「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「おふくろさんよ」

2015年12月10日 | 家族・孫話

                    

見送ってから丸七年が過ぎた今頃になって、母が使っていた部屋の押し入れから小さな木の箱が出てきた。
直径15㎝もある手鏡。首掛け式の拡大鏡。老眼鏡。これらを駆使して調べていたのだろう「実用漢字便覧」。糸通し器などなど。
それにオニキスの指環、金ぴかのブレスレッドなど。おふくろの匂いのするような、在りし日の大切な生活グッズがぎっしり。

コンパクトにまとめられ、ほどよい木箱に納められて保管されているところをみれば、おふくろが亡くなったあと誰かがちゃんと整理したのであろう。
誰かがといっても、小生にさほどの機転があるわけはない。とすれば後はただ一人、我が家の主婦が義母の形見としてしまっておいたものだろう。
それらの一つひとつに、それぞれ異なる思い出が染み込んでいるような。

特に感慨深いのは実用漢字便覧という漢字辞書である。ブックカバーはあちこちが白く剥げ、本文はところどころに折り目が入っている。
それなりの手垢もついている。
ちょっとしたことを書くときも読むときも、この辞書をひもといたのに違いない。結構歳が行ってからの買い物だったはずなのに、随分と使いこなした跡がうかがえる。「おふくろ、なかなかやるね~」と褒めてあげたくなる。今の自分は、辞書の存在を忘れるほど、パソコンの自動変換に頼り切っている。
誰が買い与えたのか。「生活協同組合」に入っている頃に、カタログを見て「私が申し込んだ記憶がある」とは、カミサンの弁。
やはりそうか、こういったことは、倅の私より嫁の方になんでも相談するおふくろだったな~。

老眼鏡こそ自身で眼鏡屋さんに行ったのであろうが、その他は私たちどちらかが、注文に応じてあちこち探して求めたものばかりである。
ケースに入ったままのオニキスの指環は、ちょうど30年前の1985年6月、初めて経験した海外旅行先のハワイからお土産に買って渡したものである。おそらく一度も使わず、後生大事にしまっておいたのであろう。
金ぴかブレスレットは、私の倅が「ばあちゃんに助けてもらったお礼」といって、最初頃の給料から買って手渡したような記憶がある。
これももちろん一度も手を通すことなく、大切に残しておいたおふくろの「宝物」だったのかもしれない。

決して物言うわけではない「おふくろグッズ」が目の前に並ぶと、やはり何かしら注文を付けられているような気がしないでもない。
具体的に多くを語るおふくろではないだけに、「しっかり生きん才さいよ」 くらいのことを言っているのだろうか。
「心配せんでもええよ」、とは自信をもって言えない部分もないこともない。

今夜は望年会。久しぶりに “おふくろさん” でも熱唱してみようか。

 

コメント (4)
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