中天に煌々と冴える、中秋の名月 9.12 21:00
“ 月が鏡であったなら 恋しいあの子の面影を そっと覗いて見ようもの・・・ ”
厳しい残暑、紫外線の強いジリジリする太陽に悩まされながらも、秋はやってきた。
見上げる夜空に旧暦8月15日、十五夜の月が冴える。
思わず、「月が鏡であったらな~」などとつぶやいた、遠い昔がよみがえる。
きれいなお月様を眺めると、今は三児の母となっている娘の幼稚園時代を思い出す。
運動会の前の晩、あいにくの曇り空で出ているはずのお月様が見えない。お風呂上がりのパンツ一丁で「懐中電灯貸して」と言って外に出る。
「なにしとるの」「お月様がどこにもおらん、明日は雨かもしれん」と今にも泣き出しそう。
軒下から植え込み、側溝のフタの奥までくまなく探したようだ。
娘のアタマほどもある大きなテルテル坊主を吊して「大丈夫、明日は天気になるよ」と言うと、間もなく寝息を立て始めた。
今年こそは海から昇る名月を・・・と勢い込んで海辺に出た。
遙か水平線は厚い雲に覆われ月の影が見えない。それこそ懐中電灯で月を探したい気分になる。待つこと25分。海面よりかなり昇ったところでようやく雲が切れた。やっと顔を出した。ウンウン、まずまず撮れた。
今この時間は、頭の真上で日本列島を一様に照らしていることだろう。
東北の夜空も、このきれいな満月で満たし、明日を信じて生き抜いて頂きたいものである。そして、世界中の夜を迎えている国々を同様に照らしているに違いない。
水平線は厚い雲に覆われて・・・
海面よりかなり昇ってようやく顔を・・・
いよいよ中天目指して・・・
お話の世界に遊ばせてもらえるような楽しさです。
季節の移ろいの中にこうした思い出が家族に残っていること、素敵ですよね。幸せです。
水平線の手前、真っ暗な大きな闇は海ですね。
こうした大きなスケールでのお月見、いいでしょうね~。鴨川の比ではありませぬ。
ですが静かに一人見上げ、よいお月見をさせてもらいました。
お月様に何か映りましたか?
よく晴れて何よりでした。
こちらはベールに覆われぼんやりのお月様でした。
それでも昔のように果物と枝豆をお盆に載せて蝋燭を灯して出窓に供えました。孫に見せておきたいとの気持ちもありましたけど。
幼かった頃の娘さんのお話から
「名月をとってくれろと泣く子かな」一茶
を思い出しました。
娘さんはこの子より大きくなっているんですね。大きなテルテル坊主は勿論効を奏してくれたことでしょう。微笑ましい光景です。
中天の満月もさることながら、水平線から昇る時の雲の光も何やらハッとする厳かなものがあります。
このきれいな空、きれいな空気、きれいなお月様、世界のみんなの宝物ですね。
みんなで大笑いでしたが本人は至って大真面目でした。翌日は絶好の運動会日和でした。
真っ暗な海面、なかなか顔を出しません。厚い雲に覆われて・・・。
もう少し待って、海面を照らす月の明かりも絵になるのに、と反省。
お月様に何が映ったのでしょう?そりゃぁもう・・・。
それは惜しいことでしたね。
それでも、果物と枝豆をお盆に載せて蝋燭を灯してお供え。
こんな素敵な文化を若い人たちに少しでも残していきたいですね。
「名月を取ってくれろと・・・」こんな光景を地でいく娘でした。
三児の母、アラフォーです。ついこの前の事のようなのに。
時の流れ、改めて速さを感じます。
親子でお団子供えて笑顔で見上げてくれたのならよかったけど…
こんな美しさのある日本。
今一度前を向いて元気を出して欲しいですね。
月の出は、水平線の厚い雲でなかなか顔を出しえませんでしたが、中天高く昇ったら鮮やかに姿を見せてくれました。
それに続く、十六夜、そして十七夜の月も見事でしたね。