「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「春に向かって」

2018年01月12日 | 季節の移ろい・出来事

         
             厳しい護摩行に挑む、新井・堂林選手

ここ2・3日、震えあがるような冷たい、厳しい寒さが続いている。無理もない、大寒を目前にした小寒の日々。
1年中で最も寒い時季である。不要な外出を極力避け、日差しのいい部屋を渡り歩き、その上に温風ヒーターを足元に引き寄せて、キーボードを叩く、ここ数日である。

そんな寒さの中ではあるが、2月1~3日は、岩国市街地のほぼど真ん中に作られた新たな野球場に、カープ二軍のキャンプがやって来るのだ。球春はもう目の前に来ている。縮こまってばかりはいられない。と思いながら、やはり寒いものは寒い。ヘタをして風邪でも引いたらなんでもないこと。年相応に慎重でなければ、と引っ込み思案に。

例年、季節の便りのように届けられてきた、広島カープの新井貴浩選手による、燃え盛る火と向かい合う「護摩行」が今年も報じられた。これまで鹿児島で行ってきたが、今年から和歌山県の高野山浄心院に場所を写したという。3000本の護摩木が次々と燃やされ、炎が5メートル以上立ち上るなか、すぐそばに座っておよそ1時間半、大きな声で必死にお経を唱え続ける、忍耐の要る行である。

「護摩行」は「お火焚き」とも呼ばれ、燃え上がる炎の前で全身全霊願いを込めて、真言を唱え、煩悩を炎と一緒に焼き尽くす修行と言われている。その意義は呪術的な強い祈りの力をもって願いを叶えようというもの。護摩の炉に細長く切った薪木を入れて燃やし、炉中に種々の供物を投げ入れる。火の神が煙とともに供物を天上に運び、天の恩寵にあずかろうとする素朴な信仰から生まれたもので、火の中を清浄の場として仏を観想するのだそうな。

間もなく41歳を迎える新井にしてその厳しい修行は何なのか。「今年もきつかったです。1年間、頑張って日本一になれることを願いながら行をしました。心をしっかり引き締めて、キャンプに臨みたい」という。
石原・會沢、両捕手。それにイマイチ開花しない堂林。まさに同行4人。火傷するほどに顔を真っ赤にして耐えた護摩行。なにかの結果が出るに違いない。特に堂林は、今年頑張らないと選手生命が危ういと思う。改めて応援してやりたい選手の一人である。

棲む世界が違うのだからそれも致し方ないところだが、それにしてもあそこまでの修行を積むことで、さらなる飛躍を誓おうとする精神力には、爪のアカでも煎じて飲むくらいしか近づきようがない。プロ野球の選手でなくてよかった、と思う。
オットット、そうはいかないのだった。8歳の孫を鍛え上げて、カープ入団の契約金を目論む身であった。
寒さでノーミソまで凍ったわけではない。可能性を追い求めてみたいだけである。

コメント (2)
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