「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「鬼の目にも涙!」

2021年07月29日 | スポーツ・観戦

どんなに無慈悲な者でも、時には情にほだされ、涙を流したり心を動かされることがある。そんなことを「鬼の目にも涙」という、これが本来の意味である。
気が強くて頭脳明晰、何をやらせても完璧にやり遂げ、周りの誰もが一目置くバリバリのキャリアウーマンも、時に気の置けない友の前では愚痴をこぼすし涙することもある。そんな場合のたとえに使われるこのことわざ。

ここではそういった話しではなく、単純に鬼のような顔をした人間が、感極まって流す涙の裏側を想像すると、ついもらい泣きをしそうになる「鬼の目にも涙」の物語である。

連日連夜テレビに映し出される大男たち。濃い髭を蓄え、大きな眼に厚い唇。暗闇の辻でいきなり出会ったらハッと息をのんで腰を抜かしそうな偉丈夫。7人制ラグビーのフィジー選手団や、柔道の重量級外国選手など、まさに日本むかし話に出てくる鬼の形相である。断っておきますが、差別的な意図などで言うのではありませぬぞ。逞しい闘争集団であることを前提に、畏敬の念を持っての表現です。

見るからに力強く、体の至る所にタトーを覗かせるこわもての選手。見かけは間違いなくそうなのに、メダルを賭けたオリンピックの戦いでは、勝ってうれし涙の号泣。負けて悔し涙にくれて立ち上がれない選手も少なくない。勝っても負けても、この大男にしてこの涙。オリンピックという魔物の世界ならではの光景だろうと勝手に想像する。そしてその涙の向こう側に思いを馳せる。ここに来るまでの計り知れない努力ときつい練習があった。それを乗り越え、国内予選を勝ち抜いて立たせてもらった世界の舞台。それがオリンピックなのだ。と改めて感動させられる「鬼の目にも涙」なのである。

まさに鬼の形相で勝利を目指しても、戦いが終われば、あの分厚い胸板、髭だらけの頬を擦り合わせて、敗者は勝者を讃え、勝者は敗者をいたわり、互いの健闘を讃え合う。こんな人間ドラマは、オリンピックという選ばれた者にだけ演じることを許される、特設ステージなのであろう。毎夜興奮させられて眠りが浅くなりそうである。

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