「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「穏やかな1年を」

2018年01月03日 | ニュース・世相

          
            周防大島東和町、戦艦陸奥慰霊公園

昼間のゆとりをちょっとしたドライブに。
我が家から50数㎞走ったところにある、「戦艦陸奥」の慰霊碑が建つ、周防大島なぎさ公園に足を延ばした。
1943年(昭和18年)6月8日、連合艦隊司令部付として柱島水道(周防大島伊保田沖)警泊中に、謎の大爆発を起こし沈没。総員1471人のうち死者 1121人。生存者わずか350人という大惨事に見舞われた。

1970年(昭和45年)6月に、遺族や生存者らの熱意が実り、27ぶりの引き揚げ作業が再会された。
8年間にも及ぶ作業の末、乗組員の遺骨・遺品・主砲など艦体の75%が引き揚げられた。その艦首の一部や副砲などが、慰霊碑とともにこの地に安置されている。そのすぐ脇には「荒鷲の碑」が建立されている。「若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に碇……」と歌われる、海軍飛行予科練習生として、茨木県霞ケ浦で鍛え抜かれた若者が、その若き命を戦艦陸奥とともにしたり、特攻隊員として散った英霊の碑が静かに佇んでいる。

陸奥記念館はこの引き揚げによって回収された物品をはじめ、全国から寄せられた遺品・資料の展示・保存に努め、これにより陸奥と共に逝った乗組員の冥福を祈り、戦争の悲惨さを後世に伝え、恒久に平和を願う一つのシンボルとして祀られている。兎に角戦争とは「愚かしい人類破滅行動」であることを改めて思う。
自ら仕掛ければ、必ずや自らに跳ね返って来る多大な被害・損失を知るべきである。

昨年もずーっとそうであったように、いつ飛んでくるか分からないミサイルの恐怖を感じて来た。避難訓練を繰り返す
日々もあった。それもこれも、近くて遠い寒い国の、無謀とも思える思慮浅い指導者に振り回された結果である。
年が明けても相変わらず強気一辺倒の、威丈高な発言は繰り返されている。が、そんな中でも、ピョンチャン冬季五輪に参加する意欲をのぞかせ、南北の話し合いの糸口を垣間見せているのは、せめてもの慰みである。

ミサイルなど心配のない、静かで明るい一年となることを願うばかりである。

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