「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「思い出がまた一つ・・・」

2018年08月23日 | 思い出話

       
           伐採が決まった、岩国市立愛宕小学校、尾津明神社のエノキの大木

今から70年前の昭和23年(1948年)、岩国市立愛宕小学校に入学した。校長先生の名前は青山宗一だったと記憶している。
1年生担任は彦本(女)、2年古川(女)、3年福坂(女)、4年~6年高木(男)というそれぞれ個性ある先生方のお世話になった。
我ながら不思議なほど、校長や担任の名前をはっきり覚えているのに驚く。その割に勉強の出来はからっきし。

戦後間もない日本は貧乏というか、物不足、食糧不足は当たり前の日常であった。
小学生の服装はもちろん自由。家にあるものをを着て行くのが普通で、女子は着物で通学する子も多かった。
履物はさらに多岐にわたった。お金持ちの子はズックやゴム靴。普通の家庭は下駄にワラ草履など。さすがに裸足はいなかったと思う。
兎に角、貧富の差丸出しの小学校生活であり、お金持ちの子は当然のように先生の受けがよかった。まるで逆の私などは惨憺たるものだった。

そんな私の通った小学校には、校庭の一画に「尾津明神社」が祀られていた。秋と冬の例祭にはお神楽や相撲祭りを楽しんだ。
神社を囲むように、エノキの大木やセンダンの大木が6~7本生い茂り、小さいながら鎮守の森をなしていた。夏には優しい木陰を作り涼風を提供してくれた。その涼しさだけは、貧富に関係なく、あふれるほどに群れを成す子どもたちに一様に与えられた自然からの贈り物であった。そしてセンダンもエノキも小さな実を付けて、子どもたちを慰めてくれた。
おやつなどありはしない私たち子どもに貴重な甘味を提供してくれた。これは秋の大きな楽しみでもあった。

それほどに多くあった大木が、学校の変遷に伴い、伐られたり枯れたりしてその数は激減。ついに1本だけ残っていたエノキも安全上の危惧から伐採されることになった。と報じられた。最後のエノキは、樹齢200年を超えるであろう、高さ約20m、幹回り最大3mに及ぶ。
何とか残したい一本ではあるが、老朽化には勝てずついにその時を迎えた。
我が人生に彩を添えた歴史の証が、また一つ消え去ることになった。これぞ時代の流れ、歴史の移り変わりであり、抗うことも叶わない。

せめてもの慰みとしてここに記録として残しておこうと思い立って、伐採工事が始まる前の尾津明神社とエノキをカメラに収めた。
なんせ70年前に入学したした小学校で、記憶があいまいな部分も多いが、鮮明に残っている記憶もいくつかある。
木造の講堂で小学3年生のとき、当時最新鋭の録音機導入の実演説明会で「朧月夜」をアカペラで歌った初舞台。5年生の時、いたずらをして担任から、分厚い本の背中で頭を叩かれた痛みも覚えている。叩かれるほどのいたずらだったかな~と思うのと、本の背中ではなく平たい方で叩かれたのならちゃんと反省をしただろうが、背中で叩かれた痛みは、反省より先に男先生に対する恨みが残った記憶もある。

それもこれもひっくるめて、また思い出の一つである小学校の大木が姿を消す。
遠い記憶と歴史を、ここに拙いブログとして記録しておきたい。

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