものを追い求めるより、今の身の回りにある手に取れる小さな喜び・小さな愉しみを追い求めて笑顔になって欲しい』という私の個人的な勝手なお願いである。
難しいことだと承知で敢えて口にすることで、新たなステップにして頂けたら嬉しい。 明日は東日本大震災発生から13年である。


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