日本近代史の中で最も特筆すべき時代の変革ともいえる武家政治の終焉。その一大契機となったのが、徳川第十五代将軍慶喜公による「大政奉還」という一大決心であったろう。などと司馬遼太郎作品の受け売りではあるが、我々が生きている今の世の中を見るとき、実際に一大契機であったろうと思っている。その時から今年が150年目に当たるという。
その時代を生きた人々にはそれなりの思いが交錯したことは間違いない。もちろん損得勘定の駆け引きもまかり通ったであろう。
その立場や見方、考え方によって、命がけの賛否両論あることは当然で、誰がヒーローで誰が悪役なのか、簡単には言えないようだ。
ただ、260数年続いた徳川幕府政治を転換しなければ日本の将来が危うい、という危機感は多くの人に共通するものがあった。
そんな市民運動みたいなものが、賛成派反対派の血なまぐさい数々の事件を引き起こした幕末。
それらの歴史が、世界に名だたる日本国家を築く基礎となったことを思えば、結果論ではあるが、武家政治の追放、大政奉還が間違った選択ではなかったということになる。
近くのどこかの国のように、未だに絶対的権力を誇示し独裁政権を死守する将軍様を崇め奉る民衆にはなりたくない。
その国で少しでも体制批判でもしようものなら、即、粛清という名の死が待っている。かつては我が国もそれに近い幕藩体制が長く続いた。
それを思うと、大政奉還から明治維新への流れは必然的な時代の変遷であったということか。
あれから150年と言われる今年。考えてみれば小生自身ちょうどその半分の75年を生きてきたことになる。
ということは、明治維新から75年目に生まれた計算になる。要するに幕末だ、大政奉還だ、明治維新だという大きな歴史の転換がなされたのは、小生が生まれた日の75年前のことということだ。そう考えてみると、すぐ近い歴史だという実感がわいてくる。
もし150年前に生まれていて、一大歴史転換期の中にいたら、何かをなし得ただろうか。いち早く新撰組に襲われていたかも。
さて今年は、トランプ占いによると、トランプの切り方によっては激動の時代に入る予測もある。何かが起こるのだろうか。